第17話・人は賢馬にならねばならない。

 アイン・ホルンはしっかり〆て血抜きもしておいた。そういうことをしないといけない以上、このゲームは15歳以上が対象である。


 血抜きをしないと、肉がバカみたいに安い値段で買い叩かれるのだ。

 そんなしっかりとしたアイン・ホルンを売りつけて俺はゲームをログアウトした。

 まずったかもしれない、周囲の人からは人体消失マジックに見えた可能性は十分ある。


 ともかく今は昼食を待っている。きっともうすぐ母の声が聞こえるはずだ。

 わりと贅沢。黙っていれば食事が出てくる。


「ゆーき! メシー!」


 ほら……こんな具合に。


「今行く!」


 俺は叫んで、いろいろと電子機器の電源を落として、階段を下りた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 昼食は、オムライス。チキンライスの上にオムレツが乗っている。


 天は母に一体何物与えたのだろう。飄々とした顔で美容師免許を取ってきたと思ったら、料理だってこれほど上手い。ついでに、女性としては背が高いが、抜群のプロポーションと、顔立ちは黄金比を保っている。


 たまにこんな人も居る。あれもこれも手を出して、全部プロを名乗れるレベルになってしまう人。


「割っていい?」


 オムレツを割り開くのもお楽しみ。表面は綺麗に焼かれ、中には半熟卵がこれでもかと詰まっている。

 想像すればするほど、腹の虫は騒ぎたて、待ちきれんとばかりにヨダレが口内を埋め尽くす。さしずめ、口内ナイル川だろうか……。


「もちろん!」


 母はそう言いながら、ソースを持ってきた。ソースポットだとかカレーポットだとか言われる、銀色のアレだ。

 花嫁修業でやりそうなこと、母はそれらの全てがプロレベルに練磨されている。万能系主人公もきっと裸足で逃げ出すだろう。


「よい……しょ!」


 形を崩さないよう気をつけて割り開くと、中からは黄金の滝が溢れ出し、皿を埋め尽くす。

 ほのかにバターの香り。


「よし成功!」


 同じように母も割り開いて中を確認しては言うが、彼女の失敗を俺は見たことがない。ここまで来るとレストランをやってもいい気すらしてくる。

 そして、母はそれぞれにたっぷりのデミグラソースをかけてくれた。俺のと、母のと。


「これ、王族じゃない?」


 朝は王、昼は貴族、夜は庶民。それがうちの食生活。


「貴族でワンチャン……」


 栄養価的には過剰というほどではないと思う。クオリティの暴力で王族に見えるだけだ。


「じゃあ、貴族だね」


 ということにしておこう。ヤブヘビで食べられなくなるのは御免こうむる。


「よし、食べよう!」


 単純な風習、手を合わせて言う。


「「いただきます」」


 と、声を合わせて。

 一口食べれば、とろける卵の極上の味わい。二口食べては、広がるチキンライスのトマトの香り。やけどしないギリギリ程度のアツアツ料理は、幸せそのものを味覚で感じさせるモノと断言したい。


「ゆーき、一応今日学校に電話してみたんだけど、繋がらなかった」


 そりゃそうである。本日日曜日、学校は休校だ。


「だよねぇ……。どのくらい勉強すればいいかなぁ……」


 それが不安だ。あんまり勉強にかまけすぎても、たぶん学校に復帰したとき何も喋れなくなってしまう。


「そこらへんは、アタシが先生と話そうと思う。できれば、ゆーきも一緒に参加して欲しいな」


 一瞬俺の意見はなしかと、辛くなってしまったが、この母だった。そりゃ、ナシのはずもない。三人で話せたらと考えてくれる。

 それはそれとして、リハビリを頑張らなくては。アザレアさんは意外といいのかもしれない。メンターになってもらって付き合ってみる、それは先生と生徒の関係と少し似ているかもしれない。


 人間関係の前提が異なる向こうの世界。ふと踏み込むと、こちらとの差異が緊張を緩和してくれるなんて可能性は十分にある。

 早急に先生対策だ。


「参加したいな……」


 でも今は単なる願望だ。学校の先生なんていうものは、紙の上に書かれた俺にしか興味がない。そんな印象である。


「肩肘張りすぎないようにな。やっぱ無理でも構わない」


 本当に、この母はこの母だ。


「ありがとう」


 返事をしてから一拍後。母は急に思いついたように言う。


「……でも、無理なら無理って言わなきゃダメだぞ! じゃないと、わからない!」


 なんとなく意味がわかった。無理なら無理であると言う、そんな責任を俺に背負わせてくれるのだ。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、俺が人になる道を助けてくれている。そんな気がした。


「うん! ちゃんと言う!」


 その程度の余裕ならちゃんとある。だから、ある余裕を練習のリソースに注いでいこう。

 本当のところ、専念すれば余裕はもう少しある。だけど、それはリハビリ用だ。

 隔離された俺の前提の違う社会の接点。イノセント罪なき子供でばかりはいられない世界。それは、俺にとってゲームなのだ。


 でもだからといって、その世界からはいつでも逃げることができる。逃げることのできるその世界で、逃げるのが極めて難しい成人社会までの練習を行う。そんな手法もありなのだろう。


 とはいえ、それだけでもダメだ。空気を読む技術とは大変で、人は賢馬ハンスにならねばならない。とりわけその能力が求められるのが、小中学校分野の国語である。

 俺は、これが致命的に苦手なのだ。

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