第42話『永遠のジャック&ベティ』
大晦日、非番の僕は急いで帰宅し、留守を守った猫たちに『ごはん』と『おやつ』、仏壇の妻に線香をあげて、すぐそばにあるリクライニングチェアに身体を沈めた。慌ただしくスマートフォンのアプリを開き、視聴したのは昨夜の読書実況配信だ。
書籍化を目指す配信で、商業作家もコメントするウェブ作家には恐れられているチャンネルで、ときには配信者や視聴者から手厳しいコメントが飛んでくる。僕も『稲荷狐となまくら侍』で『飽きた』と一蹴されてしまった。
それから配信を視聴して、コメントに加わって、書いて書いて文章を鍛え『列車食堂』を応募した。
昭和モダンを駆け巡る食堂車の大騒動、遥か遠くなってしまった日々を戦後に懐かしむエピソード、窮屈な厨房で作られる洋食の数々、祖父をモデルにしたコックの人柄に、誰もが魅了されていた。
『それじゃあ、続きを読みたい人は挙手』
『ノ』
『ノシ』
『ノノノ』
僕が走らせた昭和モダン特急に、たくさんの人が乗車したいとチャット欄に手を上げた。それから、読者実況がキャンセルされた配信で『列車食堂』は少しずつ読み進められた。
基本的にコメディ調だが、中盤の物語で配信者の様子が変わった。
『あれ……? 何か、文章の熱量が……』
織田作之助『夫婦善哉』にも登場する、難波自由軒の混ぜカレーを下地にした話だった。小説のコメント欄にもあったとおり、配信者がゲラゲラと声を上げて笑いはじめた。
* * *
「言い訳無用!」
言い訳させたのは支配人なのだが、それは腹の底に仕舞った。今はただ、絨毯の感触を額で感じるだけである。
『支配人に、このカレー食わせてぇなぁ~』
「だから、どんなカレーライスなのかと聞いているんだ! 四の五の言わず作って持ってこい!」
『四の五の言わず作って持ってこいwww』
この話を読み終えた配信者は
『もう一回読もう』
と、カレーライスのおかわりを求めた。
配信は爆笑の渦にあり、昭和モダンを深く味わう流れが完全に変わり、この物語を読む全員が『列車食堂』に乗車していた。
しかし七万字に満たない物語は、あっという間に読み終えてしまう。配信者は終焉に向かう雰囲気を悟って
『ああ、理解した』
と言ったものの、終わりに近づくにつれて
『勝手に終わるなよぉぉぉ! くぅ〜! もったいない!』
と身悶えて、読了したその瞬間には配信者の称賛とともに、配信者の満面の笑みと拍手が贈られた。
そして、この一年間で読者実況した中からベストの十作品が選ばれて『列車食堂』がトリを飾った。
僕は今、その配信を視聴している。
数値化された評価の合計点は、全作品の中で最高だった。配信者のコメントは
『いやー、よかった。何も言うことがない』
に、はじまった。これは配信のあとに切り取られ、SNSでの宣伝に使われていた。
今までの執筆活動で、今日が最高の一日だ。祖父をモデルに話を組み立て、そう長くはないが生涯を賭けたと言ってもいい鉄道を描き、妻が宿題として遺した料理が活かされている。そんな『列車食堂』は、僕だけの物語ではない。僕に関わったすべての人の物語と言ってもいいくらいだ。
高揚している僕はまるで、清水義範先生の短編集『永遠のジャック&ベティ』に収録された「栄光の一日」の、長年詠んできた俳句をテレビ番組で取材されたお爺さんみたいな気分だった。もしマイクを突然向けられたら、まとまりのない話を上ずった声で、止めるも聞かずに喋り続けることだろう。
しかし、そのあとである。
配信者は身体の奥から、腹の底から絞り出し
『強いて言うなら! 強いて言うなら!』
と繰り返して『列車食堂』に対する意見を述べた。
ここは、そういう配信だ。小説が書籍化に近づくようにと、歯に衣着せず批評する。忌憚のないコメントに怒ってログアウトしてしまう作者もいるが、僕は受け止めようと姿勢を正した。
『六万字しかないんだよなぁ。十万字書いていれば書籍化は間違いないんだけど……』
視聴者もそれに乗って、話を増やすか膨らませるかと、どう字数を増やすのかをコメントしていた。
やはり、十万字が出版社にとって都合のいい字数なのか。原稿用紙換算のギリギリでは、公募も通らないのだろうか。いずれにせよ今の僕には、四万字も膨らませるのは出来そうにない。
『あと話ごとに語り手が変わっているけど、文章に区別がないんだよ。書けなかったのか、あえてそう書かなかったのか……』
それは後者だ、仕掛けとして行った。が、性差があっても語り手は誰だろうかと引き込まれるだろうから、その区別はあってよかったのかも知れない。
そう思ったものの、読んで女性とわかる文章を僕はまだ書いていない。書けなかった、そう捉えられても否定する材料がない。
批判的な意見はなかったが、僕には反省点が多い配信となった。視聴を終えてテーブルにつき、再び動画を再生し、指摘された点をメモしていった。
この配信を、SNSでのウェブ小説大賞を出版社は、どう思っているのだろうか。俳句をテレビ番組のミニコーナーで紹介されたお爺さんと同じで、『商品』にならない小説がインターネットの片隅で評価をされた、それだけのことなのかも知れない。
そうだとしても、僕は『列車食堂』を諦めない。妻や祖父、僕に関わったすべてに報いる、そのために筆を執り続け、この小説を檜舞台に引き上げる。
そうだ、僕は書き続けるんだ。
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