第4話 一日目の夜

 自分の部屋に戻り、横になって目を瞑る。目から与えられる情報量はあまりにも多過ぎる。考え事をする時は、目を瞑った方がいい。


「はぁ」


 グッと力を抜く。人は意識しないと、ちゃんとした意味での脱力ができない。ただ目を閉じただけ、横になっただけではちゃんと体を休められない。休む時は、しっかりと休むことで、回復することができる。常に張り詰めていては、肝心な時に力を最大限発揮できない。人間は不便だ。


 さて、彼らをどう退学させるか。別に彼らがどうなっても、私の知ったことじゃない。どんな目に遭うことになっても、どれだけ傷付くことになっても、所詮は他人。だから手段はなんでもいい。過程もなんだっていい。ただ、退学という結果さえ得られるのであれば、最も簡単な方法を使う。


 そうしてしばらく部屋で一人考え事をしていると、部屋の外に呼ばれた。もう七時くらいだから、みんな揃っているだろう。時計を見てみると、ちょうど七時ピッタリだった。いい匂いがする。



◆◇◆



「食事を用意致しました。本来は好きなものを好きなところで食べてもらって構いませんが、本日はクラスの親睦を深める、というのもあり、食事を用意しました。もちろん、残してもらってかまいません」


 学園の職員だろう。淡々と料理を机に置いていく。思ったよりも豪華な食事になっていた。バランスも考えられている。健康的だけどそれでいて質素なものにはなっていない。よく考えられている。


「それじゃあ自己紹介がてら、一緒に食べよう!」


 グランが場の主導権を握る。クラスの会長だし、まとめ役としては申し分ない。


「俺はグラン・バーニン。同じクラスでやっていく以上、みんなと仲良くしたいと思う。よろしく。じゃあ順番に自己紹介していこうか。俺の右隣からで大丈夫かな」


「付き合ってられるか。お前らで勝手にやってろ」


 面倒だとルワは食事だけを持って部屋に入っていった。二人の子分もそれに続いて部屋に入っていく。


「まあ、強制はできないよねー。嫌な人は別に部屋に戻っていいんじゃない?」


 ウリシアがそういうが、彼ら以外にこの場を去ろうとする人はいない。


「じゃあ、ここにいる人は構わないってことかな? まあ、聞くだけでもいいと思うよ。ってことで、したい人から自己紹介していってねー」


 場の主導権はウリシアに持っていかれていた。


「あ、私はウリシア・アーレイン。よろしくー」


「なら、私から。皆さん知ってるでしょうし。エメリア・エレメルともうします。まあ、そんなに堅苦しくはしないでいただけると、私も嬉しいです」


 それから次々に、残った面々で自己紹介をしていった。自分の自慢話をする人もいた。


 ーーそして最後に残ったのは私だった。このまま私だけ言わないのも、なんだか気持ちが悪い。


「ノア・ブルーホワイト。えっと……よろしく」


 失敗したかな、よくわからない。自己紹介というものが、私にはよくわからない。何を言えばいいのかが難しい。


 まあいいわ。最低限名前は言ったし。


「うーん、と……何か、得意なこととかってある?」


 ルナが私に聞いてくる。彼女は何かと私に関わってくる。彼女の行動にはエメリアと違って打算がない。純粋な善意で行動している。そんな彼女を無下にするのも心が……痛む。


「得意なことは特にないけれど、だいたいのことは経験してきたつもりよ。だからまあ……器用貧乏?」


 何事もそれほど変わらない。才能が無くとも、最適解を時間をかけてやれば、凡人としての極致にはたどり着ける。無理にでもやらせられれば、だいたいのことはそれなりにできるようになる。


「ほう? 例えば何ができるのでしょうか?」


 ため息が出そうになる。ルナに比べて、エメリアは悪意がある。 それは表面には出てこないけれど、裏では確実に存在している。正直、彼女に付き合うつもりはない。ただ、腐っても彼女はこの国の王女。公の場で無視するわけにもいかないだろう。


