三・五、インタールード「ババアその一」

 戦争とは、親の愛情や承認を得られずに育ち、心の奥で世界と人間を憎悪している者が行う大量殺人の別称である。

 個人的理由といっけん無関係に思える宗教、またはイデオロギーなどの違いがぶつかって起きる場合も、たとえば暴力的・排外的な教条を持つ宗派の成り立ちを見ると、そのほとんどが民族の迫害、弾圧などの不幸で悲惨な境遇を根底に持っており、やはり原因は個々人の愛情不足、という冴えないものに収れんされる、と言わざるを得ない。


 国家間で衝突が起きた場合、当事者のそれぞれの国家元首が全員まともに育った者であれば、国民のことをまず第一に考え、暴力を行使せずに済む解決法を選択するであろう。

 しかし元首が悲惨な育ち方をした者同士である場合、彼らは自国民の命よりも自分たちの都合を優先せざるを得ない。そのような者は、常に己の悲惨な過去を取り返す機会を、それも例外なく無意識のうちに、隙あらば狙っているからである。

 凛博士のように。



 桜庭凛博士の母親の人生は悲惨だった。

 日本列島から少し南へ離れた孤島に住んでいたが、彼女の母親は、長女である彼女が十代になると、男兄弟を進学校に通わせるため全員本土にやり、島には母親と長女だけが残った。父は長女の幼児期に酒で死んでいた。


 孤島といっても街が一つあり、観光だけで食っていたので非常に貧しく、犯罪は多かった。外からの旅行者にも、島を麻薬のルートに使うヤクザがいたり、市民にとっては、子供を外で安心して遊ばせられるような場所では、決してなかった。

 博士の母親は、当時なにがあったかを、ついに娘に話すことなく世を去った。博士によると、おそらく日夜すさまじい不安と恐怖に耐え、それでも生きるために不満ひとつ言わず自分の母親に従い、その仕打ちを正当化したのだろう、とのことだった。


 本当は、家族そろって本土に移るとか、逆に兄弟たちを行かせないとか、自分を気遣ってもらいたかったのだが、その本心を押し殺し、ついには消し去った。

 そう思っていたが実は、長女だからという理由で、危険な環境で母の世話係にされて利用され、ないがしろにされた苦しみと恨みは、彼女の心の奥深くに沈み、蓄積し、出口を求めて、いつまでもくすぶっていたのである。

 だから後に本土に渡り、結婚して凛博士を生んだあと、彼女を自分がかつてされたように自分の都合に利用し、使い捨てようとしたのは、避けられないことだった。


 歴史は繰り返す。

 母親は博士の着るものから食べるもの、趣味から進路から、あらゆることを自分で決定し、押し付けた。夫の高収入のおかげで、裕福な専業主婦だったことも災いし、娘は一日中、母という看守の監視下に置かれた。

 博士は、最初は人形のように大人しく従ったが、高校に上がると、タガが外れたように男狂いになった。長かった髪を切ってボーイッシュになり、喋りも男らしく、しかし無害で近づきやすい純な少年ぽさをかもして、クラスの気に入った男を釣りまくり、十数人が食い尽くされた。


「モテようとして女らしく、可愛らしく見せるなんて、バカのやることだよ。怖がられて逃げられるだけだ」

 博士はニヤニヤと言った。

「男はみんな気が小さいんだ。だから戦争すんの。人を殺すような奴を騙すなんてちょろいよ。男の真似して安心させりゃ、ほいほいついてくるんだ」


 男を女から奪って恨まれたことも多々あったが、彼女は女をバカ呼ばわりして毛嫌いし、友達は男ばかりで、学校にはよくある女のヒエラルキーから何を言われても気にもしなかった。

 だが二股がけがバレて、並んだ男二人に同時に殴られたことはある。多くの例を見る限り、男のほうが女よりはるかに暴力的で精神力がお粗末なのだが、それでも博士は男のほうがお好きなようだった。死にたかったのかもしれない。


 それでも母親にバレないよう気は使っていたが、あっちは知っていて見て見ぬふりをした可能性が高い。見えないところでガス抜きしてもらえば、娘の見かけの「服従」という建前を壊さずに済むからだろう。

「私をどんなに嫌おうが憎もうが構わないが、それを私の前で出すな、知らせるな」という脅迫は、人の親なら誰でもやることである。


 しかし博士の母親は娘を甘く見ていた。自分と同じように、また結婚して歴史を繰り返すと思っていたが、心中ではいつ今の「平和」な家庭をこの娘が破壊するか、とひそかに怯えていた。

 実際は、家庭の破壊よりも、はるかに最悪の結末を迎えた。


「ぜーんぶ、あのババアがいけないんだよ」

 凛博士は目を細めて白い歯をかみ締めた。

 母親の決めた政界への進路は無視し、密かにロボット工学の勉強をしていたことがバレて、その手の参考書を残らず捨てられたとき、彼女は決行することにした。

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