第45話 わたしと創作

 最近、エッセイを書くモチベーションが低いわたし。

 こりゃ読んでても面白くないだろうな。

 なにせ、書いているわたし自身がおもしろいと感じていないから。

 ここはひとつ。自分が書いて楽しいことを書くしかないな――。


 と思ったので、わたしと創作、わたしと小説のことについて、昔話を書いていきたいと思います。昔語りなら書ける! おもしろくないかもしれないけれど、書くわたしさえ楽しめればいいのだ。


 しばらく、このエッセイはずっと昔のことを書くと思うので、ちょっとま我慢していただければと思います~。



 さてさて、時代はいまから遡ることン十年前、いまじゃ歴史の教科書に載っているんでしょうかね。かのバブル経済が膨らみはじめたころのことです。わたしは高校生になっていました。いい時代でした。80年代というのは、いまを基準に考えるとノーテンキな時代といっていいでしょう。


 わたしは中学生の頃、高橋留美子さん原作のTVアニメ『うる星やつら』が大好きで、毎週、カセットテープにその週のエピソードを録音し、繰り返し聴いていました。この『うる星やつら』に「退屈シンドローム!友引町はいずこへ!?

」というエピソードがあのですが、主要キャラのひとり「メガネ」のモノローグではじまる冒頭が端的に80年代の空気を言い表しているのでここに引用します。


>わたしはメガネ。7時13分起床、寝間着のまま新聞を取りにゆくことで私の一日は始まる。

>その日、世界は相も変わらず平和な日常に満たされており、劇的なドラマなどあろうはずもなく、台所の隅に山積みにされていく「日常」。退屈な日々の象徴。

>私は古新聞の数だけ退屈を背負い、年老いてゆく。


 メガネは『うる星やつら』の設定上、過剰に理屈っぽいキャラということになっており、この冒頭のモノローグは一種のギャグだったのですが、いま振り返ってみると非常に的確に、あの頃わたしたちが抱いていた空気感を言い表している名文句だと思います。


 あの頃のわたしは、この平和で退屈で、でも豊かな毎日がずっと、永遠に続いていくものだとばかり思っていました。あれから長い年月が経つうちに、東西冷戦構造の終結、バブル経済の崩壊、地下鉄サリン事件、世界同時多発テロ、日本経済の凋落、イスラム原理主義の席巻、東日本大震災、中国の台頭、新型コロナパンデミック、ウクライナ戦争、米中新冷戦……など事件がつぎつぎに起こり、この国の平和で豊かな日常は目減りしていく一方です。


 平和で幸福であるってことは、とても退屈で物足りないんです。毎日が「つまんないな~」と思っている人がいるとしたら、その人は幸福の絶頂にいるってことなんです。長いあいだ生きているうちに、自然とそういうことはわかってくるものです。


 わたしが中高校生だった頃、あの頃がこの国が一番豊かだった時期だといまなら思いますね。わたしが死ぬまでに、もう一度あの頃のような豊かな時代が訪れるのか?  ぜひ訪れてほしいと思ってます。


(次回へ続く)

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