第11話・十色の旅路

 わずかばかりの夕飯を食べ終わったあと、ベッドに身を横たえると俺はすぐに意識が薄れていくのを感じた。


 次の瞬間には、まぶたを太陽が撫でるから目が覚めた。

 この部屋はいい。太陽が直々に目覚まし時計になってくれる。雨戸を閉めたりとか、そういうことをしなければ目覚まし時計がいらないのだ。


 目覚めのルーティーン空を見上げて目をつぶる。雨の日はお休みだけど、心地のいい週間だ。風と日差しを感じるための行動で、母から聞いた健康法を自分なりに実現しようとして始まった。最初、部屋の扉を出るのが怖かったのだ。


 すると、なんとも控えめなノックが部屋に転がり込んでくる。母だったらもう起きてると知って、直接声をかけてくる。だとしたら……


「父さん?」


 扉の向こうへ投げかけた疑問にはくぐもった、そして暗い声の返事が帰ってくる。


『おはよう悠希、よかったら昨日のことを謝らせてくれ』


 昨日は、事故みたいなものだったではないか。だったら謝るもなにもないと思う。

 ……ふと、いいことを思いついた。


「一分待って!」

『分かった……』


 向き合おう、向き合うのだ。今の俺は、生まれてからそれまでの歴史を煮詰めたものに過ぎない。その気持ちが湧いたなら、さぁ……。


 スマートフォンを拾い上げ、ささっとロック画面に書き上げた絵を設定した。

 見たいのだと言ってくれたから。向こうが向き合おうとしてくれたから。


「お待たせ! よかったら、これ……」


 扉を開いて、一瞬対面して渡そう。そんな風には一瞬思った。

 だけど俺は弱いな。それはできなくて、だからちょっと扉を開けた隙間から押し出して、それが扉の向こうに行くと扉を閉じた。


『えっと……』


 父は混乱した。そりゃそうだ。急に渡されても意味はわからないだろう。


「昨日絵を見てみたかったって言ってくれたから。画面をつけて、ロック画面にしたよ」


 わかりにくいけど謝罪の気持ちへの返答第一弾なのだ。

 昨日思ったこと。俺と父の間には、本心で発する言葉が足りていない。


『あ、あぁ!』


 嬉しそうな声が向こうから飛び込んでくる。


「嬉しかったんだよ。絵を見たいって言われて! だから、昨日の不幸な事故とかどうでもいい! いや、むしろ起こってよかったと思う! 父さんがどうしてあんなふうに俺を育てたか知りたくて!」


 画面をつけているはずだし、絵に対する感想を言いたいなんて思ってくれたかもしれない。でも悪いけどそれは後回しにしてもらおう。代わりに、俺の気持ちを聞いて欲しい。父さんが本心を口にしやすくなればいい、そんなことが狙いだ。


『テルに言われて気づいたんだが、俺は愚かだったんだ。物作りしてるだろ? 俺……。で、無駄なスペースを省くと、耐用年数が急激に下がったりする。それは人間にも適応されるって、わかってなかった。俺からしたら、学生時代って短く感じて、その間に必要を詰め込まなきゃいけないって思ってた。それがいつしか習慣になって、正義感に任せてひどいことを言うようになってた。本当にすまない……』


 母さんなら言ったはずだ。“あんたもそんな言葉の中で生きてきた”って。

 でも、こんなふうにも考えられる。大人になって歪んでしまっていて、母さんのブチキレが、それを直しただけ。だから変われた。元々ロールバック用のポイントがあったのだ。

 俺は、運がいいみたいだ……。


「父さんでいいよ。昔は俺に対しては自分をそう呼んでたじゃん! それと、よくわかった。俺のためだったんだね?」


 扉の向こうで父はどんな顔をしているのだろうか。声はとても後悔に満ちていて、とてもじゃないけどもう責める気になれない。そりゃ、俺はむちゃくちゃにされたかもしれないけど、まだまだやり直せる。

 いや、きっとやり直さないとダメなんだ。そんな、歪んでしまった時期のせいで人生を棒に振るのは馬鹿げてる。


『許してくれるのか?』


 馬鹿なことを聞くなぁと、心の中で感想を呟いた。


「うん! やり直そう!」


 俺自身も、俺と父の関係も。できれば本当の母も。


『ありがとう。それと、今更ながら言わせてくれ。いい絵だ。空が……綺麗なんだ……』


 父は今にも泣き出しそうな声で言った。


「ありがとう!」


 俺も、なんだか泣きそうになっていた。

 初めてだ、趣味でしかない絵を父が評価してくれたのは初めてだ。


『なぜ俺は、これに気付けなかったんだ……』


 涙を搾り出すかのように、父は声を絞り出した。それは独り言のようであり、また懺悔のようだった。


『悠希! 画材は要るか!? 絵の具は!?』


 続いて怒涛のように投げられるこの言葉は、きっと応援の気持ちだ。不器用なのは変われなかったのだろう。それはなんだか、ひどくおかしい。

 だから、金銭と物質でなんとか伝えようとしてるのだろう。男親って感じだ。いつも画面の向こうから出てこない憧れの父親像。それが、扉の向こうに出来上がりそうなのだろうか。


「デ……デジタル専門だよ!」


 でも悲しいかな。俺は画面の向こうにしか絵をかけない。


『そうか……』


 少し悲しそうな声。気持ちは充分受け取ったのに。

 でもまぁ……。


「チャレンジしてみたいかな。鉛筆と画用紙をくれない?」


 なんだかんだで俺は若いのだ。だから人生の消化率は低くて、時間はたっぷりある。チャレンジなんて、いくらしてもいいかもしれない。


『そうか! 必ず買ってこよう!』


 ボールペンの芯を出す音が微かに聞こえた。一体何をやってるのか、手にメモでも書いてるのだろうか。それはまるで、主婦のようだ。


「ありがとう!」


 可笑しくて、少し笑いながら返事を返した。


『あぁ! ところで、なぜ盾を持っている男は、背を向けてるんだ?』


 痛いところをふと、突かれてしまった。


「それは、男キャラの顔がものすごく下手っぴだからだよ……」


 少しだけ恐怖を感じた。だが、帰ってきたのは応援の気持ち一辺倒だったのだ。


『なら、石膏像も買ってこよう! ハハハ、息子の夢を応援するとは、懐が痛い! 本当に痛い!』


 痛いのなら、なぜそんなに嬉しそうに言うのか……。

 可笑しくて、またまた笑ってしまった。とにかく、今日はいい日になりそうだ。既にいい日なのに、あんなに太陽が明るいから。

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