第51話・大きな一歩

 朝食を食べ終わったのなら、さぁはじめよう。引きこもって以来、初めて僕は家の敷地を出たのだ。

 きっと小さく見えるかも知れない。それでも、僕にとっては過去最大の一歩だ。

 だというのに、心が揺らがない。母が、父が、手を握っていてくれる。

 触れている体とその温度。踏みしめるたび過ぎ去っていく景色ももはや何のそのだ。


「不安はないか?」


 母に尋ねられた。


「思ってたより全然!」


 少しづつ、本当に少しづつ、僕は旅に出ることができた。地盤を固めては一歩、そしてまた一歩と。だから、自分の意思で歩いているのだと思える。


「そうか! そりゃよかった!」


 母や父と、雑談をしながら僕たちは歩いていく。一番近所の公園に向かって。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 公園にも規模があって、小規模の公園には小さな子供が多い。ある程度大きな規模の公園では少なくとも小学生以上だ。本格的に運動と呼べるレジャーが主流である。


 僕は、同じくらいの背丈の男性に声をかけられるのだ。


「おい! お前どこ小だ!?」


 その声に僕は思わず肩をはねさせた。


「え、えっと……僕?」


 心の底から、忘れていた恐怖がほんの少しだけ蘇った。


「僕? お前以外に誰が居る? まぁいいや! パパママなんかとつるんでないで、こっちで遊ぼうぜ!」


 男性というのはおかしな表現だったかもしれない。僕は彼の正体をなんとなく感じて、内側からカオスな感情が湧き上がるのを感じた。


「すまない、うちの子は少し人見知りでな。機会があったら、また声をかけて欲しい」


 母が、代わりに彼との交渉を買って出てくれる。


「それに、自分の子供とキャッチボールするのは父親定番の夢なんだ。今日は、おじさんにやらせてくれないかな?」


 昔の父はもっと寡黙だったはずだ。僕の知らない父の顔が、どんどん見れるようになる。元々そんなに見ようとしてなかっただけに、すごく多いのだ。


「お、おう……。わかったよ、ちぇ……」


 少年はそう言って去っていった。彼の中で何か考えたのかもしれない。僕の思う正体通りなら、すごく聞き分けがいいと思う。

 だが、それはそれとして、僕は現実に打ちひしがれていた。


「ぼ……僕の身長って……」


 身長148センチ。同じ程度の身長の男性、推定小学生……。


「チャームポイントだ!」


 母は強い口調で、比較的大きな声で言い切る。


「で、でも……彼、多分……」


 男性というより、男の子。僕よりもずっと歳下……。子供も子供……。


「チャームポイントだ!!!!」


 僕は母の圧力に負けた。でも、考えても仕方ない。なら小さいことを最大限活かす道具を考えよう。肉体的特徴なんて、肯定しなくては仕方のないこと代表である。


「あ、はい……」


 自分を肯定しようと考えたのだから、これは避けて通れない道である。


「それより、ほらグローブ! ボール!」


 父はとてもウキウキした様子で、青々とした公園の芝を象徴してるかのよう。

 要するに、大草原不可避だ。面白くて、可愛い。

 本当に山本先生の言うとおり、男性らしさ女性らしさと、格好がいい可愛いと言う概念は全くの無関係だ。


「その前に、ストレッチだ! 肉離れは危険だぞ!」


 特に僕だろう。なにせ運動不足を絵に書いたような人間である。


「うん!」

「はーい!」


 母の前では皆子供になる。母性的でありながら、リーダーシップまで持ってる女性には誰も逆らえないのだ。

 それから一通りストレッチをして、キャッチボールを始めた。母はこれを見ているつもりだったが、それを許す僕と父はもういない。三人一緒になってキャッチボールをしていた。


「ちょ……調子が悪いんだ……」


 と父は言うが、今まで一度も真っ直ぐにボールを投げられていないではないか。


「はぁはぁ……はひー! 心臓爆発する……」


 僕もこのざまであるから人のことは言えないかもしれない。だが、父は熟練者のような雰囲気を出していたのだ。


「運動不足だなぁ! こりゃ、毎週キャッチボール取り入れるか!」


 母だけは元気だ。本当になんなのだこのスーパーマンは。いや、女性だからウーマンなのかもしれないが……。

 容姿端麗、頭脳明晰、文武両道と三拍子揃っているのだ。さぞ学生時代はモテたのだろう。女子に。


「テル……よくそんなに走れるな……」


 父も息絶え絶えだ。僕ほどではないが。まぁ、アラフォーの悲哀なのだろう。


「元運動部だぞ? 当たり前だろ!」


 元運動部なら体力には納得だが、総合的な能力が人間を逸脱している気がする。


「父さん……あれと比べちゃダメ。スーパーウーマンだから……」


 でも、我が家のヒーローなのは本当にその通りだ。全部彼女に救われた。


「そ……そうだな……」


 父も納得の、総合力人間力の高さだ。どれもこれも中途半端じゃない。プロフェッショナルだ。

 一万時間の法則というものがある。何事もプレイ時間一万時間を超えると、プロフェッショナルの域に到達できるということだ。

 母は、それをいろんなことに対して行ったのだろう。それも、無意識に、趣味感覚で。


「もう無理ー!」


 それはそれとして、僕はたってすらいられなくなった。ゲームのようには動けないものだ。でも、この感覚もなにか気持ちが良い。

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