九、血のりと銃は使いよう
あの瓦礫の山に埋まってもほぼ損傷しなかった私が、戦車の横倒しごときでダメージを受けたとは考えにくかったが、腕を動かそうとすると、ぴくりともしない。てっきり壊れたかと思った。
しかし、すぐにゆっくりとだが、右腕が邪魔な鉄板を押しのけ、じわじわと体を動かし、なんとか戦車の下から顔を出すことが出来た。
これは予想外の状況である。体内器官はかつてないほどに高温になり、電気信号が胴体や手足の作動を促すべく全身をめまぐるしく駆けている。
これで明らかになった。私はかなり弱っている。脳や体内の各部が損壊し、機能が著しく低下している。
やはり、アリーナ崩落のとき、思ったよりもはるかに多大のダメージを受けていたようだ。
だが、目の前には博士もいることだし、壊れればメンテしてもらえると思うので、なんら任務に差し支えはない。
もっとも、彼女がこのまま無事に済めば、の話であるが。
この巨大な象の屍のような車体の下から垣間見たところ、いまや立場は逆転し、博士に向かってエリが銃を向けている。倒れた戦車のハッチから這い出し、即座に突きつけたのだろう、博士は持っていた銃を捨てざるを得なかったようである。
今の彼女は、白衣に包まれた両腕を挙げて丸腰でいる。しかし、顔は相変わらずにやにやしている。
これにはエリも困惑したようだ。
「あら、ずいぶん余裕じゃない」
「だって、この程度で勝ったと思ってる君が、面白くてさぁ」
博士はバカにした声で、言葉どおり、面白そうに言った。
「ブラちゃんは無敵だと言ったじゃん。たとえ壊れても、自分の力で立ち直って、またちゃんとお仕事するんだよ。ねえ、ブラちゃん!」
私に向かって呼びかけるので、そんなもんかと思い、体を車体から引き出そうとした。ぎりぎりと時間はかかったが、なんとか両肘を使って、昆虫の幼生が卵から生まれるがごとく外に這い出し、日の下に出た。
だが、立ってみると足がふらつき、猫背になってよろよろした。明らかに弱っているうえ、血がもう十分の一しかない。こうしている間にも足元から微少な血が流れ出している。
これも、血を早く失うことにより、なるだけ多くの人命を奪うことにだけ特化したための、私の製品としての欠陥だろう。おそらく、あと十五分くらいで、全機能がストップすると思われる。
しかし、凛博士はあくまで強気である。「ほら、もうダメみたいじゃない」とエリが私を横目でバカにしても、両手を挙げたまま薄笑いをやめない。
「ほらブラちゃん、あっちに物凄い量のご馳走があるよ」
博士が右手で指した方向には、避難用のキャンプが見えた。負傷者が山のように転がってひしめき、散らばった白衣の医者に救護を受けている。ここから、ざっと百メートルほどで、そう遠くはない。エリの舌打ちが聞こえた。
私は血に惹かれて、そっちへふらふらと歩き出す。
エリが無駄に叫んだ。
「こらっ、行くなっ!」
「止めようったって無駄だよ」
勝ち誇る博士。
「さあ私のブラちゃん、あそこでたんと血を飲んで、また暴れなさい! あんたはどんなに壊れても、血を補給すれば、器官が自動的に再生するように出来てるから。人間の怪我が自然に治るのと同じに」
「なんですって?!」
エリはたまげたようだが、私は任務続行が可能になると分かったので、そのまま歩き出した。
ところが、止まった。
至近距離から血の匂いがする。
見ればエリが、自分の腕をナイフで切り、たらたらと出血させて、こっちへ突きつけている。
当然、私はそっちへ行こうとした。
「ほら、こっちへ来な!」
「そうはさせるか!」
博士が飛びかかると同時に、エリの銃が火を吹いた。博士は胸を撃たれ、後ろにがくんとよろめいた。
それでも、顔は悪意丸出しで笑ったままだ。
「ひっひっひ、やっぱ君は詰めが甘いね、ごふっ」
よろけ、口から霧のような血を吹いて嘲笑う。
「こんなことをしても、その子に血を与えるだけだよ。さあブラちゃん、こっちへおいで」
両腕を広げる博士。白い胸にあふれるまっかな鮮血が日の光にぎらぎらと輝き、私の全機能はそこに集中した。
――チヲ、ホキュウセヨ!
――アノチヲ、スベテトリコメ! スイツクセ!
「早く来て、ブラちゃん! 私の胸へ!」
とろけるような笑みでハグのポーズをする博士。
「愛してるよ! 愛してるのは、この世で君だけだったよ! さあ私の血をあげる! ぜんぶあげる! 私の全てを君にあげるから、生きて! 生きるんだよブラちゃん!
さあ来て! 早く来なさい! 早く! 早く!」
ところが、感動の抱擁はなされなかった。エリが再び博士を銃撃した。よろけて、さらに血を吐き、なおも口元を吊り上げて毒づく博士。
「む、無駄だって言ったじゃん。バカなんじゃないの、君は。こ、こんなことしたって――」
言い終わらぬうちに、さらに連続で弾をガンガン撃ち込むエリ。博士は弾かれ、衝撃でどんどん後ろに下がってゆく。私から、どんどん遠ざかってゆく。
「な、なにを――」
あえぐ博士。
「ぐ、ぐはあっ! ま、まさか――!」
エリの真意が分かったらしいが、遅かった。エリは何発も銃弾を撃ちこみ、博士をどんどん吹っ飛ばして、私から遠ざけていく。
背後に崖っぷちがあった。最後の弾を撃ち込むと、博士は甲高い悲鳴をあげ、後ろに吹き飛んで消えた。
凛博士の姿を見た、それが最後だった。
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