第50話・巡る日々の糧

 次の日の朝、父と一緒に食事をしてもいいのに、何かを待っていた。

 無意識だったのだ。これまでもそうだったから、これまでと一緒で待っていた。

 転がり込んだのは昨日の夜と同じノックの音。


『悠希、ご飯だぞー!』


 それと一緒にどこか浮かれたような父の声。

 一瞬考えた。


「入ってきて!」


 僕の結論は、これまで一度も使われたことの無い約束を使うこと。

 悠希の部屋、これを聖域として扱う。緊急時を除くいかなる場合においても、許可なしに立ち入ることを禁ず。破った者を、輝喜による説諭に処す。

 そんな法がうちにはあるのだ。逆に言えば、許可があれば入っていいということ。


『いいのか?』


 父は結構緊張しいだと思う。


「うん!」


 だから、一度迎え入れてみた。

 部屋にはパソコン、ペンタブ、ベッド、机、本棚。そんなありきたりな高校生の部屋だ。


「それは?」


 入ってきた父は、真っ先にペンタブについて尋ねる。


「これで僕は絵を書いてる。ほら、こうやって」


 そう言って、僕はいくつか線を書き足してみせた。

 ただそれだけなのに、なぜ泣くのか父は……。


「俺は……この才能を……」


 そういうことか。後悔か。


「でもこの設備、父さんからかっぱらったお金で買ってるからね! 母さんが!」


 これはいつか伝えようと思っていたこと。でも僕がやったことじゃなかった。


「本当か!? 良かった……」


 母が、その方が後々父の後悔を和らげると言っていたのだ。その通りになってしまった。本当に、僕の母は一体何ものなのだろうか……。


 ともかくとして、知って欲しかったのだ。どうやって絵を書いているのか。それにどんな苦労があるのか。絵の一枚一枚にはそれを見る人からは想像もつかない時間がかかる。メイキングまで見る人なら少しはわかるかも知れない。


 でもそれ以前にたくさんの時間がかかっている。線も引いては消して、最良の一本を目指していく。そんな研鑽を積み重ねた結果、今はあまり消さなくなったけど……。


「こうやってさ、線を引いてブラシで塗っていくんだ」


 指先から、ペン先に伝わった世界は画面の上に顕現する。僕の幻想が……。

 だから僕は神様なのだ。真っ白な世界に万物創造を成し遂げる創世神なのだ。それが創作というものだ。……とは、格好をつけすぎかも知れない。


「しかし、その体にその顔は……」


 僕はマッソー田を練習している最中だったのだ。それを忘れて、手癖で女顔になってしまう様を見せてしまった。


「癖なの! 男の顔うまく書けないの! 参考資料がないの!」


 主にこっちの世界で。手元に置けるものが不足している。


「これはダメか?」


 父は自分の顔を指さした。


「あ! 良し! キメ顔して! あと無表情!」


 この時から僕は父を男の顔の参考の一つにすることを決めた。


「お、おう……苦労してるんだな」


 なんでもそうだ。未完成の一作でも、それでもその人の苦労の結晶だ。


「まぁ、多少は?」


 ひけらかすの恥ずかしくて、僕はスマートフォンで写真を取りながら答えた。

 右からも、前からも、左からも……。父の顔が割と整っていて助かった。

 ……とはつかの間の感想に終わってしまった。


「ところで、インターネットには転がってないのか?」


 父が純粋な疑問をポロリと口にする。


「僕はなぜ気付かなかったあああああああぁぁぁぁ!」


 思えばずっとすぐそばにあったのだ。女顔を書くときだって最初はネットで真似する絵を探した。自分の絵柄を見つけるまでは。

 だけどそれが出来上がってから、背景の参考資料や服の参考資料を得ることばかりに使っていた。キャラクターを一切検索しなくなったのだ。


 男を書きたくなったのはそのあとの話だった。


「えっと……父さんは?」


 キメ顔の写真は全部取れた。


「用済み! ご飯行こ!」


 これは軽口だ。昔だったら絶対に言えなかった、そしてこんなことを言い合える親子になりたいと言う願望だ。


「父さんこういう時なんて言えばいいか知ってるぞ! 解せぬ……だ!」


 父はちょっと思考の古い人。でも今はそんなことがなくなったみたいだ。しかしよくもまぁこの時代にこの思考を貫いたものとは思う。


「父さんがいいアイディア出してくれたからね! 解して!」


 そう言いながら、父を手で誘いながら部屋を出て行く。

 用済みとはひどい言葉。でも、その裏に褒め言葉が隠されている。だから、アメリカンな褒め言葉のつもりで口にすることができた。


「役に立ったと褒められている可能性について……」


 いやそんなことがなくなったではすまなかった。父は毒されている。ネット用語体系という新たな言語体系にを習得して使いまくりたくなっている奴だ。


「あはは、褒めてはいるけど……その用語だいぶ古いよ?」


 それらの言葉が使われたのは今は昔、掲示板黄金期からネット小説黎明期にかけて。


 今のネット小説は、すべてのプロの登竜門であり、多種多様なものが流行っている。黎明期の爽快なファンタジーだけではなくSFやミステリーですらだ。


 今やプロはネットから生まれるもの。金の卵を見つけるのに躍起なマニアたちがそれらのジャンルには溢れている。

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