第20話 好きなものを読めばよい

 人は本を読むときに、「既知のリマインド」ってのをやりがちである、なんてことをポッドキャストで聴き「そうだよな~」と納得している藤光です。ゴールデンウイークに入りましたね。みなさんどこかへお出かけしてますか? ずっとパソコンの前にいたり、スマホを覗き込んでいると体に悪いです。大型連休くらいいつもとは違うことをしてみましょう。


 といいながら、わたしは本を読んでいます。それっていつもと同じでは? と思った方、大丈夫です。最近はほとんど本を読めていない藤光。ひさしぶりに本を読むことは有意義な時間の使い方なのです!


 最初に書いた「既知のリマインド」どういうことかというと、というような意味です。読書についていうと、いつも同じジャンルの小説ばかりを読むとか、自分の考えと同じ考えを持つ著者の本ばかり読むとか、若いころから興味を持っている分野の本ばかり読むといった読書傾向があげられるでしょう。こういう読書って、安心感があって楽しめることが保証されている反面、新しい知見を得ることが難しく、興味の範囲が広がらないまま固定されてしまうというデメリットがあるんですね。


 わたしもすごく思い当たることがあって、30代半ばまで読書といえばエンタメ小説ばかり読んでいて、ジャンルはSF、ミステリ、時代物以外読まず、特に宮部みゆきさんの小説を偏愛してました。自分でも興味の幅がすごく狭いな~と自覚してて、あるときから小説がぜんぜんおもしろく読めなくなってしまったんですよね。「既知のリマインド」の負の側面に取り込まれていたんでしょう。


 40代半ばで小説を書くようになると、興味の幅が狭いという事が、わたしの書く小説に如実に表れると感じました。じぶんの小説世界に厚みもなければ深みもないとわかり――こりゃなんとかしなくっちゃ! といままで読んでこなかったジャンルの小説にあえてチャレンジするようになったんですね。


「純文学を読んでみよう」


と考えたわけです。なんといっても純文学は文芸の王道ですし、社会的な評価もエンタメ小説よりも一段高いじゃないですか。純文学ジャンルの小説を読んで理解できるようになれば、じぶんの書く小説も一段上等になるような気がしたのです。


 じっさい純文学を読んでみると、これまで読んできたエンタメ小説が、読んで楽しんでもらうことによって読者に訴える小説であることに対し、純文学はその内容について考えさせることによって読者に訴える小説だとわかりました。


 ただ、純文学を読むことは、わたしの小説に対する見方を拡張してくれた反面、しんどい作業でありました。もともと興味があるわけではないので、読むのが苦痛なんです。小説を読みながら


「なんでこんなに楽しくないことしてるんだろ」


と思いながら小説を読んでいました。大学の受験勉強をしている感じ、とでもいえばいいでしょうか。いやだけど、そうしなきゃだめな感じ。大学進学はじぶんが決めたことでだれに強制された訳でもないのに――。


 ここ5年ほど、わたしは読書が嫌いになりつつありました。


(続きます)

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