海の魔物

(お題:凧、船、定年)


 海には魔物が住んでいる。


「空を飛ぶって、そりゃあと勘違いしとるよ」


「大輔くん、ほんとなんだで。空を覆うくらいデカかったんじゃと。ほらこの前の時化しけ、覚えとるか? あのとき沖に出とった大洋丸あったろう」


「いや植垣うえがきさん、その噂はすでに聞いたで。大洋丸がボロボロで帰ってきたって。乗っていた漁師は今も漁に出れんらしい。だけどそれはひどい時化のせいやろ。じいちゃんも最近の若いもんは気概が足りんって言うてたよな?」


「違う。大輔くん。大洋丸が無事だったのはな、むしろ時化のおかげらしいで。もしいどったら戻ってこれんかったろうて」


「もしかして植垣さん、それが空を覆う巨大なたこの化け物のせいって言うんか」


「そうだで。沈まんと帰ってこれたのが奇跡じゃ言うとったわ」


「流石に嘘と違うか。それが本当ならマスコミが黙っとらんよ。それに、海上保安庁の巡視船がとっくに見つけとるやろう。なあ、じいちゃん?」


「……大輔、おまえ、モビィディックを知っとるか」


 静かに煙草をくゆらせていたじいちゃんがゆっくりと口を開いた。


「モビィディックって、たしか大型船くらいある白鯨はくげいの名前やっけ」


「ありゃな、日本の沖に出たんじゃ」


「小説の話で、フィクションやろ?」


「そいじゃあ、赤鱏あかえいの島は聞いたことあるか」


「アカエイ?」


「昔、海を彷徨っとった船が、幸運にも陸を見つけた。助けを求めて島にあがったが、どこまで行けど人ひとりおらん。あるのは大量の藻だけよ。喉の乾きに溜まった雨水を飲もうとしたら、それも辛い海水だった。諦めた船乗りが島を出ると、その島だったものがゆっくりと潜っていった」


「……どうして急にそんな話を」


「明朝にを出す」


「じいちゃん! じいちゃんは普通ならとっくにを超えとるんやで!」


「わしは、パソコンも携帯もわからんが、海だけはよく知っとる。じゃが、まだ知らないことがあるのも海や。帰ってきたら、大量のたこ焼きを食わしちゃる」


 そう告げて。明朝にじいちゃんは仲間と沖へ出ていった。俺も植垣さんもじいちゃんを止めることはしなかった。


 朝焼けに濡れた海面で徐々に小さくなる船を見送る。じいちゃんは老いても消えることのない好奇心ロマンを、この水平線の彼方に探しに行ったのだ。


 海には魔物が住んでいる。



 ————


 海洋ロマンモノ。方言はてきとうです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る