第39話『火打石と瑠璃の島』
その小説は、心のバランスを取るためにあった。
はじめは、SNSでの論争に業を煮やしたことがきっかけだった。
『中世ヨーロッパをベースにした異世界ものに南米原産のジャガイモがあるのは、おかしい』
くだらない、異世界は中世ヨーロッパではないと一蹴すれば済む話だったが、互いに引き下がることはなく無益な言い争いを侃々諤々と続けていた。
放っておけば、どちらかが飽きて収まるのだが、火種は燻っているので忘れた頃に再燃し、そのたびに辟易とさせられる。
この論争に終止符を打とう、異世界にジャガイモを転移させる。
さて、問題は如何にしてジャガイモを転移させるか、だ。異世界転生ライトノベルで、もはや鉄板を通り越してミームになってしまっている、トラックを転移させようか。
いや、大型でもトラックに積載できるジャガイモの量では、爆発的に普及しない。これでもかと広めなければ、転移させる意味がない。
貨物列車が、あるじゃないか。
北海道で収穫されたジャガイモは、コンテナ貨物列車に積載されて日本全国に運ばれる。貨車一両に積載出来る五トン積みコンテナは五個、それが二十両も連なれば五百トンものジャガイモを、ひとつの列車が輸送することになる。
実際はジャガイモオンリーではないかも知れず、コンテナ満載のジャガイモが五トンにもなるかは、わからないが……。
とにかく、ジャガイモ輸送の主力は貨物列車だ。
ならば、貨物列車を異世界転移させればいい。
さて、どうやって異世界に転移させようか。
異世界の参考に、と手に取ったのは縁あって本棚に加わった、田原更先生の『火打石と瑠璃の島』。くだらない論争に太刀打ちすべく、くだらない小説を書こうとしながら、本格的な異世界ファンタジーを頼りにする。田原先生には、申し訳ない……。
同じ世界の中編が二篇収録された構成で、先の話虐げられた貧しい子供ユルヨと、民から崇められる「祈祷師様」の物語。
この祈祷師様が、神に祈ってジャガイモ満載貨物列車を転移させる。田原先生、本当にすみません。
これで執筆してみれば、昔取った杵柄でガッツリ鉄道を描写した。一話目の終盤まで異世界転移ものだと忘れるほどに、電気機関車運転士の挙動や心理を事細かに書き連ねている。
僕は、何がしたいんだ。
そんな調子でジャガイモを異世界転移させ、かの話題が燻るたびに「ジャガイモ転移させました」とリンクを貼りつけ、ジャガイモ論争は沈静化した。
しかし、それから先がサッパリ思いつかず、筆はピタリと止まってしまった。
そこにきて主任への昇進で仕事と人間関係に変化が起きて、大金を扱うプレッシャーがのしかかる。執筆している『椰子の実ひとつ』では、実の娘同様に育てた少女の頭上に、原子爆弾を落とさなければならない。執筆するたび、その瞬間が刻一刻と迫っていく。
仕事と趣味の両方から重圧を感じた僕は、精神の安寧を求めた結果、ジャガイモ転移小説を肩の力を抜いたギャグ小説として再開させた。
参考にした小説はあろうとも、異世界への理解が僕にはまるで足りなかった。かつてプレイしていたRPGゲームや、九井諒子先生の短編漫画集に答えを求めたものの、共通した世界観を読み取れない。
自分の異世界を築こうにも、筆者読者の共通認識が掴めない。
結局、僕はこの小説『ジャガイモ満載貨物列車が異世界転移し無双する』でも『椰子の実ひとつ ─電車の女学校─』でも、それぞれの苦しみを味わうことになってしまった。
どちらも早く終わらせたいが、どちらもプロットは決まってしまっている。話数を削って短く出来るプロットではなく『椰子の実ひとつ』に至っては、惨劇に近づくだけになってしまう。
しかし、しかしだ。
並行して執筆し、並行して投稿すると本気で取り組んでいる『椰子の実ひとつ』よりも、不本意な『ジャガイモ満載貨物列車が異世界転移し無双する』のほうが、PVを稼いでいるのだ。
小説投稿サイトの主力、異世界転移転生ものとはいえ、お粗末な小説が読まれてしまっている事実は僕を苦悩させるばかりだった。
読まれている小説は、支持されているという価値がある。しかし小説の価値とは、数字だけでは測れない。
だが小説投稿サイトではPVでランクが決まり、それが目に見える評価となる。
読者が口を揃えて「名作だ」と認めても、読者が少なければランキングには上がらず埋没する。
価値基準は人それぞれだが、名作が埋没するのは構わない。絶対数が少なくとも、評価をしてくれる読者が支えとなってくれる。『列車食堂』が、まさにそれだ。
が、駄作がもてはやされるのは、作者には苦しみしか与えない。
だからといって「読むな」とは言えないし、次話を期待して待っている読者を思えば、エタるなんて許されない。
結局、僕には面白おかしく書き続ける以外の選択肢は見つからなかった。
数字が結果のすべてならば『ジャガイモ満載貨物列車』は何が面白いのか、どこが魅力なのか、いいところがあるのかと、僕は迷いの渦に呑み込まれてしまう。
面白いって、何だろう。
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