第10話『この星の空の下』
七月十三日、非番の夕方。玄関を開け放って馬のヘタをこちらに向けて、適当な大きさの皿に積んだ
立ち上る煙とともに、僕の脇をすり抜けて家へと吸い込まれていく気配があった。玄関に腰掛けて、麻殻がうねる様を見つめる僕は、火から目を離さずに笑みをこぼした。
「お帰り」
背後を見ないまま呟く僕を差し置いて、妻は煙とともに階段を上がったようだった。二階には猫たちがいるから、久々に顔を見に行ったのだろう。
僕も上に上がりたいが、麻殻はなかなか焼き尽くされない。小さくなった、と思ったそばから燃えていない麻殻に渡る。僕も、すべて焼き尽くしたほうがいいような気がして、半分だけ燃えた麻殻を火に投じる。
焼き尽くされて細い煙を立てる麻殻は、お骨そっくりだった。それでこれが選ばれたのかと、ひとりで納得してしまうほどに、告別式を思い出せとでも言うように。
妻の棺を火葬する際、僕は炉に飛び込んでしまわないように踏ん張っていた。冷たい精進弁当を振る舞って、
火葬が済んで、すっかり細くなってしまった妻と対面する。まだ若かったから、喉仏はしっかり仏様の形をしていた。生前、自慢していたとおり太い骨で、骨壺は大きめなものが用意された。
山川直人さん『この星の空の下』で目にした場面が、自分のものになっていた。あの物語では唯一の血縁である父だった。僕の前にある現実は妻と、妻を取り囲んでいる家族親戚。
それでも寂寞とした気持ちには変わることなく、僕はひとりぼっちになろうとしていた。
まずは僕が、そして縁が近い者からお骨を骨壺に納めていく。形が残ったお骨が収まり、遺灰をサラサラと流し入れると、火葬場の係員が声をかけた。
「何か、納めるものはありますか?」
あっ……と声を出して触れた、喪服のポケット。そこには妻がこの世を去った折、身につけていた腕時計と指輪がビニール袋に入れてあった。警察から返還された状態、そのままだ。
思考が渦のように駆け巡った。
これを納めようか、しかし納めてしまっては妻と断ち切れてしまうのではないか。
僕は、指輪に縛られることを選択した。
「ありません」
骨壺に蓋がされ、妻が押し込められていく。この瞬間は、痛々しくて本当に嫌だ。
それから妻は、四十九日法要までを菩提寺で過ごした。僕は、そのあとをどうしても思い出せない。
麻殻はすっかり灰になった。皿は、まだ熱くって触れられない。冷めるまで、と妻を追いかけ二階に上がる。しかし妻の気配はなく、猫たちがおやつをせがんできた。
「よぉし。ママが帰ってきたから、あげようか」
本日二回目、今日は妻が帰ってきたから特別だ。猫たちはしっとりしたおやつに夢中で、妻がいても気づかなそうだ。
僕はやれやれと階段を降りて、灰を風に任せる皿に触れる。まだ熱い、しばらく置いていないとダメだと、妻が収まったであろう仏壇に向かって線香を炊いた。
指輪を納めなかったのは、間違っていたのだろうか。指輪に拘束されたのは僕ではなくて、妻だったのだろうか、と。
いいや、こうして帰ってきてくれたんだから、僕の選択は間違っていない、そのはずだ。
部屋の明かりが要るようになり、もう頃合いだと麻殻の灰を積み上げた皿を仕舞って、妻の自転車の鍵を取る。玄関に鍵をかけて、解錠した妻の自転車に跨って、ペダルをぐっと踏み込んだ。
家の側に横たわる古道から逸れて街道へ、自動車の余波を受けないように歩道寄りを疾走していく。
街道が交わる交差点の少し手前に、うどんチェーン店が建っている。ロードサイド店舗らしい広々とした駐車場の脇を通り、片隅に設けられた駐輪場に自転車を止める。
店先の季節メニューを確かめてから店舗に入り、注文口の上に掲げられたメニューを仰いで、八割方決まっていた注文をした。
「かけうどん、中で」
機械的に作られたうどんと皿をトレーに載せて、カウンターをスライドし、トングを手にして天ぷらを取る。妻が好きな芋天と、僕が好きなかぼちゃ天と、もう一品……たんぱく質、鶏天が好きだった。
会計を済ませた僕は家族団欒のテーブルを避け、カウンター席へと真っ直ぐ向かう。それも隅っこ、冷水機の裏側に腰掛けた。
「いただきます」
芋天をつゆに浸して、連れてきた妻に譲る。僕はうどんをつまみ上げ、するするっと啜って味わう。
ふわふわとして腰のある麺、キリリとした鰹出汁と、ふわっと優しい昆布出汁のコンビネーション。
美味しい……美味しいね、と声なく語りかける。
妻に捧げた芋天は減るはずもなく、出汁の効いたつゆをたっぷり染み込ませ、雲のようにふわふわと膨れ上がった。妻からの返事もまた、来るはずなどない。
僕は、ひとりで涙した。
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