「そうね……なら、王女様は何か得意なことはあるかしら?」


「そうですね……剣とお茶なら」


「気を悪くしたら申し分ないけれど、剣なら私は貴女より強いと思うわ。お茶はまあ、それなりの物ができると思う」


「ま、そうでしょうね。ただ、真っ向から自分より強いと言われると、ちょっと傷つきますね」


 エメリアはしくしくと口を動かす。声にはしないけれど。


 まともに相手をするんじゃなかったわ。この人、本当に面倒くさい。


 それからも、ルナにはあれこれ聞かれた。周りを見てみると、それぞれで会話しながら食事をしている。食べてみると見栄えだけではなく、味もしっかりとしていた。ただ、私は食べ物の味にあまり興味はないから、美味しくても美味しくなくてもどうでもいい。


「ねえねえ、食べ終わったら、一緒にお風呂に行かない?」


「……一つ聞いてもいい?」


「何?」


「貴女はどうして私にかまってくるの? 私達今日初めてあったわよね?」


「そうだけど、ノアちゃん可愛いから。仲良くなりたいなって」


「可愛い? 私が」


「うん、可愛いよ」


 そんな言葉、初めて言われた。彼女と話すのは嫌いじゃない。ストレスなく接することができる。彼女は積極的だが、無神経でも不遠慮でもない。



◆◇◆



 私は今、浴場に来ている。結局あの後、みんなでお風呂に入ろうということになった。初対面の人と積極的に関われるのも一つの長所だと思うけど、私は苦手だ。


 お湯は暖かいけど、熱すぎない。しっかりと調整がされている。風呂に入っていても、結局話をするだけだ。


 人は長湯する人がいれば、すぐに出ていく人もいる。私には長湯する人の気持ちがわからない。風呂なんて汗と汚れを洗い流すことができれば、それでいいと思うからだ。


「うーん、気持ちいいー」


 ルナは腕を伸ばして、本当に気持ち良さそうに入っている。


「貴女も、少しは気持ち良さそうにしたらどうですか?」


 はぁ。ルナと違って、王女様と話すのはストレスが溜まる。結局のところ、私とルナと王女様で入っている。


 そしてエメリアには視線が集まっている。主に胸に。周りのを見てみても、一番大きいのはエメリアだ。もちろん私よりも。いい食事をしてきたみたい。、


 エメリアの丁寧な言葉の中に、ほんのりと人を見下したような、あるいは馬鹿にしたような様子が感じられる。それは普通に聞いていれば、わからないような些細なものだ。


「悪いけど、湯浴みを気持ち良いと思ったことがないの。いつも、最低限汗と汚れを洗い流せばすぐに出ているもの」


「え? そうなんだ。女の子ってみんなお風呂が好きなんだと思ってた」


 そんなわけは無いだろう、とは口にはしない。男の人も女の人も、風呂が好きな人がいれば、嫌いな人だっているだろう。何事も好き嫌いは発生する。


 私が何か好きだとして、それを相手が好きかどうかなんてわからないということだ。同時に、自分が嫌いなものを、相手も嫌いかどうかもわからない。


「素直な人ですね。世間体とか、気にしないんですか?」


「あいにく、私の家は名乗れるような名家ではないわ」


「ブルーホワイト……確かに聞いたことのない姓ですね。貴女の父親は……」


「父親の話はやめて」


 私は強い口調で言う。ルナとエメリアの二人はビクッとした。父親の話だけはしたくない。例え、誰であろうとこの話はしない。無理やり割らされるくらいなら、私は死を選ぶ。


 あれを知ったまともな人間は、あの男の恐怖から逃れられない。やつに操られて生きていくか、やつを恐れて一生逃げ続けるか、死ぬか。必ず不幸が訪れる。


「……嫌なことを聞いてしまったみたいですね。それは申し訳なかったです」


「……私の姓は母親の姓よ。会ったことはないけど」


「そうなんですか。貴女の身内は色々と、問題を抱えているみたいですね」


「それはお互い様でしょう? 王族にも、何かと問題はあるんでしょう?」


「さあ? どうでしょうね?」


「うーん……私、エメリアちゃんとは長い付き合いだけど、家の問題とか聞いたことがないよ」


 ルナが話に入ってきた。王女様と長い付き合いというのは、王国内でそれなりの地位があるということ。


 それもそのはず。彼女は剣聖の一族だから。さらに言えば、彼女は当代の剣聖だ。


「まあ、それなりのいざこざと言いますか、そういったものはありますよ。第一子が女性だったのは長いエレメル王国の歴史で初めてだそうですよ。次代の王は最初に産まれる子だと決まっているらしいのですが、女性の王は今まで前例がないので」


