第28話・勇み足

 次の朝が来て、少し布団の中でまどろみを払った。ふと部屋のドアを見ると、そこには一枚の紙が差し込まれていた。

 書いてあったのはこうだ。


『父さん、悠希の画材注文したぞ!』


 ちょっと笑ってしまう。もう、不器用なお父さんそのものなメッセージ。直接言葉になってないけど、趣味を応援してくれている。親子のよくある愛情だと思ったのだ。


 俺はそれを拾い上げると、すぐに部屋を出てリビングに駆け込んだ。

 でも、そこにはもう、父はいなかったのだ。今なら大丈夫と思ったのに、たった一言でいいからありがとうを伝えたかったのに。


「おはようゆーき!」


 ただ、いつもと変わらない母の笑顔だけがそこに残っていた。


「おはよう……父さんは?」


 でも言葉は大切で意思は伝えなければ謎に尾びれや背びれ、足まで生えたものになってしまう。


「仕事行った!」


 勇み足もいいだろう、グラつくのも構わないだろう。


「そっか……。母さん、父さんにちゃんと面と向かってお礼を言いたい」


 だから、父さんがしてくれた事への感謝を、今の俺にできる最上級のありがとうの痕跡をここに残しておきたい。


「わかった! 伝えとくな!」


 尾ひれも背びれもついてしまわないように。


「うん!」


 こうなればもう安心だ。きっと俺の感情は父に伝わるだろう。


「よし、飯だ!」


 母はそう言って、俺に食事を出してくれた。いつもどおりの太陽のような母の笑顔に光までも戻ってきた。


「うん! いただきます!」


 もちろん母さんの分も用意されている。この食卓を三人で囲む方がいいように俺は思うのだ。だってこれじゃあまるで、豪華な朝食を父だけ一人で食べさせているようだ。居心地が悪い。


「ところでゆーき。先生って結構早い時間から電話とってくれるんだな」


 現在午前8:30である。先生というのは基本的に公務員と同じ勤務時間を持っていたはずなのだが……。そうすると、まだこの時間では電話をかけられていないはずだ。


「確かに、中学行ってたとき、みんな割りと早く来てたよ」


 中には午前六時とかに学校に来る生徒もいた。運動部の生徒たちである。

 朝早くから、比較的遅い夕方まで体と技術を鍛える。それが楽しくなかったら俺にはできる気がしない。楽しんだモン勝ちとはよく言うが、本質は、楽しめなきゃ負ける、なのだと思う。


「でな、電話したんだけど、先生は午後一時に、まずスクールカウンセラーの先生が来てくれることになった!」


 カウンセリング、受けておいて損はないことだった。だけど受けようかと考えられる環境が整う頃には、人間は全て怖くなっていた。

 これはいい機会だ。


「そんな人いたんだ!?」


 ただ、スクールカウンセラーという職業の実在自体を俺は知らなかったのだ。


「学校心理士っていう資格を持ってるみたいでな。すごいんだ、元々は先生だったらしいんだが、興味が出て公認心理士の資格をとったらしい!」


 スーパーマンは割りと一般人なのかもしれない。うちの母も大概だと思うが、そのカウンセラーも大概行動力の化身だ。

 何を同トチ狂ったら、そんなにポンポンと国家資格を取得するのだろうか……。

 でも、安心はあるに越したことはなくて、だからただありがたかった。


「……すごい人だ」


 ただし、絶句してしまうのは仕方がない。


「元々先生だからな、きっと復帰の手伝いもしてくれる」


 日本の社会は一度ドロップアウトしてしまえば終わりと言われている。

 でも、こと学生においてはその限りではないと思った。協力者を得ることが出来れば、それが復帰のための情報へとつながっていく。


「安心してるよ! 俺も、直接話せるかも!」


 ただ、最初の協力者を得ることが最も高いハードルだ。ドロップアウトしてしまうような家には、普通は協力的な両親がいない。

 学校や周囲から見て、協力的に見えたとしても、事実は異なる。どこかに問題を抱えているからその結果が引き起こされる。

 だったら、少年院などに入る方があるいはマシであるかも知れない。そこは、少なくとも両親以外の大人が手を貸そうという姿勢を持っている可能性が高い。


 閑話休題。


 俺は不幸に始まったけど、幸運を手にした。今の俺の母こそが、俺にとっての幸運。ハードルをなぎ倒した、最初の協力者だ。


「そっか! じゃあ、楽しみにしてるな!」

「俺も割りと」


 楽しみにしているというのはおかしいだろうか。そう思って、遠慮がちになった表現。


「ガッツリ楽しみにようぜぇ……」


 ただ、母にはそんなことお見通しのようで、誘われてしまう。


「やっぱりすごく楽しみ!」


 それが当たり前なのだ。新しい希望が向こう側からやってきてくれる。これを楽しみにせずに、何が楽しみにできるのだろう。

 期待や希望は胸をふくらませて躍らせる。だからきっと素直にそれでいいのだろう。

 さて、どうせだ、顔を洗おう、髪を梳かそう。俺なりのその人への歓迎の表現。

 だって、目の前の人が臭かったり、顔が汚かったりしたら嫌だ。できることを、出来るところから……。

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