赤ちゃんが描いてくれた!
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
第1話 ぐちゃぐちゃの絵
子供の頃から、お母さんになるのが夢だった妹が、二年前に結婚し、お腹に赤ちゃんを授かった。名前は春くん。それまで家系図の末端にいるのは、私たち姉妹だったから、そこからさらに枝分かれして、身内が一人増えるという感覚は、なかなかに新鮮だった。もちろん嬉しい意味で。
今日は妹夫婦と電話で示し合わせて、春くんに会わせてもらえることになった。お互い仕事で、他県に住んでいるため、予定を合わせないと、こうして会えない。電車を乗り継いで、わざわざ甥っ子に会いに来たのは、もうすぐ彼の誕生日だから。まだ赤ちゃんだから、どんなものが似合うのかとか、どんな色が好きなのかとか、よくわからないから、直接本人に会って、似合いそうな雰囲気のものを買いたいと、妹夫婦にお願いしたのだ。快諾してもらえてよかった。
「いらっしゃい、姉さん」
アパートの外まで出迎えてくれたのは、春くんを抱っこする妹だった。生まれたばかりの頃は、顔がしわくちゃだった春くんも、すっかりふっくらしている。ふさっと生えた柔らかそうな前髪と、ピンクのほっぺたが可愛い!
「こんにちは。おばちゃんのこと覚えてるかな?」
優しく声をかけたつもりだったけれど、私が顔を近づけたのが良くなかったのか、春くんは火がついたように泣き出してしまった。妹が苦笑しながら、さっそく私を部屋まで案内してくれたんだけど、春くんは私が帰るまで、ベビーベッドの中で大泣きし続けたのだった……。
「ごめんね、姉さん。うちの子、そろそろ人見知りする年頃みたいで」
申し訳なさそうに電話する妹に、私は駅の中で、気にしていないよと返した。本当はめちゃくちゃへこんでたけど。
せっかく予定合わせて、妹にも会えたのに、春くんの鳴き声が大ボリュームで、ろくに話もできなかった。途中で、妹の旦那さんも帰ってきて「珍しいなぁ、春が号泣してるなんて」なんて言うものだから、春くんは普段こんなにも長くギャン泣きしない赤ちゃんだってことがわかってしまった。
これって、私が遊びに来たせいだよね……。
妹も何とか春くんを泣きやませようと、何度も抱っこして必死にあやしてくれていたけど、だんだんとその声に疲労感がにじんできて、私はいたたまれなくなって、早めに帰ったのだ。
あぁ、何もあんなに泣かなくても……飲んだお茶の味もわかんなかったよ。
それから数日して、一通の手紙がポストに入っていた。妹からだった。いつもメールなのに珍しい。
封を開けてみると、白い紙に黒のボールペンで、何かがぐちゃぐちゃに殴り書きされていた。これは、人の絵、なのかな? 目玉が二つ、頭の輪郭を突き破ってるけど……カエルの絵?
ん? これ真ん中にも目がない? 三つ目のカエル??
フロッグモンスターの下に、妹の字が添えられていた。
『おばちゃんの絵を書いたんですって。真剣になって描いてたから、見てやって』
これ、私だったの!?
へえ、この真ん中の目玉は、私の鼻か。一歳未満児にしては、上手じゃないの。よかった、てっきりめちゃくちゃ嫌われちゃったかと思ってたから、私からの誕生日プレゼントなんて、いらないかなぁって悩んでたんだ。
嬉しいから、片手で玄関の鍵を開けながら、もう片方の手でスマホを操作し、妹にかけた。
「あ、もしもし? 春くんのお手紙届いたよ。ねぇ、春くんは黒のボールペンしか使わないの?」
「うーん、小さいクレヨンは食べちゃうのよね。色鉛筆は、先が尖ってて危ないし」
ボールペンも危ないと思うけど。まぁ、色鉛筆よりは頑丈な作りをしているから、芯が折れて食べちゃったりする事はないか……。うーん、活発になってくる赤ちゃんに合わせて、道具を揃えるのは大変だなぁ。
でも春くんはお絵かきが好きみたいだし、何かそれ関連のおもちゃをプレゼントできたらなぁ。
……ここで悩んでても仕方がないから、ベビー用品店に行って、ぴったりなプレゼントがないか店員さんに聞いてみよう。
それから一ヶ月が過ぎ、私は仕事の都合で春くんの誕生日は一緒に祝ってあげられなかったけれど、通販サイトでプレゼントは送ってあげられた。
後日、一通の手紙が届いた。送り主は妹夫婦。私はさっそく封を開けて、中身を取り出した。
大きめの写真が出てきた。妹夫婦に抱っこされて、ろうそく一本の小さなケーキを凝視している赤ちゃんは、春くんだった。その小さな片手に、緑色の石のようなものを持っている。
「ふふ」
私は、その石の正体を知っていた。赤ちゃん用のクレヨンだった。赤、黄色、緑、青、黒の五色セットで、小さなじゃがいものような大きさ。赤ちゃんの口の中には入りきらず、万が一舐めてしまっても、人体に無害な成分でできていた。
それを食事の時も肌身離さず、片手に持っている姿は、とても可愛かった。気に入ってくれたようで、本当によかった。
封筒の中には、もう一枚、紙が入っていた。あのクレヨンで描いたのだろう、カラフルな三つ目のカエルが、でかでかと殴り書きされていた。
私はすぐに妹に電話をかけた。
「あ、もしもし? うん、手紙、届いたよ。誕生日プレゼント、気に入ってくれたみたいでよかった!」
「うふふ、今も黄色と赤を両手に持って、そのままお昼寝してるんだよ。なくしちゃわないか心配だよ」
「あ、じゃあ今度、ベビー用品のカタログを送るね。他にもいろんな色があったよ」
こうして私は順調に、親バカならぬ甥バカになっていくのであった。
いつかあのクレヨンが、とても小さくちびって、春くんの口に入るような大きさになった頃には、彼はクレヨンと色鉛筆を駆使して、大きな画用紙に大好きなものをいっぱい描けるようになっているんだろう。文房具を口に入れようなんて、決して思わない歳になっているはずだ。
こんなにぐちゃぐちゃな絵も、もう描かなくなってるんだろう。
私があげたベビー用クレヨンを卒業するまで、おもしろい絵をたくさん描いてね。
おわり
赤ちゃんが描いてくれた! 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar
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