「それで? 王位継承権は誰が持っているのか、聞いてもいいかしら?」


 本当は知っているけど。


「現状は弟ですよ。ただ、今でもこのことに関しては国で話し合いが行われています。今後こういったことが、起こった場合にどういった対応をするのかを決めたいのでしょうね」


 そう、全部知っている。それでもこの話をしたのは話題を振りたかったからだ。これが空気を読むと言うものらしい。他人と関わっていく以上、こういった能力も必要だろう。


 せっかくなので、この面倒くさい王女様には私の会話力向上のための実験体になってもらう。


「アリアル王国は今、王様は女性だったはずだよね? エメリアちゃんは頭がいいから、王様もできると思うんだけどなー」


「どうでしょうか。そう上手くはいかないと思いますけどね」


 アリアル王国は南に少し離れたところにある島国。


 南にアリアル王国、西にグロシア国、東にカライシス新国、真ん中にエレメル王国。


 そして、北にはブラッドムーン帝国がある。あそこには碌な思い出がない。


 その中でもアリアル王国は女性の待遇がとても良いと言われている。


「……そろそろ出るわ。のぼせてきてしまったから」


 こんなに長く湯に浸かったのは初めてだ。


「あ、大丈夫? ノアちゃん?」


「平気よ。気にしないで、ルナさん」


「でしたら、私とルナさんとワインでも飲みませんか?」



◆◇◆



 湯浴みを済ませ、寝間着に着替える。そして、ルナと一緒に王女様の部屋に来ている。私は今日二回目だ。


 慣れない長湯はするものじゃない。思ったよりも頭がぼーっとする。体も火照っている。疲れとは違うけれど、動きが鈍るのは間違いない。


「ノアさん、飲まないのですか? 美味しいですよ、このワイン」


 目の前にはグラスの半分より少し入ったぐらいのワインが置いてある。 


 私はグラスを手に取り、口に運ぶ。私には美味しくても、美味しくなくても変わらない。ただのアルコールが入った飲み物というだけだ。これを飲んだら、今日は早めに寝ることにしよう。


 エレメル王国は十五歳以上の人が飲酒を認められている。


「このワイン、一体どこから仕入れてきたのかしら?」


「ブルー=ファーストに、ぶどう農園の息子がいるんですよ。その人から高値で買わせてもらいました」


 ぶどう農園の息子ね。さて、どんなあくどい売買をしたのやら。本当に高値で買ったかどうかはかなり怪しい。この王女様なら、色目を使ってなんてことも普通に考えられる。もしくは王族の権力を使ったか。


 そう考えている内にワインはなくなった。貴族はワインをゆっくり、じっくりと味わうらしい。よくわからないけど。


「もう、寝るわ。おやすみなさい」


「ええ、おやすみなさい。ルナさんは私が部屋に届けます」  


 ルナはワインを一口飲むと顔を真っ赤にして、よくわからないことを言ったと思ったら、その後すぐに倒れてしまった。お酒に弱かったらしい。



◆◇◆



 再び、自分の部屋に戻ってきた。


 一日目、色々なことがあった。きっと後々この日を思い出すと、長く感じるのだろう。同時にあんなに多くの人と一緒にいたのは今日が初めてだ。


 疲れた。慣れないことは精神を擦り減らす。新鮮に感じても、新たな日々を楽しいと思っても、裏では心が疲れている。


 寝台で横になる。もう眠ろう。今日は疲れた。体は疲れていなくても、頭と心が疲れている。


 睡眠はあらゆる疲労に有効だ。肉体の疲労は回復するし、頭の疲れは無くなるし、心も癒える。怒っている人が明日になると少し収まっていることが多いらしい。私は本気で怒ったことがないからその気持ちは理解できない。


 考え事をするのも一旦止めよう。目を閉じて、私はゆっくりと意識を手放した。

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