七、デュエルその一

 しかし意識は闇にならなかった。アリーナの天井は、私にはさほど重くはなかったようで、分厚いコンクリの塊に挟まれた腕を容易に動かせると知り、私は闇の中から這い出した。


 すぐに明るくなり、顔を出せば、そこは瓦礫の山だった。数万人収容の巨大ドームは、見渡せば一面に潰れており、ぐちゃぐちゃの石の堆積から柱や壁の一部が飛び出た、完全なゴミの山と化していた。月のクレーターを間近で見たら、こんな感じだろうか、というほどの廃墟だ。

 体を外に引きずり出し、立ってみると、ダメージはほとんどなく、歩いてふらつくこともなかった。


 しかし、せっかくあれだけ補給したはずの血が、もう三分の二くらいに減っているので、早く人間を探さねばならない。見れば瓦礫のそこかしこに黒ずんだ部分がある。客の血だろう。

 だが、こんなに染み込んで変色していては、足しにすることも出来ない。生きた人間が必要だ。助かった者くらい、どこかに少しはいるだろう。



 それはたやすく見つかった。後ろ頭から下がる馬の尻尾が風に揺れている。こいつは私が会うとき、なぜかいつも後ろを向いている。

 しかし敏腕な軍人のこと、すぐに気づいて振り向き、目を見開いた。この顔からすると、今回は罠ではなかったようだ。

 これでやっと、この仇敵を倒せるわけだが、もちろん人間のような嬉しさなどは微塵もない。これで、この先、活動して人を殺せるぶんの血が得られる。それだけだ。


 榊エリは今、こびりついた黒い血とほこりにまみれ、肩やすそなど、ところどころ破れたベージュの背広姿で、私の前に立っているが、辺りにレーザー砲は見当たらない。つまり彼女は、私にここで殺される以外に道がないということだ。

 だが、これが本当に罠でないという確証は未だ持てないので、すぐに飛び掛るわけにはいかなかった。


 私は奴としばらくにらみ合いを続けた。背広の下、ズボンのポケット辺りに右手を入れているので、銃は持っているようだが、そんなものは何の役にも立たないことくらい、私より彼女の方がよく知っているはずだ。

 私がじりじり進むと、榊もじりじりと退く。銃ごときでどうにかしようと、めまぐるしく考えている顔だ。


 私は右手からソードを出し、振り上げた。これで終わりだ。とっさに榊が銃を出した。予想よりもでかい。

 分かった。私の顔面を撃って、衝撃で下がった隙に逃げようというのだ。見え透いた策だ。

 私が衝撃を和らげるため背をかがめると、奴は蒼くなった。このまま奴の体を貫くため、右腕を突き出そうとした。

 そのときだった。


 いきなり前から激しい風圧が来て、私は背後に数メートルほど吹っ飛ばされた。

 戦車だ。

 ロケットのような戦車の弾丸が、榊のすぐ脇から飛び出し、私を後ろへ吹き飛ばしたのだ。



<軍人板の書き込みより>

「隊長のあとをつけたけど、気づかれなかった。子供を母親らしい人に引き渡すのが見えたんで、私は隠してあったアレを探した。辺りはすっかり様子が変わったけど、レーダーには反応するんで、無事みたいだ。

 行ってみると、茂みは爆風で焼け焦げてはいたが、その中に潜むでかいものにまでダメージは及んでいなかった。


 それは私が用意したんじゃなくて、榊が他に張り込ませてた部下の一人が、試合前にあらかじめ持ってきて、会場裏の茂みに隠したもんだ。レーザー砲も隣に隠してあるが、それだけじゃ不安だったらしい。

 私はそいつとなじみだから、場所も教えてもらったし、探知機も貸してくれた。



 まずは隣のレーザー砲を動かそうとして、はたと止まった。

 茂みの向こうに何かいる。葉の隙間から覗いて驚いた。隊長のセクシーな背。その向こうに、例のブラちゃんの気味悪い上目。

 絶体絶命だが、隊長はツイてる。ブラ野郎も、まさか私がここからレーザーを撃つとは思うまい。


 だが、まずいことに気づいた。こいつを作動させたら、結構な音がする。気づかれてここに飛び込まれたら、私が殺されるだろう。そのあと隊長もやられて、終わりだ。

 まずい。とてつもなく、まずい。


 いや、待てよ。こっちのは、音がしないな。

 なんせ最新式だから、最大限に音をしぼり、ほとんど無音で電源をいれられる。弾の動く音すら、絹がこすれるようになめらかで、至近距離でなきゃ聞こえない。

 私は直ちに隣のアレに乗り換え、静かに作動させて、大砲をゆっくりと奴に向けた。


 茂みの中から除き見れば、奴は手からあの殺人刃を出して、いったんは振り上げたが、急に前に突き出した。殺る気だ。

 私はすかさず発射した。弾丸は奴に命中し、向こうの瓦礫に突っ込んだ。


 これでブッ壊れてくれるといいんだが、そんな気休めを言うと、きっと榊の冷たい流し目が待っている。いいじゃんよ、助けたんだから。



 茂みから戦車を出して私が降りてくると、奴は普段どおり礼も言わないけど、ありがたそーな目はしてた。生まれて初めて、こいつを『かわいい』とか思ったよ。やべえよ私、さいきん変だ。


『とにかく、さっさとやっちゃいましょ』

 榊の言うまま、レーザー砲をこれも茂みから引っ張り出して、向こうでおねむのブラちゃんに向けた。

 アディオス、人殺しの鉄くず。


『……ちょっと待って』

 後ろのハッチから何か出てる? 衣服のすそ?

