第14話『僕の小規模な失敗』

 八月半ばに差し掛かる頃、いいことを思いついたと僕はホームセンターと八百屋に走った。買い求めたのは麻殻おがらと胡瓜と茄子、僕はお盆をもう一度やると決めた。


 本当は、よくないのかも知れない。どんな厄災が降りかかるか、わからない。それでも妻を再び呼びたくなったんだ。


 そうして迎えた八月十三日……は仕事だから一日遅れの八月十四日の夕暮れ。玄関先に馬と牛と皿を並べて、麻殻を積み上げ火を灯した。燃え尽きて骨のように白くなった麻殻をじっと見つめていると、微かな人の気配を感じた。


 妻だ、帰ってきてくれた。

 しかし、七月のお盆より気配が薄い。やはり二度目だからなのか、それとも一日遅れたからか。


 灰と化した麻殻を引き上げ、玄関を閉めて二階に上がる。妻が帰ってきたというのに、猫たちは思い思いの場所に寝そべり、惰眠を貪っていた。

「ママ、帰ってきたよ」

 そう声を掛けても、首だけをもたげて眠たそうな目をしてみせて、しばらくしたら眠ってしまう。


 とりあえずリビングに戻って、妻の定位置である仏壇に線香を手向けた。

 さて、七月は好きだったものを食べさせてばかりだったが……今日は、ハンバーガーチェーンのフライドポテトをたくさん食べよう。明日の休みは以前暮らした町の中華、それとチェーン店のうどん……って、これでいいのか。亡くなるまで食べられなくなったとはいえ、妻の希望は美味しいものを食べるだけではないはずだ。


 今日が非番で、明日が休み。明後日が泊まりで、明々後日の非番には送り火だ。一日一緒に過ごせるのは、明日のみ。せっかく呼び戻したんだ、こんなチャンスを逃してはならない。

 僕はハッと思い立ち、仏壇に納まっている位牌を見つめた。

「……そうだ、明日は海に行こう」

 陽が落ちるのを待ち、僕はその夜の予定を変えて妻とうどんを食べに行った。


 そして、明くる日。

 妻はついてきてくれるかな、そんな一抹の不安と期待を抱いて、前の会社の電車に乗った。終着駅のひとつ手前、駅前から伸びる路地を抜けると真っ青な海が広がっている。

 彼女と、妻になる人とはじめて顔を合わせた日、長く伸びる砂浜をずっと話を聞きながら、三駅分も歩いた。それから電車に乗って異国情緒が漂う港町を歩いて、かつて暮らしたという町にある自然公園で十月桜を見つけたんだ。


 その翌日、僕は筋肉痛に苛まれ、脚を引きずって乗務した。

「……どうしたの?」

と組んでいる運転士に尋ねられて

「いや、ちょっと、歩き過ぎまして……」

と包み隠していたものの、噂好きの運転士に

「昨日一緒にいた女の人、お姉さん?」

と尋ねられ、僕は隠しきれないと観念した。


 噂好きの社風だから、あっという間に噂が広まり

「よかったなぁ、よかったなぁ」

と、色んな人に面白がられた。モテたことは一度もないけど、そんなに面白いかとはらわたがふつふつしたのが思い出される。


 かつて関東各地から海水浴客が押し寄せたという海岸線は、近所近隣の親子連れが波打ち際で遊んで甲羅干しをする程度。それを横目に砂浜沿いをただ歩いているだけの僕は、ハタから見ても自分自身を見つめても異様だった。

 この世界から自分だけが切り取られ、小さなコマに押し込められたような気分だ。福満しげゆき先生の『僕の小規模な失敗』みたいに。


 この状況に耐えきれず、明日の仕事も考えた僕は隣の駅から電車に乗って、港町へと向かっていったが、そこでもひとりぼっちには変わらない。

 妻が大好きだったフライドポテトを食べるため、ショッピングセンターへと足を踏み入れ、喧騒の中でひとりもくもくとハンバーガーを食らう。

 妻がついてきてくれている、そう強く念じても、本当にそうだとしても、亡き妻に縋るひとりの男でしかない。


 もう、帰ろう。焼きつけるような日差しが、寒々しい。


 帰宅して、料理の成果を見てもらい、寝て起きて会社に行って、翌朝帰って昼寝をし、妻を茄子の牛に乗せて五十六億七千万年先へと送った。


 僕は、疲れ切っていた。全身が重だるくて、気が晴れない。小説のアイデアは浮かばないし、意欲もない。今日の晩ごはんは冷凍食品になるだろうか、そもそも食べる元気は残っているのか。明日の休みを、ぐったりと過ごすことが目に見えていた。

 これがお盆を二回やった報いなのか。後悔はしていない、また来年もやろうと思う。生前、妻にしてあげられなかったことを、妻に尽くしきれなかった悔いを、生命に代えても晴らそうとした。


 猫が転がるベッドに横たわった僕は、何も出来る気がしなかった。生きている感覚はどこにもない、生きる気力はどこかへ消えてしまっていた。

「……死にたいなぁ……」


 何の気なしに口を突いて出てきた言葉に、僕自身が驚かされた。

 僕は何を言っているんだ、死ぬ気力さえないじゃないか。だいたい、妻に託された猫を遺して逝けるはずがないじゃないか。

 思い直した僕は、ハッキリした意識を持って言い直した。


「早く死ねるようにならないかな……」


 僕の声に気づいた猫が、姿勢を直して僕の身体にもたれかかった。僕が妻の元へと逝くことを、妻も猫も許してくれない。

 ペッと満員電車から吐き出される、そんな場面が思い浮かんで離れなかった。

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