カレー屋GUCYA

磯風

カレー屋GUCYA

 今日も昼休みの短い時間に何を食べるか決めて、ダッシュで会社を飛び出した。

 だが……あろうことか、大通りの向かい側にあるその店は私が信号待ちをしていた間にあっという間に行列になってしまった。


 今から並んだとて、食べ始めるのは二十分過ぎになるだろう。

 そして、四十五分しかない私の昼休みの半分は行列に吸い取られ、ストレスと空腹で食事を楽しむどころか時間内に戻らねばと胃袋を満たすだけで終わってしまう。


 私はその人気店を諦めて、他の店にシフトチェンジしたが……どこも同じような状況だ。

 オフィス街の外食は、常にタイムトライアル。

 最初の一手を間違えると、勝率は一気にダウンしてしまうのだ。

 ……なぜ、昼休みが一時間取れる企業に入らなかったのだ、私の馬鹿。


 午前中、嫌な上司に私の仕事でもない物を押しつけられてイライラしていた。

 しかもそいつは午後半休とかで、自分が休むために私に押しつけたのを知り、更にイライラが増した。

 ランチに美味しいものでも食べなくては、モチベーションが死んでしまう!


 急ぎ足で人が少ないエリアへと向かう。

 戻るのに便利な場所はすぐに混むので、初手で躓いたら坂の上とか階段があるとかちょっと行きづらい店を目指すのがいい。

 ふと、駆け上がろうとしていた階段脇の小道に、小さい看板を見つけた。


『カレー屋GUCYA』

 カレー!

 いいじゃないか!

 最近食べていなかったからか食欲が一気に押し寄せてきた私は、その小道へと小走りに入って店の前へと辿り着いた。


 やった!

 すぐに座れそうだぞ。

 あとは……出て来る速度だな。

 初めての店は、その辺りがギャンブルだ。


 扉に注意書きがある。

『当店のカレーは、ぐちゃぐちゃに混ぜて召し上がっていただくカレーです。混ぜないお客様はご遠慮ください』

 なかなか強気な店だ。

 食べ方指定で客を選ぶとは。


 だが、望むところだ!

 実はカレーはぐちゃ混ぜ派なのだ!

 皿が汚れる?

 味の変化を楽しめ?

 大きなお世話だ。


 カレールゥは美味しいのだ!

 その美味しいものを米のすべてに纏わり付かせ、すべての米を美味しくして何が悪い!

 白米食べたきゃ、そもそも上にかけるな!

 皿が汚れるのが嫌なら、皿に載せるな!


 私は決闘にでも向かう武士もののふの如く、その店へと飛び込んだ。

 たのもーーーーっ!

 いや、心の中だけで、ね。


「いらっしゃぁい」

 間延びした店長の野太い声。

 おおお……海外の戦争映画にでも出てきそうな『コマンドー』ってかんじの厳ついおじさんだ。

 この人が作るのか。


 カウンターに座り、本日のカレーと書かれたメニューを見る。

 甘口・辛口、それと大盛・普通・少なめ……だけで、なんのカレーかは書かれていない。

 トッピングもなしか。

「辛口、普通で」

「はいよ」

 ……凄い、言った途端に出て来たぞ。


 素早くて嬉しいが、まさか盛りつけしたものを置いてて冷めていたりは……あぁぁつっ!

 皿が熱かった。

 不思議な形の皿だった。

 皿の周りが、ぐるりと縁石のように高くなっている。

 そうか、混ぜても溢しにくくしているのか。



 かちゃかちゃと、すべての客がカレーを混ぜる音がする。

 私もどばりと米の真上にかけられているルゥを、混ぜていく。

 米が、どんどんカレーになっていく。


 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。

 ああ、心置きなくカレーを混ぜられるなんて、外食ではなかなかさせてもらえない。

 母親に顔を顰められ、妹に汚いと罵られ、他の客にマナーも知らないのかという視線を向けられていた外食カレーで、こんなにも自由に食べられるなんて!


「……美味しそ」

 思わずそう呟いてひとくち、口に運ぶ。

 うっっっっっまい!

 こんなに旨いカレー、初めてかもしれない!


