第15話 よく分かっているつもりで分かってない
最近、通勤時間にポッドキャストをよく聴いているわたし。クルマ通勤。ラジオを聴いていてもいいのですが、良くも悪くもラジオは自分が聴きたい話題ばかりが取り上げられるわけではありません。
その点、ポッドキャストは自分の聞きたい番組だけをスマホにダウンロードしておくことができるので、ラジオの番組があまり興味のないテーマに移るとラジオをやめ、ポッドキャストを聴き始める――って感じの毎日です。
わたしが聴いているのは、主に読書にまつわる番組。本を紹介してくれるポッドキャスト番組って結構あります。『金曜開店 砂鉄堂書店』もそういう番組のひとつ。武田砂鉄さんがMCを務める10分弱の番組(TBSラジオのコーナーなのかな)で、講談社から出版されている本から、気になったものを武田さんが選んで紹介してくれる番組です。武田さんの切れ味あるトークが気持ちいい。
そこで紹介されていたのが『ネット右翼になった父』(鈴木大介 講談社現代新書)。
じつはこの本、元ネタになる記事が2019年にネット記事として掲載されていて、当時わたしも読んでました。内容は、謹厳実直だった高齢の父親がガンを患い、亡くなる直前にインターネットで差別的な有害情報に接するうちに「ネット右翼」のようになってしまった――という嘆きと怒りの記事でした。
当時、職場の上司に「右傾化」発言をする人がいて、「おー、世の中ぜんたいに右傾化していく流れがあるんだなあ」と興味深く読んだ記憶があり、武田砂鉄さんの番組を聴いたこともあって読んでみたのです。
うーん、これは?
本のタイトルと数年前のネット記事の内容から推測するとこの本の内容は、「人は年を取ったり、病気になると情報を取捨選択する力が衰えます」「インターネットの情報はこういう所が危険です。高齢者や病人が接すると『ネット右翼』になりかねません。注意しましょう」というものになると思っていました。
ちがいました。
前半はそういう内容だったのですが、後半は「ネット記事には『ネット右翼になった父』と書いたけれど、ほんとうに父はネット右翼になってしまっていたのだろうか?」という鈴木大介さんのうちに生まれた疑問を検証していく内容に変わっていました。
結論、「父はネット右翼ではなかった」ということに落ち着くのですが、どうしてそう誤認するに至ったのか、事細かく検証していく様子が興味深い一冊です。
人が年を取り、認知能力が低下してくると、長い人生のなかで身につけてきた自身を守り、飾ってくれた鎧が、徐々に剥がれ落ちてきて、「その人の核となるもの」「幼子の頃のその人」があらわになってくると思う。身につけたものが多い人ほど、元気だった頃と老いた後との落差は大きいもの。
鈴木さんは、元気だった頃のお父さんと病み衰えてしまったお父さんとの落差の大きさを「ネット右翼になってしまった」と受け止めてしまった。(藤光流の理解)そして、落差に気づけなかったのは、お父さんとのコミュニケーション不足だった。考え方の合わない父親を避けていたことで、お父さんのことがよくわかっていなかったとまとめていました。
まあね。子どもにとって親を客観的に見るというのは難しいですからね。親を「親」という虚像として見ていたんだなということは、結婚して独立するとなんとなく見えてきますが、それでも親は「親」だし、なんなら心情的に自分の一部であったりしますからね。
右傾化に限らず、年を取った親が過度にエコな人になってしまったとか、宗教がかってしまったとか、「どうしてこんなになってしまったんだ」悩んでいる方がいたら、親のことを理解し、親子関係を見直す処方箋となりうる本だと思います〜。
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