 そんなん、今はどうでもいいでしょう。早く、あのにっくきブラ公をこれでやっちゃわないと――。


 だが榊があけると、軍服の細い腕が飛び出た。引きずり出すと、見ていた私も一緒にあっと叫んだ。

 ここへ戦車を持ち込んだあいつ、私に探知機も貸してくれたダチのあいつが、無残な姿で、このレーザー砲の後ろのハッチに押し込まれていたんだ。

 嫌な予感がした。


『高見! 後ろ!』の声を最後に、真っ暗になった。頭を銃で思いっきり殴られたんだ。

 そうだ、そいつがダチも殺してここに隠したのだ。隊長の悪友にして同期、この事件の全ての大元。

 桜庭凛博士だ!」







「……僕は奴の最期を見届けなければ、気が済まなかったのです。


 地下道で奴は僕を人質に取り、父が代わりに殺されました。あのときの恐怖、あいつの冷たい体、喉に押し付けられた刃の身の毛もよだつ感触は、今でもありありと思い出せます。そして逃げていく僕の背後で響く、父の恐ろしい叫び。


 しばらくは喉にものも通りませんでした。何もかもがただただ恐ろしく、扉がひらく音が恐ろしく、誰かの足音が恐ろしく、刃物が恐ろしく、数週間はほとんど眠れませんでした。


 でも母はもっと辛かったはずです。

 なのに誰にも八つ当たりもせず、ときどき台所や洗濯機の前の丸椅子に腰を下ろして体を丸め、壁のただ一点を、食い入るように見つめて耐えていたのです。



 時間が経ち、恐怖が薄れるにつれ、僕は深い悲しみにどっと襲われ、何日も泣き明かしました。そしてそれも徐々に薄れると、今度は身も震えるほどの激しい怒りと憎しみが頭をもたげてきました。

 だから後日、奴の公開処分が行われると知ったとき、僕は真っ先に応募しました。見届けずにはいられなかったのです。僕や僕の家族をこんなにした、あの悪魔に審判が下されるのを、この目で確かめずにはいられなかった。



 母もたぶん同じ気持ちで、僕に付き添ってドームまで来てくれたのですが、最前列の遺族席に着くと、一気に幻滅しました。こんなくだらないショウは見る価値もない、帰ろう、と言いました。表向きは犠牲者の弔いと言いながら、低俗な試合でお金を稼ぐことが、死んだ父へのひどい冒涜に思えて、辛かったのでしょう。


 でも、僕は動きませんでした。低俗だろうがなんだろうが、絶対に奴の破壊される瞬間を間近で見なければ、なにも始まらないし、終わらない。そう思ったのです。

 自分に決着をつけるためでした。踏ん切りをつけるためでした。これを見ないと、僕の時間は、この先も止まったまま、永久に進みださない。

 そう信じたのです。


 それで母はホールの外に出て廊下で待ち、僕ひとりがかぶりつきで観戦しました。ステージ中央に奴が現れると、あのときの恐怖が甦って心臓がばくばくしましたが、胸に手を当てて、生つばを飲み込みながら必死にそれを抑えました。奴は何度もマットに叩きつけられましたが、壊れることはありませんでした。代わりに対戦相手のデカブツが故障し、あとは皆さんご存知の通りの、大惨事になりました。


 僕は、そこで父の待つ場所へ行くはずだったのですが、奇跡的に踏みつけられず、人々に圧迫もされず、ただ無数の死体の山に運ばれて、ホールの真ん中付近まで下がりました。

 しかしそこで足元に穴があき、僕は真っ逆さまに落ちました。天井あたりから十メートル近く下へ落ちたので、今度こそ死ぬと思った。

 そのときです。

 僕の体を、両腕でがっしと受け止めた人がいたのです。


 涙も乾いてしまった目をひらくと、目の前に女神のように綺麗な女の人の顔がありました。この混乱の中、必死の気遣いの笑みを浮かべてくれて、僕は自分でも信じられない勇気が、この身の奥からむくむくとわきだすのを感じました。言われるままに、おぶさったこの手を、僕は死んでも放すまい、と誓いました。


 彼女は僕を背負って、崩れ落ちるネオ・アリーナの廊下を入り口めがけて走りました。そのベージュの背広はどす黒い血がべったりとつき、倒れこむ死体にときどき足を取られながらも、降りかかるチリとホコリを被って精一杯駆け、僕を救ってくれたのです。

 外で母に会えたとき、僕の全ての力が抜けました。


 命の恩人の彼女が、どこの誰だか分かりません。母も名を聞くのを忘れた、お礼が出来ない、と今も悔やんでいます。



 僕は、あれはきっと神様だったと思っています。外に軍隊を送ってガバガバ人を殺すだけでなく、国内でもこんなふうに大勢の人の命を虫けらのように奪う、こんな国を心配して、平和と愛しあう心を大事にする神様が、天から降りてきてくださったのだ、と。

 だから助けられたのは、きっと僕だけじゃありません。ほかに何人もいるはずです。


 今、日本は瀬戸際にいます。今こそ戦争をやめ、昔のように自衛のための最低限の軍備だけを備えた、平和な国に戻るべきです。さもないと、これからもっともっとひどいことが起きます。僕には、そう思えるのです。

 兵隊さんだけじゃありません。僕ら普通の市民にも、戦争のために作られた化け物が、とうとう襲いかかったじゃありませんか。



 政府の偉い人、どうか聞いてください。

 僕はもう、死はたくさんなのです。父だけじゃなく、もっともっと多くの人の無残な死を、僕はこの目で見てしまいました。もうこれ以上、誰にも死んでほしくないのです。


 どうかお願いします。父の、お父さんの死を無駄にしないでください。そしてドームで消えた何万もの人たちのかけがえのない命を、どうか少しでも考えてください。

 どうか、どうか、お願いします」


(中立新聞に投稿され、文庫化された「ある遺族少年の手記」より抜粋)

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