金魚鉢と、不確かなその生き物

月波結

(1) 不確かなサムシング

 ある日、学校の帰りに弟が奇妙な生き物を抱えて帰ってきた。弟と言ってももう高校生だ。

 わたしは講義のない日で、五月晴れというにしても天気が良かったので、パートに出ている母親の代わりに洗濯や布団干しをしていた。普段、ものぐさなので、たまにいいことをすると自己肯定感もぐっと高まる。


「姉ちゃん、これ、死にそうなんだよ!」


 弟は17にもなって半ベソでそれを抱くようにして帰ってきた。弟の制服はそれのせいか、片栗粉を溶かして固めた時のようにべろべろになっていた。


「あんた······それなに?」

「わからないよ! わからないけど、死にそうなのはわかるんだよ! 野生動物だって保護対象でしょう?」

「そうだけど。そうだけどさぁ······」


 なんなんだ、これは。一見、和菓子の水まんじゅう、もしくはよくあるスライムのようにうっすら白濁したものなんだが、どう見ても不定形。いわゆるスライム型は保てないらしい。

 一体どこでこんなものを。


「姉ちゃん、早くしないと!」

「わかった、わかったから」


 わかったと言いながら実のところ、なにひとつわかっていなかった。だってそうでしょう? あれ、本当に生き物か?


 とりあえず頭を働かせて、入れ物を探す。

 ぐちゃぐちゃしたゼリー状の物体でもくっついてしまわないような入れ物。

 ごそごそ探していると、おあつらえ向きのものが出てきた。

 ――金魚鉢だ。


 父親は迷惑なことに愉快なことが大好きで、ある日、ご丁寧に縁に青い線の入った『ザ・金魚鉢』といったガラス製の丸いそれを買ってきた。

 そこには縁日で買ったオレンジ色のかわいい金魚が入れられたけど3日で死んだ。

 その後、ミドリガメを買ってきて入れたけれど、1週間で死んだ。


 そんなわけでみんな、これの存在を忘れることにしていたのだけど。

 ええい、縁起は悪いけど、とりあえずだから!


 ◇


「姉ちゃん! それに入れたら死んじゃうよ!」


 チッ、勘のいい。大丈夫よ、とやさしいお姉ちゃんスマイルでやり過ごそうとする。

 弟は疑いながらも、自分が抱えてるのは限界だと思ったのか、おそるおそる、生き物らしきサムシングを金魚鉢に入れた。

 ねちょーと粘着力がわりと強いらしいそれは、弟の腕から無事に金魚鉢におさまった。


「なにかあげた方が良くないかなぁ?」

「なにかってなによ?」

「うーん、用水路の脇にぐったりして張りつくみたいに落ちてたからやっぱり水?」


 そっと金魚鉢を抱えて······お、重い······なんとか水道に持ってきた。蛇口から直接水を入れる。


「雑だね」

「悪い?」


 そもそもこれが生きようが死のうが、わたしの知ったことではないのだ。

 日常に勝手に紛れ込んだ異分子にかけてやる情けはない。


 じょぼじょぼと音を立てて、水が入っていく。

 硝子の壁にねっとり張りついていたそのサムシングは、どうやら水まんじゅうらしき形態に戻りつつあった。


「やっぱり水不足だったんだね。あんなところに落ちててかわいそうに」


 こうやって見ていると、カエルの卵の塊にも似ていなくはない。原生生物のなにか?


「!!!」


 べちょー、としたそのフチが、べにょぐちゃーと波打つように動いた。うっそ、マジ、キモイんですけど!


