第5話 文章の好き嫌い

 ここ一週間、風邪をひいています。体調が悪いのに仕事も最悪で、40時間不眠勤務の翌日に夜勤とか非人間的な業務をこなしていました。いったいこの仕事は、なんとかならんのかと思う。

 当然風邪か良くなるわけもなく、ずるずると回復が遅れるうちに次の宿直勤務がやってくるという過酷な巡り合わせ、いつになったら風邪が治るのか、とりあえずロキソニン飲んで熱と頭痛を誤魔化しておきます。


 さて、前々回のエッセイで「いままでとは違うことをしないと」と書きましたが、さっそく短歌のような、短い詩のようなものを書き始めました。


https://kakuyomu.jp/works/16817330654624245484


 詩の出来、不出来は読んだ方に判断していただくとして、エッセイに書いたように時間のないわたしのような人には、小説より詩(短歌)の方がいいですね。短い時間で作れて、すぐ投稿できます。しばらく続けてみようと思います。100個くらい作ってみよう。できるかな。



 うちの息子は春から小学五年生になるのですが、四年生の課題に「百人一首」がありました。短歌を作りはじめたことだし、今回のエッセイは百人一首から書いてみようと思います。


 紫式部と清少納言のことは知ってますよね。『源氏物語』と『枕草子』、学校で習わないわけがありません。この二人の短歌が百人一首に収められています。


 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな(紫式部)


 夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ(清少納言)


 両方とも、夜、女のもとへ男が会いにやってくることについて歌ってます。


 偶然かな、それとも選者の意図でしょうか。二人は同時代の人で、お互いライバルと考えていたから、百人一首の選者が歌を選ぶ時に、同じテーマの歌を選んで二人の資質を比較しようとしたのでしょうか。


 それぞれの歌の意味は――


 せっかく会いにきてくれたのに、お互いに顔を合わせたか、合わせないかのわずかな時間しか、一緒に過ごすことはできないあなたは、雲の向こうに隠れてしまった月のよう。いったいわたしのことを愛してくれているのでしょうか。(紫式部、藤光の意訳)


 そうやって夜どおしラブコールを送ってくれているけれど、鶏の鳴き真似をして函谷関の扉を開いた孟嘗君ではあるまいに、わたしが簡単に逢坂の関(=男女が分たれ、かつ出逢う関門という意味で使っている)を開けるとは思わないことね。(清少納言、藤光の意訳)


 ――みなさんはどちらの歌が好みですか? 同じテーマを扱った短歌なのですが、ずいぶん趣きの違った歌となっていると思います。




 わたしは清少納言の歌です。孟嘗君(古代中国、斉の宰相となった人物。秦に捕えられそうになったところ、食客の機知により脱出することができた。函谷関は秦国境の関門)の故事と逢坂の関を掛け合わせるセンスなど舌を巻かざるを得ない才能だと思います。上から目線なところも、才気走った女性って感じがして(褒めてます)しびれます。


 清少納言の歌を「知が勝ってる」「ツンデレが過ぎる」と嫌い、紫式部の歌の方が女性の気持ちを素直に表現していて素敵だと感じる方もいるでしょう。わたしは『源氏物語』を読んだことはないのですが、こういう男女の想いのすれ違いを描いている部分も多いのでしょう? 紫式部の優れた資質だと思います。



 好き嫌いはともかく、二人のように上手な短歌が作れるようになったらいいなあ。

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