第30話『陽だまりの樹』
小説投稿サイトで読まれるためにキャラクターを立てなければならない、それが正解なのかはわからないが、考え至った答えだった。
それと同時に、鉄道開業百五十周年を控える中で新駅建設に伴って発掘された海上線路跡、高輪築堤が公開された世間の盛り上がりに、僕は苦虫を噛み潰していた。
海上線路は横浜にもあったのに……それも鉄道の必要性を明治新政府に訴えた材木商、高島
押し寄せる文化を吸収し、瞬く間に発展した横浜を西欧人は「まるで魔法の杖だ」と評した。それは手塚治虫先生の『陽だまりの樹』で描かれており、横浜で育った僕にとって誇らしいひとコマだった。
文明開化の最先端、横浜に育った矜持が内なる炎を燃え上がらせた。
引きつける冒頭を書き、魅力的なキャラクターを登場させて、文明開化真っ只中の横浜を描く。
今こそ、本当の横浜を書くときだ。
急速な近代化を遂げながら生活は幕末そのまま、これが明治初期の面白さだ。スチームパンクならぬサムライパンク、蒸気船が接岸し陸蒸気が往来する洋館が建ち並んだ港町を、着物姿の侍が刀を差して闊歩する。わざわざ創造しなくとも、物語の舞台はすぐそばにある。
明治初期で連想するのは、妻が好んでよく訪れた上野恩賜公園だった。駅から上野の山に上がって、西郷さんの左手側に建立された彰義隊戦死者碑を、僕は訪れるたびに拝んでいた。これも『陽だまりの樹』の影響で、幕府への忠誠を誓い散った隊士に、思いを馳せた。
ならば主人公は、元彰義隊士に決定だ。上野戦争で死を覚悟して戦いながら死にきれず、流れ着いた横浜で用心棒を務めていたが、廃刀令で職を失う。
物語の舞台は、廃刀令が施行された明治九年に設定しよう。侍を二十歳にするなら上野戦争の参戦は元服前、家督を継ぐ前の若さゆえの行動だ。
名前は……参戦で葬ったたことにしよう。名前を失ったまま、明治を過ごした元隊士がいたそうだ。
対峙するのは明治新政府ではなく、あやかしだ。廃刀令を回避するなまくら刀で、あやかしを斬る。その能力は、相棒が呪文を唱えている間のみ、侍と相棒の呼吸が合わなければ斬れない。
パトロンはもちろん、高島嘉右衛門。明治初期の横浜を舞台にしたのは、彼のためであるからだ。
その相棒だが……これをキャラ立てさせたほうが良さそうだ。若侍がカッコいい担当ならば、相棒は可愛い担当だ。
さて、文章だけで可愛いキャラクターを描けるのだろうか。
自信がない、僕が可愛いと思うものをギッシリと詰め込もう、それしかない。
開港後、港の奥側に当たる横浜の吉田
お稲荷様で決まりだ。呪文は
いっそのこと、性別をなくそう。神様なんだし、それが原因でひとりではあやかし退治を出来ない、極度の恥ずかしがり屋で性別を選べなかったと設定しよう。
要するに、男の娘の逆を取る。
性別がどっちでもないなら、見た目は第二次性徴期直前の十歳くらいで、髪型は男児女児共通だったおかっぱ頭、一人称は幕末明治から使われたどちらでも通用する「僕」だ。年齢は、横浜に人が暮らしはじめた頃から住んでいるから三百歳、幼い見た目でこの年齢は、刺さるものがある。
頭に浮かんだビジュアルは、可愛いぞ。これならファンアートをもらえるかも知れない。
お稲荷様の名前は、狐の子だからコンコ。若侍はコンコが筋骨隆々から授けてリュウ。安直だけど、子供っぽいコンコらしい。
ネット投稿小説では、直球タイトルがウケるようだから──
『稲荷狐となまくら侍 ─明治あやかし捕物帳─』
……横浜感がない、それはあらすじで補うか。
湧き上がるアイデアを文章にして、休みや非番、移動時間や休憩時間をその小説に費やした。
可愛いコンコとあやかしを退治するうち、賊軍の過去を背負った呪縛から次第に解き放たれていく。
凄い、キャラクターが自ら動く。習作として手短に終わらせようとはじめた物語だったはずが、湯水の如くアイデアが湧いて終わりが見えない。
「勉強熱心ですねぇ」
メモを疾走る筆を止め、それを手の平で覆わせたのは、駅の清掃をしてくれるおじさんだった。僕は「ただの暇つぶしです」と作り笑いを歪ませた。
しまった、夢中になり過ぎた。
列車が到着する合間、人波が切れる瞬間を縫い、改札窓口で下書きを組み立てていた。手の平で覆い隠したメモには、辞書より小さな文字をビッシリと書き込んでいる。
改札窓口を主任に引き継ぎ、休憩に入る旨を助役に告げる。夕食を早々に済ませ、喫煙所に籠もってメモを開き、小説投稿サイトに打ち込んでいく。
手前味噌だが、何て面白い小説だろうか。コンコもリュウもあやかしも、脇を固めるキャラクターも魅力的で可愛くカッコよく、時代の変化にときどき物悲しくも、楽しい気分にもなれる。これならどこに出しても、誰に読まれても恥ずかしくない。
また、僕の本の刊行を知ってか知らずか、会社に申請すれば副業が許可されるように社内規程が変更された。業務内容例として「執筆」とあったから、疑わずにはいられない。
しかし、僕にとっては追い風だ。仕事に差し支えないよう注意しなければいけないが、大手を振って執筆出来る。
書きたい、まだ書いていたい、もっと物語を紡ぎたい。小説を書いていなければ、頭がおかしくなりそうだ──。
コンコとリュウのふたりと離れたくない。物語が尽きるまで、ずっと一緒に過ごしていたい。
いつしか僕の心の
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