(2)報道番組と不確かな光

 わたしは呆気に取られて、馬鹿みたいに開いた口が塞がらなかった。

 だってさ、あれって。


 ふっ、と背筋に寒いものが走る。えええ、大丈夫なのぉ!?

 マリーは相変わらずのぺーとして、硝子の壁を気に入ったのか、アメーバ状の足を伸ばして遊んでいた。

 CMが流れている間中、考えていた。

 こいつを警察に保護してもらうべきなんじゃないか? それをしないで後日、なにか言われるのも困るし。田んぼで拾ってきたカエルの卵ならまだしも。


『えー、引き続き謎の液体状の物質についてのニュースを続けます。先程のインタビューの後、たくさんのレスポンスがこちらにも上がってきています。情報提供、ありがとうございます。――では、水野さん、よろしいでしょうか?』


 自室からすごい勢いで弟が下りてきた。買ったばかりの真新しいシャツを着て、なぜか髪を整髪料でととのえてある。


『はい、大丈夫です!』


 ギョ!

 TVの画面いっぱいに映し出されたのは、それは我が家の和室、つまりだった。

 いそいそと障子の影に隠れる。怖いけど、みたい。人間はそういう生き物だ。


『水野さーん、そちらはどんな感じでしょうか?』

『はい、マリーは金魚鉢の中でご機嫌なようで、触手を伸ばしてゆったり運動しています』

『水野さんはその物体になにかあげたりしましたか?』

『はい、見るからに干からびていたので水道水を入れました。そうしたら、今のように元気な状態になりました。それから空腹かもしれないと······』


 弟よ、いつからそんなに饒舌になったんだ?

 というか、お前、陽キャになりたかったのか? 実は陰キャの中でも特に内向的なフリをしながら、いつか陽キャになってやるとか思ってたのか?

 わが弟ながら、わからん······。


 弟のライブでの通信も無事に終わり、スタジオに画面は戻った。しょぼくれたおじいさんがスタジオに増えていた。


『こちらは国立生物研究所、名誉所長でいらっしゃる小日向おびなた教授です』

『よろしくお願いします』

『では早速伺いたいんですが、先程の水野さんからの報告によりますと、これは生物という認識でよろしいでしょうか?』

『生物の定義というのもなかなか難しいわけですが、今のところ、そのように思えます。ただし、今の段階ではどんな生物の種族であるのか、分類はできません』


『そうですか。番組の方には次々と情報が寄せられております。皆さんのコメントを見ていると、どうもこの生物は水際にいるようですが』

『そのようですね。先程の方のコメントによると、水をあげることで活発になったということですので、水棲の生物であると予測されます。また、先程の映像を見た限りでは不鮮明でしたが、形状、運動能力から見た限り、現時点ではあまり高等な生物であるとは考えにくいです』


『しかし一方、問題としてあげられるのがこの生物の消化器官がどのようになっているのかまったくわからないということです。透明な生物の場合、外側から消化器官の動きを観察することができますが、この生物はそれがない。未知の生態系の生物かもしれない可能性があります』


『そうですか。えー、それでは視聴者からの質問にお答え願いたいと思います。なぜ、突然この生物はあちこちに現れたんでしょうか?』

『それに関しては私たちにもわかりかねます。海外にも類のないケースで、予測もつきません。一体、どのように現れたのか。降って現れたわけでもないし、湧いて出たわけでもない。それではどこから、突然何体も現れたのか、それはまったく考えられません』


 ありがとうございました、と女性アナウンサーがおじさんに頭を下げ、この話は一旦、終了するようだった。最後にテロップが現れ、やたらに近寄らない、見つけたら通報することと特別回線のナンバーが表示された。


 ⋯⋯マジ、やばいじゃん。うち、いるんだけど。

 しかももう全国的にバレてるのに。

 胸がドキドキする。

 目の前でうねるようにご機嫌なマリーを見て、いっそ捨ててしまいたいと願う。いや、そんな無責任なことはできないし。

 弟はマリーを抱き上げてベトベトになったのが気になったのか、都合のいいことにシャワーを浴びていた。


 勇気を出さないでどうする!

 スマホを手に取り、電話番号を控えた紙を取り出す。

 マリーはどうなるんだろう? 実験材料? それとも殺処分? かわいそうかもしれない。

 えいっと通話ボタンを押そうとすると、ピンポーンとドアチャイムが鳴った。些かホッとして、「はーい」とインターフォンに向かう。


『水野さんですか? 警察の者です』


 まるでミステリー映画のように、インターフォンの画面には警察手帳をかざす警察官の姿が映っていた。

「少々、お待ちください」

 ドアを開けると、ちょっと強面のベテランそうな刑事さんが立っていた。

「謎の生物の件でお伺いしました。TVでご覧になったかと思いますが、あれを渡していただきたいのですが」

「はい、今ちょうど電話をかけようかと――」

 嘘ではない。躊躇ってなどいない。家に置いておけるわけがない。


「では」

 重そうな金魚鉢を若手の警官に持たせて、警察は帰っていった。呆気ない終わりだった。

 ――弟よ、ごめん。お前が暢気に鼻歌をうたってる間にマリーは旅立ったよ。姉ちゃんはなにもしてやれなかった。


 ◇


 その時、暮れかけていた空に太陽がもうひとつ増えた。

 しかもその太陽はどんどん大きくなった!

