第32話『ぼくらの七日間戦争』

 コンコとリュウの物語『稲荷狐となまくら侍』を書き進めるうち、何を書くかは僕にとって問題ではなくなった。物語を如何に描くか、それが僕の課題と感じるようになっていった。


 紙の本の小説ならば、アイドリングからはじめて回転数を次第に上げて、フルスロットルに持ち込むことが許される。低回転から突然ターボを効かせてもいい、清水義範先生の短編に多いパターンだ。

 しかし無料で気軽に読めるネット投稿小説では、はじめからベタ踏みしなければブラウザバックされてしまう。それで冒頭の練習にオムニバスを書いているが、僕の文体は硬くて古い。


 しかし今の文体は、どのようなものだろう。小説界隈を席巻するライトノベルとは、どんな文体なんだろうか。

 古典ばかりを読んでいるわけではない、流行りの小説にも時折手をつけていた。が、今の小説というものが、僕にはどうにも掴めずにいた。


 はじめての小説体験は小学生の頃。ジュブナイルなら最後まで読み切れそうだと思い、宗田理先生の『ぼくらの七日間戦争』を本屋で買った。

 面白かった、しかし僕には物足りなかった。

 教科書に載る、学年ごとの読解力を考慮した小説が僕の入口だったから、もう少し早いうちに読んでいれば、満足出来たのかも知れない。


 それから高校時代まで古典や近代、プロレタリア文学を図書館で借りて読んでいた。それが僕の文体の基礎を築いたのだろう。

 短期大学に進学し、転換点が訪れた。先生に薦められるがまま清水義範先生と筒井康隆先生の小説を読み、衝撃を受けた。


 こんな文章を書いていいのか、文章だけで身体が震えて腹がよじれ、声が出るほど笑うことってあるのか、と。


 前の会社に入ってから、車掌になってから、妻と出会ってからも、両先生の小説を読み続けていた。だから「面白いよ」と妻に薦めてみたものの、乱視だから目が疲れると言って、ひとつも読もうとしなかった。


 そんな妻が突然、貪るようにライトノベルを読みはじめた。次から次へと読了し、いちいち本屋に行くのが面倒だからと、大量に買って平積みにした。

 当然、僕がしたように「面白いよ」と薦めてきたが、ジュブナイルの一件から「物足りないかも」と断っていた。


 それから一年もしないうちに、妻は自らこの世を去った。遺された大量のライトノベルを僕は一冊も開くことなく、いくつもの箱に詰めて古本屋にまとめて売った。


 どうして売ってしまったんだ。今、流行りの小説が何なのか、今の文体がどんなものか、知りたくて仕方がない。

 しかし星の数ほど存在し、日々大量に刊行されるライトノベルの、どれから手をつければいいのか、僕にはまるでわからない。


 そうだ、ライトノベルを書いているフォロワーがいる。

 SNSで宣伝している中から、これなら読めそうだと思った小説を開いてみた。


 二度目の衝撃が僕に走った。


 鉤括弧を重ねている!? 声を重ねているときは、二重鉤括弧を使うのがセオリーだ。しかしこちらのほうが、何人が声を揃えているのか一目瞭然、呼吸まで重なっているようにも感じられる。


 鉤括弧が覆い被さり、先の台詞が消えている!? 括弧を閉じないのはルールに反する使い方だが、先に発言したキャラクターが蓋をした感情が、台詞を被せたキャラクターの強い意志も伝わってくる。


 三点リーダに罫線が続いている! 噤んだ言葉が放散し、粒子が大気中に溶けていく。残された感情がキャラクターの胸を締めつけている。


 湧き上がった感動を、押さえきれない感情の赴くままにメッセージを送信したが、フォロワーからは「私が編み出したのではありませんが」にはじまる「何が不思議なのか」とポカンとした顔まで見えるメッセージが返ってきた。

 そうか……ライトノベルでは、これが普通のことなのか。


 目を奪われたのは、符号の技巧ばかりではない。一般文芸と遜色ない文章で、光が失われた異世界でなければ描けない物語、その世界でなければ存在しないキャラクター、それらが僕の周囲を染め上げ、寄り添っている。芯まで冷える明けない夜にポツンと灯るランプの光が、僕の行く先をぽわっと照らし出していた。


 この一作にしか触れていないが、ライトノベルは文芸に新たな一歩を踏み出させている。SNSでは批判的な意見も散見されるが、決まり決まった符号の使い方では描き切れない表現が、ライトノベルにある。

 そしてこの作品は、とても優秀なファンタジーだ。世が世なら書籍になっていても不思議ではない。それがどうして無料の投稿小説に甘んじているのか、僕は理解に苦しんだ。


 どれだけ面白くても、PVを稼げなければ書籍化されない、PVを稼ぐには目に留まらなければはじまらない、目を引くためにはタイトル、あらすじ、タグ、ファンアート……。

 道標みちしるべはあちこちを向いており、どれが正しいのかわからない。そもそも文芸に「これ」と言い切れる正解はどこにもないと、先人が教えてくれている。

 僕は、とんでもない世界に踏み出したのかも知れない。

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