「ねぇ、もういいでしょう? 捨ててきなさいよ」

「そういうわけにはいかないよ。僕はこの子を保護する責任があるわけだしさぁ」


 弟は悪い癖『生き物大好き』を発動した······。


「名前は······そうだ、マリーにしよう! 短い間かもしれないけど、よろしくね、マリー!」


 マリーっておい、それは最初にお亡くなりになった金魚の名前だぞ。わたしが言うのもなんだが、縁起が悪い。


 ◇


 弟は夢中になって金魚鉢を、こともあろうに和室の座卓の上に乗せた。いわゆる客間。

 そしてずっと、マリー(?)を観察している。時々、かわいいなぁ、とか、こっちにおいで、とか気色の悪いことを言いながら。


「そうだ、姉ちゃん、エサは?」

「は? そんなの知るわけないし。ていうか、危険生物かもしれないからどこかに届け出た方がいいんじゃない?」

「マリーは僕が抱えてきたんだよ。なにも危ないことなんてしないよ」


 頭が痛くなってくる。

 冷蔵庫から適当に見繕った食べ物を持ってきた。


「キャンディチーズ? へぇ、面白い。よし、あげてみよう」


 弟がそれを近づけると、体表が波打つように反応した。感情はまったく読めない。

 チーズをいよいよ上に乗せると、少しずつ不鮮明な体の中に吸い込まれていき······思ったよりすぽーんと出てきた。


「······嫌いなのかな?」

「多分ね」


 じゃあこれにしよう、と小松菜を与える。カメを飼っていた時を思い出す。そっと差し入れると、アメーバが運動をする時のように、触手のようなものが硝子の壁にべちゃーと伸びる。

 その触手はそのままガラスを離れても伸び続け、なんと、小松菜にたどり着いた。


 わたしは「ヒッ!」と思ったが、弟は恍惚とした喜びを味わっているようだった。


「ほら、小松菜だよ。やわらかいし、アクも少ないからね、食べてごらん」


 食べてごらんもなにも、貪欲に触手を伸ばして小松菜が少しずつ消えていく。多分、食べたそばから分解されているんだろう。気のせいか、うっすら緑。


「いいねぇ! いいね、マリー! 次も行く? 行ってみる? お腹空いてるよねぇ」


 マッドサイエンティストか、お前は。

 もう仕方がないので頬杖をついて傍観する。しかしこいつは世界に一体しかいないんだろうか? などと想像を巡らせる。


 また小松菜を食べると、もっともっとというように手を伸ばす。不透明で粘着質なその腕を。


 結局、小松菜は3枚完食。

 よく食べたね、と弟は満足げだったので、布団をしまおうと立ち上がった時、それは起こった。


「姉ちゃん!!!」


 なんだよ、と振り返ると、金魚鉢の中に、緑色のまりものような球体が、ご丁寧にみっつ、出てきた。どこから出たのかは不明。


 でも本体と金魚鉢の間にあるので取れそうにはない。弟が立ち上がってなにかを持ってきたと思うとそれは割り箸で、なんでもないことのように一緒に持ってきた醤油皿にまりも状のものを器用に移していく。


「ね、ねぇ。そんなもの刺したら危なくない?」

「大丈夫、痛がってないし。よしよし、いい子だ」


 ダメだ、完璧にイッちゃってる。


「よし、排出物はきちんと採取したぞ!」


 マリーもなんだか満足げに見えるから不思議だ。

 なんなんだろね、男の子のあの突飛な行動は。

 弟は小さい頃からどちらかと言うと弱小で、よく泣きついてきたものだけど、生き物はずっと好きなんだよね······。


 ◇


 暇なのでなんとなくTVをつける。特になにも期待していない。観たい番組は最近、TVには特にない。


『これです!』


 え、と思うと男性アナウンサーが1枚のフリップを出した。画像が荒かったので、急いで作ったフリップなんだろう。

 ······これさ。


『この、卵の白身のような謎の物質の目撃が各地でされています!』


 アナウンサーも興奮気味。


『そうだねぇ、ふっと用水路を見たらさ、あったわけよ。周りのザリガニはなんだか警戒してツメを上げてバンザイのポーズでさ。なんかの卵がなとおもっとったんだけども』


 農家風のおじさんが、暑い中、首からぶら下げたタオルで顔を拭きながら、インタビューに答えていた。


『そんでまぁ、気持ち悪いからさ、警察に届けたわけよ。そしたらお巡りさんが忙しい中、すぐに来てくれてねぇ。でさ、みたことねぇなって話になってさ、結局、署に連れていくってことになったからさ、慌てて写真撮ったわけよ』


 なるほど。おじさん、なかなか自己演出が上手い。


『俺んとこさ、まだなんの連絡もないけどさ、さっき向こう側にも落ちててよ、もしかしたら田んぼの中にもあるかもなぁ』

 おじさんのインタビューはそこで途切れた。

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