第42話・内なる神
昼食を食べたあと、先生がやって来た。いつものような、優しい笑顔で。
そして、教材が広げられ勉強が始まった。
書いてあることを先生が面白おかしく読み上げる。最初は倫理からだった。
学校に戻った時に、いじめの対象になってしまわないように。戻ったことを受け入れてもらえる人になるために。そのための倫理を叩き込むべきと言う言葉には強く共感したのだ。
「悠希くんに最も必要なお話は、男らしさ女らしさと、可愛らしさ格好良さには何の関係もないということでしょうね。近年の改定された教育カリキュラムの中ではLGBTについても話すこととされていますのでついでにね」
心の表面を覆った氷が、まるで砕けて溶けて落ちるようだった。目の前に広がっていた、色眼鏡越しの世界は砕けて鮮明に。
「俺はこんな顔です。それでも男でいいんですか?」
それはまるで俺の話で、だからこそ心の深いところまで声が突き抜けてきた。
「もちろん! 男であっていいですし、そうでなくてもいい。それどころか、肉体が持つ性別と、らしさは関係ないのです。私たちの世代が、あるいはもっと昔から、間違えた。らしさを押し付けすぎて、長くにわたって抱き続けた欲求が、人格を洗脳する。そんなトランスジェンダーのパターンケースが二年前観測されました。あ、勘違いなさらないように。それは稀なケースです。多くの場合は思考構造ごと肉体とは異なる性を示します。ですが、私たち世代は我が子にそのようにあってほしくはない。だから押し付けて、真逆の効果が帰ってきたのです。私たちの世代が、現代にトランスジェンダーの発生率を上昇させたのです」
あぁ、聞けばわかる。昔もっと遊びたかった欲求が吹き出した。褒められたかった欲求が今の俺を形づくった。満たされなかった自己承認欲求が、今になって吹き上がっているのだ。
現代人は自己承認欲求の塊なんて言われるが、それもそのせいなのだろうか。ネットでは、承認欲求がよく叩かれている。それこそが、自己承認欲求の抑圧の象徴である気もする。
これもそうなのだろう。女性的な俺を認めて欲しい、男なのだからと蔑ろにされるのはもうたくさんだ。認めてくれるなら女にでも何にでもなってやる。そんな承認欲求が潜んでいるのかもしれない。
「一体どうしてそんなことに?」
尋ねずにはいられなかった。だって、そこが今の俺のルーツだ。
「資本主義社会は個性と競争の社会と言われていますが、大きな格差社会でもあります。その中で、犠牲になる人達がいる、過度に効率を求める人達がいる。そんな人たちの悲しい言葉を、否定したいのではないかと言う人たちがいます。革命はいつも前時代の否定です。明治維新然り、大正デモクラシー然り、フランス革命然り。よって、前時代でわかりやすく肯定された個性が攻撃の対象になったのでしょう」
話は関係ない方向へとそれてしまった。それでも、関係ないようでいて関係はあるように思えた。
LGBTと明治維新、言葉だけ見ればなんのつながりもない。だが、それをつなぐ文脈が、その二つをつなげてしまった。
全てはひとつなぎなのかもしれない。社会の問題と、歴史と、心の問題。複雑に折り重なって、まるで生き物みたいだ。
「閑話休題としましょう。個性の否定は実に、心苦しいものです。肉体性別、ジェンダー、その前に人である。そして、あなたの子である前に人であり、生徒である前に人である。そして、労働者である前に人なのだ。これは、心理学者
点と点が線になっていく。
それ以上にあぁ……舐められないようになんて考えなくていいんだ。男だからとか、女だからとか関係ないんだと。
この時に決めたのだ。在りたいように在ろう、例えそれが苦しくともだ。甘えたい時もあるし、愛されたい時もある。そのような振る舞いを気味悪がる人もいるかも知れない。
「おかしかったんだ……」
そうだ、なろうじゃないか。鏡の中に、頭の中の自分を写してやる。頭の中にしか響かなかった神様みたいな自分の言葉を、この口で音にするのだ。
「そうなのかもしれません。文明のメンテナンス不足かもしれませんね……」
だけど、内側で何かがいうのだ。“否定はリアリストに任せておこう、僕は肯定をされたいから肯定をするのだ”と……。
でも、そのために必要な知識はきっとまだまだ足りないのだ。
「難しい話です……」
そんな部分もあるかも知れない。でも対象が大きすぎて、全体が把握できないのだ。
「すみません。これ、私の思想でした……」
先生はおどけて笑う。
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