第16話 分厚い本と妖怪
今回は、ひさしぶりに京極夏彦さんの本を読んでみたらとてもおもしろいということを書きたい。
京極夏彦さんといえば、書店の文庫本コーナーに並んでいる非常識な分厚さの本で有名です。『鉄鼠の檻』とか『絡新婦の理』とか……。分厚い本って魅力的じゃないですか。えっ、そう思っているのはわたしだけ?
話は京極夏彦さんから離れてしまいますが、分厚い本って手にとると「難しいことに挑戦しているっ」という静かな興奮があるでしょう。また、長い間、この本の世界にいられる安心感のようなものもあります。読んでて楽しい本は「読み終わりたくないっ」て思うじゃないですか。その欲求をある程度満たしてくれるのが、分厚い本ですよね。
大人になって本を読む体力がなくなってしまったため、たくさんの頁数を読むことができなくなってしまいましたが、いまでも書店で分厚い本を見かけると思わず手に取ってしまいます。
さて、今回読んだ(いま読んでいる)本ですが、『
正直なところ、京極夏彦さんの小説は文体、構成、キャラクターどれをとっても癖があり万人向けとは言い難いです。わたしも「巷説百物語シリーズ」以外は、読んでもそんなにおもしろいとは感じられませんでした。『姑獲鳥の夏』とか『魍魎の匣』とかクセが強くて……。ただ、巷説百物語シリーズはおもしろいです。
この小説は、分類すると「ミステリ」なんですが、妖怪が出てくるんです。
出てくるんですけど、ほんものの妖怪じゃありません。ぜんぶニセモノです。人の手で作り上げられたカラクリであったり大芝居であったりします。人の世の中には、法律などの既存のしくみの範囲内では、どうしたった救いようのない不幸や理不尽な状況に追い詰められる人というのがいます。「必殺仕事人」でしたら、闇の仕事人が悪の元凶を暗殺という方法で始末するのですが、「巷説百物語」では、不思議な力をもつと信じられている妖怪が仕事を請け負います。ただし、その妖怪は実在せず、人の作り出したカラクリなのですが。
じっさいに妖怪っていないじゃないですか。
でも、「どうしてそんな妖怪がいるなんてことになっているのだろう?」「それにはこういうエピソードがあったんじゃないか」というのが、小説としての巷説百物語の基本構造です。妖怪が生まれた陰には、この世で人が感じる「理不尽」、「悲哀」、「恐怖」、「憤怒」「絶望」といった感情があるっていうことが、行間から分かってくるんですよね。この点が、京極夏彦さんの他の小説と巷説百物語のちがいであり、文学賞の受賞を重ねる理由じゃないでしょうか。
ま、むずかしいことはともかく、『遠巷説百物語』、おもしろいですよ。まだ途中までしか読んでいませんが、オムニバス形式のこの本、ひとつめのエピソード「歯黒べったり」が構成的にすばらしく。めちゃおすすめ。時代小説が読めて、ミステリ好きなら絶対読むべき傑作です。さいごまで読むのが楽しみです~。
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