 私がその感動を味わっている時に、テーブル席にいたちょっと良さげなスーツを着た若いリーマンがかしゃん、とスプーンを投げるように置いた。

「不味い! なんだよ、カレーで不味いとか最悪じゃねぇか」

 すると、コマンドー店長がゆっくりとその客の横に歩いて行き、そいつは顔を引き攣らせてたじろぐ。

 忘れていたのだろう、コマンドー店長のことを。


「お客さん、混ぜて」


 低音ボイスで、新しい匙をそのリーマンに渡す。

「よーーく、混ぜて」

 匙を受け取ったそいつはカレーを混ぜる。

 くちゃくちゃぐちゃぐちゃ……

 白い米はなくなり、すべてがカレーになる。


 そのリーマンの顔が、どこかスッキリしている。

 そしてそのスプーンにたっぷりとカレーを載せて……食べた。


「うまぁ……」


 コマンドー店長が、ニヤリ、と笑う。

「ぐちゃぐちゃにすると、うまいから」

 そうか、このカレー屋は混ぜて旨くなるカレーを作っているのだ!

 なんて素晴らしいカレー屋だ!

 俺は自分の皿を平らげ、絶対にまた明日も来よう、と誓った。



 何日かそのカレー屋に通い、そして暫くして……行かなくなった。

 私は苛つくばかりだった上司の部署から異動することになって、やりたかったプロジェクトチームへの参加が決まった。

 カレー屋に行かなくなったのは、その頃だ。

 同僚と一緒でも、ひとりでも、何故か『カレー屋GUCYA』には足が向かなくなった。


 突然、混ぜたくなくなったのだ。

 おかしい。

 混ぜると美味しいし、家では混ぜるのに。

 なんだか……ランチでは混ぜたくなくなった。


 だがそのチームのひとりと意見が食い違い、私の味方をする人の方が少なくなって希望がなかなか通らなくなってきた頃……また、混ぜたくなった。


 私は『カレー屋GUCYA』に入り、コマンドー店長に差し出されたカレーを混ぜた。

 混ぜて混ぜて混ぜてぐちゃぐちゃに混ぜた……

 混ぜ終わったら……なんだか、イライラと変な拘りがすこん、となくなった。

 カレーは、抜群に美味しかった。


「混ぜると、気分良いでしょ?」

 突然、隣にいた客から声をかけられた。

「ストレス溜まると、ここに来るの。カレーをぐっちゃぐちゃに混ぜながら、自分の中のもの全部混ぜ込んじゃうみたいな気分になってスッキリするの」


 ……なるほど。

 確かに、無心にスプーンで攪拌していると余分なことが頭から消える。

 混ぜ終わった時の妙な達成感と、口に入れたカレーの旨さで嫌なことがなくなったような気になる。


 混ぜ込んでいたのはストレスだったのかな?

 私のストレス、結構美味しいんだな。


 会社に戻った私は、辞表を出した。

 もう、いいや。

 やっと踏ん切りがついた。

 多分ずっとこうしたかった。


 だけど嫌な奴がいなくなれば、新しい部署に行けば、自分の希望が通れば……とそれを先延ばしにしてしがみついていた拘りは、ただの臆病さだ。

 やりたくない仕事を無理矢理やって、これが普通なんだって思い込もうとして『自由に食べられないカレー』を自分でセッティングしてた。


 混ぜてぐちゃぐちゃにして、ぜーーんぶ食べちゃってなくなってやっと思い出した。

 我慢、止めたかったんだ。

 突然混ぜたくなくなったのは、ストレスがなくなったからじゃない。

 怖くなったんだ。

 我慢していなくちゃ、いけないんじゃないか……って。

 我慢を止めたら、もっと上手くいかなくなるんじゃないかって。



 会社を辞めて、それなりにあった貯金が尽きる前に食品衛生管理者資格を取って、カレー屋を始めた。

 私を支えてくれた『GUCYA』の店長に弟子入りして、二年。

 のれん分けを許してもらえた『カレー屋 GUCYA・GUCYA』を、ストレスが多そうなビジネス街の裏道でオープンした。

 その町は表通りのバリバリ外資系企業が入っている高層ビルのビジネス街と、ちょっと横道に入ると古い街並みの少し高級そうな商店があるような所。


 古い家屋そのままで内装を変えただけの、一見普通の家っぽい飲食店。

 ビジネス街のストレスフルなサラリーマンの方々だけでなく、近くのカルチャースクールの講師さん達とか、スポーツジムのトレーナーさん達がカレーをぐちゃぐちゃ混ぜに来る。

 意外と、ぐちゃ混ぜ派っているものだな。

 今日もストレスをぐちゃぐちゃにしたい人達がやってくる。

 ようこそ、カレー屋 GUCYA・GUCYAへ。


 混ぜると、旨いよ。

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カレー屋GUCYA 磯風 @nekonana51

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