異世界転移

(お題:胡椒、石、トラック)


 に轢かれて死んだ。そして生き返った。異世界で。


 どうやら別の世界に転移したみたい。どうして転移したのか、なぜ異世界なのか。トラックに轢かれる、という事象はそういった疑問や設定を一切説明しないでいい魔法のギミックらしい。不慮の事故に遭ったり、通り魔に刺されたり、コンビニから出て目を擦ったりすると異世界に呼び出してもらえる。そういったアニメが深夜に放送されていて実に都合いい話だと思っていた。

 だがその都合のいい物語の主人公に、俺は選ばれたらしい。


 正直なところ、日々代わり映えしない仕事に飽き飽きしていた。直近でプライベートな予定はないし、あとで食べようと奮発したデザートを冷蔵庫に残していたわけでもない。将来のための貯金もなければ、心配してくれる彼女もいない。不運の事故であっけなく死んだとなれば悔いも残るだろうが、実際は異世界にとばされてまだ生きている。むしろラッキーだ。とりあえずこの世界で生きられるだけ生きてみるか、とぬるく決心した。


 そういうわけで、目の前の新しい現実と向き合う。街中のようだ。大型の爬虫類が荷台を引いて砂埃が舞い、を吸い込んだようなくしゃみが出た。同じ光景。やはり夢じゃない。ファンタジー漫画でみる中世ヨーロッパ的な街並に、映画の特殊メイクを施したような生物、おそらく住民であろう亜人たちが洋服を立派に着こなし闊歩している。少しばかり野生味の強い外見を除けば、人類と大きな差異はないように見受けられた。


 最初ばかりは戸惑って街道をうろついてみたが、特に周囲の反応もなく、もしかすると人類に類似した生物が存在しているのかもしれない。聞き耳を立てると彼らの言葉も理解できた。文明を築く知性もあるので、総合的に判断して、この世界で不条理に二度目の死が訪れることはなさそう。


 となれば次は、生きていくために最低限の条件を満たす必要がある。社会保障制度に期待はできないので自力で衣食住を整えなければならない。生活基盤をつくるには、まずお金を稼がねば。お金を稼ぐことを前向きに捉えている自分に驚く。このバイタリティーは一体どこから湧いてくるのだろう。


 そもそも貨幣制度なのかな。この国の制度や法律的なものを把握しないとな、などと考えながら、賑わう市場を歩く。市場の店主たちからときどき執拗に声をかけられるが、夜の街のキャッチと違い、からっとした活気があって嫌じゃない。むしろ妙に心地よい。しかしなるほど、この世界はそういう仕組みか。


 落ちていた布を敷いて、拾ってきたを並べる。そして俺は道行く人々に声をかけた。値札のない物々交換の世界。物に価値を与えるのは言葉だ。変哲のないただの石だが、磨けば綺麗に光りますよ。部屋に置けば心が落ち着きますよ。

 獣耳をぴこりと動かして亜人の子が立ち止まる。ここで生きていくのだ。



 ————


 大事なのは、ただの石を売る意志。

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