第36話『娚の一生』

 前作を超えなければ、と僕は焦った。

 手前味噌ながら『稲荷狐となまくら侍』は面白い小説だったが、もう完結させている。続編の構想をしていたが、大正時代も現代もピンとこない。

 それに、いつまでも同じ物語を書いていては成長しない、お稲荷様のコンコを超えるキャラクターを生み出さなければ先がない、そんな気がしてならなかった。


 そしてひとつ、消化不良を起こしていた。

『稲荷狐となまくら侍』の中で、魔女狩りの魔女を描いていた。

 魔女狩りから逃れて横浜に渡り、山姥との平穏な暮らしを望む魔女と、務めを果たそうとするエクソシスト、その間に立つコンコとリュウを書いたのだが、もっと踏み込みたいと思っていた。


 魔女狩りを通して魔女を書きたい。それもプロテスタントの魔女ではなく、忌み嫌われるカトリックの魔女を……という僕自身は破戒仏教徒で、お稲荷様も信仰している。つまり、いわゆる魔女とは縁がない。

 ところが便利な世の中で、インターネットを駆使すれば魔女とは、魔女狩りとは、と解説するページや動画がすぐ見つかる。信憑性は疑わなければいけないが、ちゃんと資料を提示して解説しているものも探せばある。


 そうして練ったプロットは、こうだ。


 史上最強の魔女に家族も暮らしも焼き尽くされた木こりの男は、その恨みを晴らすべく勇者が率いるパーティーに加わる。

 魔女の住処に辿り着いたが、迎えたのは失った娘と同じくらいの少女。魔女の孫娘であり、仇の魔女は死んだという。


 生まれてすぐ両親を失っていた孫娘は、この世界でひとりぼっちになってしまった。木こりは悩んだ末に、少女を育てると誓いパーティーを離脱する。

 しかし少女は、仇の魔女を凌駕する最強の魔女、しかもその魔法は暴走しっぱなしで制御不能……。


 よし、決まった。魔女狩り要素は、ストーリーの中に組み込める。素性を隠しての買い物や、勇者が攻め入った際、木こりが板挟みになって苦悩する。この設定で書き進めよう──。


 西炯子先生の『おとこの一生』そのクライマックスの違和感が、僕の身体を凍りつかせた。


 やってしまった、禁忌に触れた。


 少女というか、幼女だからサバトがないのは仕方ない。問題は、魔女のキモである制御出来ない魔法だった。


 東日本大震災の傷がまだ癒えていない今、自然物を操る魔法で地震や津波を描けない。液状化現象も被害に遭った地域があるから、違った魔法にしなければいけない。

 薬作りで爆発し、屋根が吹き飛ぶ描写は京都アニメーション放火事件を連想させる。


 この設定は災害や事件を笑いにしているようで、不適切かつ不謹慎だ。細心の注意を払わねば、この小説は描けない。


 しかし、魔女の子を描いているうち、僕の実の娘のような存在にまで成長していた。

 この子をこの世界から消し去ってしまうなんて、僕には出来なくなっていた。腫れ物のような物語を最後まで描く責任が、僕に生じた。


『娚の一生』を読んだのは、東日本大震災のあと。年の差恋愛を楽しんでいたが、終盤に大地震で被災した町が描かれており、被害に対する認識の甘さにゾッとした。

 この作品が完結したのは東日本大震災の一年ほど前だから、地震に対する認識が今とは違う。未曾有の大震災のあとに描いたのならば、クライマックスは違う形になっていたはずだ。


 そもそも東日本、いいや阪神淡路大震災より前の作品には、地震がよく描かれていた。それほど被害が大きくなく、被災地を容易に駆け回ったり、生命を落とすキャラクターが少なかったりしたものだ。


 あれから、地震はタブーになってしまった。描けないわけではないが、かつてのような舞台装置の枠には収まらず、ひとつの大きなテーマになり、まだ癒えていない心の傷を掻きむしらないよう、慎重に描かなければならなくなった。


 それでいい。恐怖を正しく伝えなければ、被害に遭われた方々が報われない、失われたものを無駄にしてはならない。


 僕だって被害は軽微だったが被災した。地下トンネルを走行中の担当列車が激しく揺れて、地下駅を目前にして停電した。

 乗客が理解を超越した事態に不安を募らせる中、僕はマイク一本で希薄な情報を伝え続けた。


 一時間後、ようやく避難誘導の許可が出て、不安を外へと押し出していった。

 電車が再び走れたのは、夜遅くになってからだ。線路が陥没するかも知れないから、もちろん回送。命懸けで走る電車に乗ったのは、はじめてだった。


 あの日のことは、忘れない。忘れないため、伝えたいがために、僕はそれを小説にして共同出版したんじゃないか。


 ならば災害の恐怖を、娘同様に小さな魔女を心配する木こりに託す、この物語を最後まで書き続けるためには、これしかない。

 ただし、物語の面白さは損ないたくない。家族を失った魔女の少女は重苦しいテーマだが、木こりと一緒に暮らすことで、幸せでいてほしい。

 少女と木こりがこの境遇を乗り越えた先に、何が待っているのだろう。


 僕は、意を決して物語を綴った。この物語を乗り越えた先には、どんな未来が見えるのだろうかと。

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