第37話『サンキュ!』
「また駄目だったよ」と、肩を落として仏壇の妻に報告をした。渾身の作である『列車食堂』が、二度目の公募でも落選した。
公募は結果が出るまで時間が掛かる。それが二度ともなれば、もう一度という気力が薄れてしまう。また公募に出して一年ほど待つと思えば、それだけでゲンナリしてしまう。いっそ公募は断念し、小説投稿サイトで公開しようか。
しかし、公開してしまえば公募に出せなくなってしまう。小説投稿サイトの文学賞か、ほんのわずかしかない公開作品を受け入れる公募、編集者の拾い上げしか書籍化するチャンスがない。
原稿用紙換算では公募の要件を満たしていたが、小説投稿サイトは字数が条件となる。長編は十万字以上、短編なら一万字以下、『列車食堂』は六万字ほどだから中編となり、行き場がない。
つまり『列車食堂』を公開すれば、公開作も対象とする公募か、拾い上げしかチャンスがなくなる。
いいや、希薄でもチャンスがあるなら挑戦すべきだ。この小説は公募に通りそうな匂いはしないが、絶対に面白い。知る人の少ない戦前昭和の食堂車、逃れられない戦争の波に呑まれる日本、敗戦により失われた華やかな文化、そして祖父をモデルにした主人公のキャラクター、隙のない小説だと自画自賛してしまう。
そう、隙がないんだ。
十万字を達成するため字数や話数を増やそうか、と『列車食堂』を読んでいるが、悪戯に字数を増やせば、鉄道らしいスピード感が損なわれる。話数を増やそうにも、誰もが知るメニューは使い果たしてしまっている。無理をすれば増やせるだろうが、倍近い四万字ものストーリーもメニューもない。
プロの作家や編集者が見れば、手直し加筆修正をすべきところは多いのだろうが、僕の中で完成してしまったことが、この物語にとって最大の不幸だ。
ああっ! 駄目だ駄目だ!
読んでいたら、お腹が空いてきた。
そうだ、今晩はハヤシライスを作ろう。
ひとつの洋食メニューに、ひとつのエピソードで書いた『列車食堂』。ネタ探しにネットサーフィンしてみたら、ルーを使わないハヤシライスのレシピを見つけた。
正確には、ポークハヤシ。『サンキュ!』という主婦向け雑誌の2020年5月号に載ったレシピがホームページに上げられていた。図書館に行って、間違いなく掲載されていることも確かめている。
ハヤシソースに使うのはトマトケチャップ、ウスターソース、そして醤油。この意外性に、僕は目を見張った。作ってみたら、あっという間に出来た上に、しっかりハヤシライスで驚かされた。
これに時局柄を重ねて、ハヤシライスにまつわる物語を書き上げた。
その物語は六千字にも満たないが、短い話を三つ重ねてひとつにしている。主人公の唐突な見合いにはじまり、仲人を務める呉服屋の主人と主人公との出会い、そして主人公の結婚生活という構成だ。
時系列が飛んでいるから、わかりにくいかも知れない。途中から回想に入る物語を苦手としていた妻は、きっと認めてくれないだろう。それでも、この構成しかないと思って僕は綴った。
他にも仕掛けはたくさんある。語りから入る冒頭を、最終話で回収している。オムニバスをいいことに、物語ごとに語り手が変わっているが、はじめは語り手を明かしていない。一人称から語り手が思考出来ない事態に陥り、一行だけ三人称に変わる。あえてセオリーを破壊しに行った、実験的かつ挑戦的な文章だ。
あまり丁寧な書き方ではない、読書経験が浅い人には、わかりにくい文章でもある。それが下読みで嫌われたのだろうか。
また共同出版した本の狙いでもあるが、低価格化も狙っていた。本の価格はページ数に比例するから、厚みは薄く内容は濃くして、コスパのよさをアピールしたかった。
しかし、ネット投稿小説の文学賞が十万字以上を対象とするなら、それが出版社にとって都合のいい価格帯なのだろうか。短く深く、それでいて安い本は薄利で商売にならないのか。
『列車食堂』を出版する手立ては、ないのだろうか。
電子書籍の自己出版という手段もあるが、その中で一番売れていないジャンルは小説だから、尻込みしてしまう。
同人誌の形態で自費出版なら、費用を抑えて紙の本を販売出来る。しかし、盆暮れ正月平日休日関係なく働いている現状では、即売会に参加出来ない。
いずれにせよ、僕も妻も大好きな本屋を元気づけたいのも共同出版した動機だから、電子書籍や即売会は気が進まない。
などと考えているうちに、ハヤシソースが仕上がった。キャベツの千切りに茹でたコーンを散りばめて、ドレッシングをかけただけの簡単サラダ、顆粒のコーンポタージュスープも添えて、夕食にする。
ハヤシソースは、ご飯を染めて通り抜けるほどのサラサラ具合、牛肉と玉ねぎを小麦粉で炒めれば、とろみがついた。次に作るときは、そうしよう。
スプーンですくって口へと運んで、調味料だけで作られたハヤシソースの味を堪能する。うん、しっかりハヤシライスだ。ほんのりした醤油の香りが、魂を鷲掴みにする。
料理って、不思議だ。調味料だけで、こんな味になるなんて。
妻を失い、ぽっかり空いた穴を埋めたのが、料理だった。それが今、小説もその役割を担っている。
公開しよう。僕のルーツであり、僕を支える料理を描いた『列車食堂』を。読みます企画に応募して、編集者の拾い上げを期待しよう。
食事を済ませてお腹を落ち着かせている間、小説投稿サイトに『列車食堂』と打ち込んだ。
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