第19話・心の表皮

 そもそもである、今の俺のステータス、このアザレアさん相手にダメージを通せると思わない。多分であるが、今あるボーナスの1ポイントを筋力に振っても1ダメージを与えられないだろう。

 そもそもである10発や20発は最低でも殴る必要がある。心が痛すぎてできるわけがない。普通に殴るのだってはばかられる。


「そんなことより! プレイヤ族ってなんですか?」


 だからとりあえずは話を変えることにした。

 思ったとおりだったのだ。この世界の前提の違いのおかげで、多少の非日常感がある。だから、割と話ができる。


「一週間前になる。そういう民族が現れると神託が下ったそうだ。曰く、突然消える事があると。他にもいろいろあるが、長いので割愛しよう。そこらじゅうに木版が立てられているぞ」


 本当にここがゲームなのかどうか疑わしくなる。製作者はどれだけ没入感を意識しているのだろうか……。


「ほへー、そんなことが……。で、この世界で英雄の道は?」


 英雄の道、要するに指数関数型成長だ。


「冒険者の子に産まれればいいのだが、肉体労働者だと目も当てられない。迫害を受けるんだ。って、君は違ったのか!?」


 肝心なところはどうやら神託されていないようだ。俺たちプレイヤーがNPCに受け入れられるための土壌なのだろう。あるいは受け入れられている状態に没入できるようにかもしれない。


「勘違いさせちゃったみたいでごめんなさい……」


 とりあえず俺は、笑ってごまかした。

 迫害というか、不遇だったのは事実で、それはそれで受け入れなくてはならないそうだ。そう母から言われた。


 ただ、知ったからには僕にも責任があるそうだ。その上で、18歳までの全ての責任はいつでも肩代わりしてくれると。

 いつもそうだ。母はセーフティネットを名乗る。アザレアさんは、少し似ているのだ……。


 あぁ、余計に開いてみようと思える。しかも、彼女にはNPCであるというセーフティすらある。最悪120円で終わらせられる関係。

 でも、その120円も少し怖くなった。


「私が勘違いしただけさ……だから、そんな顔をしないで欲しい」


 伝えられるメッセージの裏には、“これは私のわがままだ”と隠れているようだ。

 切っ掛けとしては上々かも知れない。うん、やろう。自由に振舞ってみよう。

 心を開ける場所を増やしてみよう。


「アザレアさん。ごめんなさい。俺はメンターを利用できません。俺、すごく人見知りで……、ちょっと違う理由なんですよ」


 本当だったらこれは失敗だったのだろう。彼女がNPC、AIのシミュレートによって作り上げられた人格でなければ……。


「わかった。君の意見を尊重しよう! だが、困った時のため私の名は覚えておいて欲しい。力になれるからな!」


 あぁ、本当に母に似ている。

 それはまるで、架空のマリアだ。言葉だけが汚い欠点すらもない、理想の母性の偶像だ。


「あ、あー!」


 いつの間にかログインして現れたのだろうアリスさんが、そんなところに現れた。


「ど、どどど! どうやって仲良くなったんですか!?」


 ほんの短い間に、俺の中でアリスさんとアザレアさんの好感度は見事に逆転していた。


「ど、どうやって……とは?」


 アザレアさんは、普通に人付き合いをしたつもりなのだろう。それで俺は助かっている。

 でも、それは普通の人間からしたらあまりの聖人君子。人間の綺麗な上澄みばかりを煮詰めた人格だ。そこにひとつまみ、わかりやすく女性らしからぬ口調。

 きっとそんなものだ、冷静になればわかる。わかるのだが、俺にはまだその補助輪が必要だ。


「私も仲良くなりたいもん!」


 ただ、本当の人間は、もっとわかりにくい。自覚してない醜さを否定しながら、他人と向き合う。すぐに気づけないところに、問題を抱えていることなど当たり前だ。

 気づいてしまった。アリスさんはそれを俺に言わないのだ。俺自身の人格にはさほど興味がない。そんな風に受け取ってしまう。


「その、私は普通なつもりで!」

「普通ってどうやったんですか!?」


 あぁ、表面だけが擦れていく。奥の方でねじ曲がっていく。

 その会話は明らかにおかしいのに、この人は気づかないのだろうか……。


 何を言ったのかはさほど重要ではない。言葉の羅列の中には隠しきれない意思が宿っている気がして仕方がない。

 俺の持ち物。攻略情報、絵を描く端くれとしてのキャラクターメイク技術、声。そればかりに興味がある気がする。


 あるいは、そんな風に思うから俺は人見知りを続けているのかもしれない。

 ……気が付くと走り出していた。街の外へ向けて、ただがむしゃらに。


 大好きなこの世界の戦闘システム。その中に身を置けば少しは気が紛れるのだろうと、そんなことを繰り返し考えていた。

 あぁ、もう。わからない。誰も彼も、本心がわからない。

 言葉で好きを言っても、心で真逆を思っているなんてことは日常茶飯事。だけど、俺はそれこそが怖い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る