第9話『ナルミさん愛してる その他短編』

「お盆はいつされるの?」

 改札窓口でそう尋ねたのは、よくして頂いているお客様だった。七月と八月のどっちだったろうかと考えたまま、主任に引き継いで休憩に入った。

 スマートフォンをチェックすると、チャットが母から飛んできていた。


[お墓参りはいつ行くの!? うちは18日の土曜日に行くけど休みですか!?]


 そうか七月だったかと、母の不器用な書き込みで気づかされた。自身の無関心を恥じながら、手帳を開いて当日の勤務を確認し、チャットを返す。


[18日は非番です。平日に行きます]


[わかりました。]


 お盆の準備をするのは、はじめてだった。一緒に暮らしはじめる前から、妻がかつて可愛がっていたハムスターのお骨はあった。今も仏壇に寄り添っているが、マンション住まいだったせいで、送り火や迎え火はしなかった。

 さて、何をすればいい。

 駅前の花屋に麻殻おがらが並んでいたから、まずはそれだ。あとは麻殻を燃やす素焼きの皿、胡瓜の精霊馬と茄子の精霊牛、盆提灯はうちには大きいからいらないか。


 それらを翌日の非番で買いに回る。胡瓜と茄子は八百屋で買って、麻殻と素焼きの皿は近所のホームセンターで……。

 げっ! 皿、意外と高い。年に一回しか使わないのに。

 これだけは保留にしておこう、ちょっと買うのに勇気がいる。


 帰宅して一息ついているところへ、母から電話がかかってきた。

『もしもし? 今日は休み?』

「非番だけど、どうしたの?」

『二十六日に新盆にいぼんがあるのよ。あんた、仕事?』


 妻にとって最初のお盆だ、喪主である僕は参列しなければならないだろうが、シフト制の仕事だから直近の勤務を簡単には変えられない。どうか休みであってくれ、と祈るように手帳を開く。


「ええっと……あ、非番。何時から?」

『十一時からなんだけど、間に合う?』

「間に合う、間に合う。何か準備するものは、あるの?」

『うちで出来るものは、しておくから。あんたは、あちらのお義父さんに声をかけてね』


 ああ、と思い出したような素振りをして、素焼きの皿をどうすればいいか母に尋ねる。

『いらないお皿でいいのよ。……』

 皿が余っている理由に、母は口を噤んだ。僕にはふたり分の食器は、もういらない。しかしそれは、物と一緒に気持ちの整理をするように、と言われているようだった。


「あるある、たくさん」

『……そう……じゃあ、また何かあったら電話してね』


 そうして母との電話が終わった。三回忌が終わるまで忙しいと聞いていたが、確かに弔いの目白押しだ。日常に支障は出ないが、ぼんやりしてはいられない。すぐさま、都合を確かめるショートメールを義父に送った。


 するとすぐに返信が届いた。娘の新盆なのだから当然かも知れないが、参列するという返事だった。待ち合わせの時間と場所を義父に伝えて、その旨を母にチャットで伝える。


 さてと、次に取り組むべきは共同出版する小説の原稿チェックだ。編集の須田が校正した紙束を一枚一枚開いていく。紙の大きさは文庫サイズではないが、様式は綴じていないだけで書籍そのまま。僕の小説が本当に本になるのだ、と実感出来る。

 また、この様式だと素人の稚拙な文章でも、それらしく見えるから不思議でならない。なかなかどうして立派である、と目尻が弛む。


 指摘を受けても、こだわった表現はそのままにと理由を添えてペンを入れる。妻の目に触れないようコソコソ書いていたとはいえ、誤字脱字には細心の注意を払った。払っていたが、表記揺れはどうして免れないのだろう。

 うわっ、駅名が逆になっている、主人公の動きがおかしくなってしまう。会社が特定されないようにと近傍のバス停から駅名をつけ直したが、それが元で混同してしまったようだ。


 大きな書き間違えから些細な表記揺れまで、よく気づくなと須田に尊敬の念さえ抱いてしまう。編集という仕事は、大変だ。物語を辿って批評するのではなく、全体を俯瞰して誤りや矛盾と思われる部分を見つけ出し、物書きに敬意を払って指摘する。

 他にも文章のデザインや装丁の注文など、本全体を取り仕切っている。書籍化をお願いしている僕にさえ見えない仕事があるはずだ。


 ならば、こちらもギリギリまで目を通そう。それが素人の文章に真っ正面から向き合って、校正してくれた須田への礼儀だ。

 だから、今日のチェックは終わりにして、馬と牛にしない胡瓜と茄子をどうするか、だ。


 胡瓜は調味酢に漬けて、ピクルスにしよう。妻が好きだったハンバーガーに、自家製ピクルスをたくさん挟んで、僕が食べる。ハンバーガーのピクルスは、その正体を知らないくらいの幼い頃から、僕は好きだった。

「変なものが好き」

と、よく親に言われたな。誰も手に取らないような駄菓子とか、駅弁にデザートとして入っている干し杏とか、魚の目玉の水晶体とか秋刀魚の心臓とか、敬遠する人がいるものを好き好んで食べていた。


 さあ、茄子はどうしよう。妻が遺した冷凍おかずの本を開いてレシピを探す。

 どれも魅力的ではあるが、調味料が不足しており麻婆茄子は泣く泣く却下。南蛮漬けは大好きだが、油が足りないから苦渋の却下。簡単揚げ浸し!


 今ある調味料でこと足りる上、このレシピならば少ない油で仕上げられる。おろし生姜でさっぱりしつつ、鰹節の旨みがふわりと香る。

 うだるような暑さにピッタリだ。のんびりすると晩ごはんの準備に差し支える、早々に取り掛かろうと鍋を出し、調味料を混ぜ合わせる。


 水分たっぷりの胡瓜と、身体を冷やすと言われている茄子。夏バテ予防に食べろ、という浄土からのメッセージ、などと思いガスコンロに火を点けた。


 山川直人さんの漫画『ナルミさん愛してる その他短編』に収録された「おねえちゃん」の一コマ。『私は忙しいのだ』と、買ったばかりのパソコンにワクワクと四苦八苦しているおねえちゃんと、台所で鍋を振るう僕が重なっていく。


 そう、私は忙しいのだ。

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