第10話 本屋さんとカクヨム
しばらく本屋さんに通っていない。
以前は通勤で使う駅のそばに書店があり、その気になればいつでも立ち寄ることができたのですが、クルマ通勤となったいま、わたしが職場まで往復する経路に書店はひとつもありません。幹線道路沿いに郊外型の書店があってもよさそうなものなのに。往復90キロのあいだにひとつもないとは……町から本屋さんがなくなっているんですね。
通勤で使うことはなくなりましたが、駅のそばには書店があります。ここはいわゆる「メガ書店」です。町の本屋はどんどん淘汰されてゆき、結局残ったのは経営体力のある巨大書店になりました。
わたしが若い頃は、従来よくあった駅前の小さな本屋さんのほかに、幹線道路沿いに比較的広い駐車場を備えた郊外型の書店が増えていった時代で、いまのような巨大書店は珍しかった。それがここ二、三十年のあいだにどんどん増えてきて、逆に小規模、郊外型の書店は数を減らしていきました。
ネット経由で本を買えるようになったり、電子書籍の売り上げが伸びて紙の本の売り上げが落ち込むという本屋さんに対する逆風のなか、集客力を高めるためには、都心に大きな店舗を構えて本の品揃えを増やさざるを得なかった――ということなのでしょうか。
でも、メガ書店って行くと疲れるんですよね。本が好きな人というのは、「これ」と買う本を決めて書店にゆくのじゃなくて、お店の中をぶらぶら冷やかして見ながら「お、これおもしろそう」と本を手に取る――といった本との出会いを楽しみに出かけるのだと思います。それがメガ書店では大変なんですよ、本がたくさんありすぎて(笑)
選択肢がたくさんあるのは、一見良いことのように思いますが、ある意味、提供する側の無責任さや不親切さを表しているというか、そんな気がしますね。たとえばインターネットの世界にGoogleや Yahooのような検索サイトがないことを想像してもらうといいのですが……無数の情報のなかから自分の求める情報を選びとることがどれほど難しいことか。メガ書店に疲れるという意味わかってもらえるでしょうか。
こじんまりとしでいて、特定のジャンルの本を中心に集めた本屋さんが、町にいくつもあるのが理想の本屋さんの形ですかね。ミステリならこの本屋さん。SFはこの本屋さん。時代小説はこの本屋さん……(小説ばかりだな)。
同じようにカクヨムも疲れるんですよね。たくさんありすぎて。小説もエッセイもたくさんあって、それは本来悪いことではないはずなのですが、ユーザー100万人突破? そんな数字を誇るフェーズは終わってると思う。いかにユーザーにとって望むものが書きやすい、または、読みやすい場を提供するか。小説サイトはそっちにシフトしていかないと、アクティブなユーザーは減っていくんじゃないですかねー。
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