第24話『バスが来ない』
去年は妻が大量に買って僕に遺した年の瀬の準備を、今年からは僕ひとりで行う。
と言っても、鉄道従事員は普段どおりにシフト制の仕事だから、年末年始の休業に備えて買い溜めをするだけ。今の休業期間は短いし、いざとなったら僕らのように休みがないコンビニがあるから、必死になって買い物をすることもない。
いつものスーパーへ自転車で向かう。だが、この日は不思議と信号に阻まれて、いつもとは違う道を辿る。碁盤の目に敷かれた道だ、どう行こうと走行距離は変わらない、と気にすることなく走っていたが、古めかしい筆書きの看板が僕にブレーキを握らせた。
これはあとから知ったことだが、神奈川県警だけが遺体の搬送を行わず、葬儀会社に委託している。その理由はわからない。
現場検証を終えた警察官が、その旨を説明すると葬儀会社の電話番号を書いたメモを、僕に見せた。三社あるが、どこがどんな会社なのかわからない。
ただ狼狽えるだけの僕を見かねて、警察官がよく依頼するのは、と一番上に書いた会社を指差した。僕は言われるがまま、そこに搬送を依頼した。
その日の夜、葬儀会社から電話がかかった。妻をどこの霊安室に納めたか、搬送費用と妻を包んだ袋の代金、そして葬祭場と日程の打診をされた。
何をすればわからない中、至れり尽くせりの手配をしてもらえたことに礼を言い、葬儀の場所と日程が決まったと母に電話をした。
しかし……
『あんたの家のほうまで、お坊さんを呼べないわよ。お寺の近くじゃないと』
えっ、と息が詰まった。急な予定の変更よりも先に、次男、つまり分家筋に当たる僕の妻が、菩提寺に納まってもいいのかと驚かされた。
「うちのお墓に入っていいの?」
『当たり前でしょう? とにかく、うちのお坊さんをそっちまで呼べないからって断りを入れなさい』
電話を切って、すぐ葬儀会社に連絡すると、態度が急に一変した。折っていた腰はそり返り、怒りを露わに罵声にも似た叱責を、客ではなくなった僕に浴びせた。
『どの斎場でやるの!? まだ決まってない!? そういうのは、決まってから電話するんじゃないの!?』
「すみません。決まったら、また電話します」
電話越しに頭を下げて、切ったスマートフォンで菩提寺近くの葬祭場を検索する。
前の会社のグループ会社の葬祭場が、駅のそばにある。すぐ見つけなければとコールセンターに電話すると、女性ふたりがクスクスと笑いながら対応をしていた。
何だ、この会社は……。酷さは身をもって知っていたが、これはあんまりだ。
電話が葬祭場の担当に変わると、礼節を重んじた対応をしてくれた。これが普通なのだろうが、先の葬儀会社との一件もあるから、心底ホッとする応対だった。
『正直申しますと、うちは高いので……。せっかくお電話頂きながら申し訳ございません、他を探しては如何でしょうか』
「ご丁寧に、ありがとうございます。それで……」
と、感情を込めずに先の非礼を担当に伝えた。
『それは、申し訳ございませんでした。こちらから伝えます、大変な失礼を致しました』
「こんなときに声を荒げたくはありませんし、以前いた会社の系列ですから、私はいいんですが……」
そう、大変なときだからこそ、喪主の僕が冷静でなければならない。感情に流されてしまっては、何ひとつ進められない。
気を取り直してインターネットで葬祭場を探してみると、テレビCMでよく目にする葬儀仲介サイトがヒットした。菩提寺近くの葬祭場が載っており、価格も安い。
すぐ連絡し、事情を話し、菩提寺近くの霊安室と葬祭場を予約した。やっと決まった、そう安堵して妻を預かる葬儀会社に連絡をする。
『そんな斎場ないよ!? 仲介するホームページは、斎場の名前を変えて掲載しているの。で、その正式名称は!?』
知らなかった……そんなルールがあったなんて。消え入りそうな義務感をガッシリ掴み、仲介サイトに葬祭場の正式名称を尋ねて、葬儀会社に伝える。
『あー、はいはい、わかりました。それで、そっちの霊安室には、いつ移送するの?』
ことが済むと、次の課題が与えられる。葬儀会社は僕が客ではなくなったから、こんな対応をするのだろうか。しかし僕は、妻の亡骸を人質に取られているから、不手際を謝り従うしかない。
「すみません。確認して、また電話します」
『旦那さーん、しっかりしてくださーい』
その葬儀会社が今、目の前にある。あのときは妻のためだ弔うのだ耐えろ耐えろと、煮えくり返る
働いている駅で世話になっているから責めたくはないが、遺体の搬送くらいは自分でやってくれないかな。搬送した会社が葬儀を取り仕切っては、僕のようなトラブルが繰り返される。
清水義範先生の『バスが来ない』に収録された「宗派不問」の渦中に呑まれたみたいだったな。
いいや、あれは葬儀会社のドタバタ劇で、喪主と亡骸が葬儀会社をたらい回しにされる話ではない。
どちらにせよ、イライラさせられる話がテーマには違いないか。
僕は視線を進路に向けて、ペダルをグイッと踏み込んで、葬儀会社を背後に消し去っていく。
頭の中を買い物する品で埋め尽くし、ハンドルを切っていつものスーパーを視界に捉えた。
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