第22話 日記から連想して

 例によってNHKプラスをみていると「先人たちの底力 知恵泉ちえいず」で「紀貫之きのつらゆき “和歌ブーム”を巻き起こせ」というのをやってました。知恵泉まで和歌で番組を作るのかと感心しました。


「知恵泉」は、歴史上の人物を取り上げる番組ですが、単なる歴史バラエティではなく、「ビジネスパーソンとして先人の知恵に見習うところはないか」という構成の番組づくりで、番組セットもサラリーマンが仕事帰りに立ち寄る居酒屋をイメージしたつくりになっているところがユニーク。


 紀貫之。名前だけは知っています。日本初の勅撰和歌集「古今和歌集」を編纂した人らしいですね。古今和歌集もそのタイトルしか知りませんが(汗)だいたい、平均的な日本人の知識では、「和歌集」といえば「小倉百人一首」しか知らないというのが相場でしょう。万葉集とか古今和歌集、新古今和歌集……なんて教科書で習うだけで、収められた歌のひとつも知らないのが普通です。


 紀貫之といえば、「土佐日記」――「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」。日記文学のはしりということですが、このエッセイも、もしかしたらその裔に連なる文章かもしれない。心して書こうと思いました。


 ぜんぜん関係ありませんが、高校の授業で「土佐日記」を習って時に、旅立ちに当たって馬のはなむけをするという言葉に出会い、「『はなむけ』とは元々そういう意味なのか〜」と深く納得したことを覚えています。


 むかしは今と違って長い旅は命がけ。土佐と京に離れてしまっては、二度と会うこともないのです。旅の安全と去る人の多幸を願って馬の鼻面を目的地に向ける行為は、非常に大切な儀式であったことでしょう。


 言葉って、もともとの意味や使い方から時代を経るうちに、異なる意味や使い方に変わっていくものなんですね。いまじゃ「はなむけ=餞別」です。30年近く前(バブル末期でしたが)、わたしが就職した頃は職場内で餞別のやりとりが盛んで、異動のたびに「餞別」が飛び交ったものです。当時の餞別はお金で相場はひとり当たり二千円。同じ職場の知り合いが転勤したら、その人数×二千円の出費が発生していました。


 異動時に餞別を贈る習慣は、公務員が安月給だった時代に、引越し費用や新生活に必要なものを揃える足しにしてくれと金品を贈り合っていた「相互扶助」の精神の名残だったのだと思います。ただ、送り出す側の金銭的負担が大き過ぎる「悪習」であることから、徐々に餞別を贈る人は少なくなり、いまでは職場で餞別を渡す人を見ることはなくなりました。


 いったいなんの話? 笑


 餞別の話とは別に、できることならこのエッセイも、これを読んでくれるひとに対する「はなむけの言葉」であり「贈りものとなる文章」となったらいいのになあと思って書いてるんですけどねー。


 あ、今回は短歌について書きたかったのに「土佐日記」について書く回になってしまった……。短歌の話はまた今度。

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