 キーンという機械的で耳障りな音が世界に轟く。

「姉ちゃん、何事!?」

 お前は一歩遅い。世界は既に大変なことになっている。

 金色の光が空を包む。

 眩しくて目が開けてられない。


 ――我々ハ、コノ星ニ可能性ヲ求メテ、ヤッテキタ。


 頭の中に滑り込むように直接、言葉が入ってくる。


 ――我々ハ水ヲ求メテコノ地ニヤッテキタ。コノ地域ガ最モ水ノ美シイ場所デアルト、調査結果ガ出タカラダ。

 シカシ、実際ニ来テミルト、肝心ナ水は思ッテイタ以上に汚染サレ、コノ水質デハ我々ノ求メル基準に達シナイ。


 ――50年後、マタ調査ニ来ヨウ。ソノ時マデニ水ヲ浄化スルノダ。木ヲ植エ、森林ヲ作リ、化学物質ハ排除スルノダ。ソレニヨッテ我々ガ使エルレベルニマデ浄化ガ進ンダナラ、ソノ時、資源ノ売買ニツイテ話ヲシヨウ。例エバ、我々ハ君タチ人類以上ノ科学知識ヲ持ッテイル。ソノ知識ト引キ替エニ、水ヲモラウトイウ方法モアル。


 ――ソレデハ50年後、マタ会オウ!


 ◇


 ピカーッと空は最大限に光り、手をかざして細目で見ると、無数の球体が天頂に向かって浮き上がっていた。

 そこにマリーがいたのかは定かではない。

 でも、多分、行ってしまったんだ。恐らく水の多い、その星に⋯⋯。


 弟は泣いた。


 ◇


 穏やかな晴れの日だった。

 わたしは午前中の講義を受けて、洗濯物をしまったところだった。母さんが帰るまでに終わらせておけば、きっと母さんも息抜きできるだろう。


 ピンポーン、といつぞやのようにチャイムが鳴り、インターフォンには男性の姿が映った。

「こんにちはー。水野さんはこちらですか? お届け物です」

「玄関に置いていっちゃってください。すぐ取りに向かいます」

「こちらクール便でのお届けですのでできるだけ早めに」

「はい、すぐ行きます」


 最後のタオルを畳んで、さて、と荷物を取りに行く。

 クール便ということは食べ物かもしれない。なんだろう? 田舎に住むおばあちゃんから野菜が届いたのかな?

 それにしてもクール便とは配達料が高くなるのに。


 玄関のドアを開けると、発泡スチロールの箱が置かれていた。よいしょ、と持ち上げる。

 おお、これはずっしりとした重さだ。

 がんばってテーブルまで運ぶ。

 一体、誰がなにを送ってきたというんだろう?


『国立生物研究所』


 ――へ?


『水野様、この度は検体のご提出ありがとうございました。しかしながらこちらの検体は非常に凶暴であり、我々の手元にはおとなしい研究対象としての検体が数体ありますことから、こちらの検体を⋯⋯』


「お返しってどういうことよ!? 宇宙人だよ? 50年、預かれってこと!?」


 手紙を持つ手がプルプル震える。

 なんて無責任。

 凶暴な生き物を送ってくるな。


「ただいまー。あ、それなんの箱?」

「ダメ、それ届け先間違えてるから。届け返すから」

「そうなの? 送り状は間違ってないみたいだけど」


 あー、という間もなく、弟は箱を開けてしまった。


「マリーだ! お帰り、怖い目に遭わなかった? 姉ちゃんがほんと、ごめん」


 ひとのせいにするなよ。


「そうなんだ。それはひどい目に遭ったね。でもマリーがいい子だったから、ちゃんとお家に返してもらえたんだよ。うん、うん、これからも仲良くしようね」


 ⋯⋯意思疎通できてる。

 わたしはできるだけ早く、この家を出ようと決意した。

 お母さんには悪いけど、宇宙人との同居はごめんだ。

 第一、育たないという保証はどこにもないんだ。


 爽やかな初夏の日差しの中、マリーは美味しそうに小松菜を食べた。弟は次はニンジンを試してみようなんて、夏の自由研究のようなことを言っている。

 やめておけ、専門家が放り投げたものだぞ。いつか凶暴化する。


 空を見上げる。

 青空が空を覆って雲が流れる。星は見えない。

 けれどもこの空の、宇宙のどこかにこの生き物の故郷があるんだ――。


 ⋯⋯気持ち悪ッ!


(了)







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金魚鉢と、不確かなその生き物 月波結 @musubi-me

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