三、罠その一

 血の匂いがする。鉄分を含むので、鉄の匂いとも似ている。だが、ただの鉄はここまで匂わない。


 引かれてふらふらとビルの谷間を抜けると、街道の入り口にそれが立っていた。馬の尻尾が薄緑色の背に垂れ下がり、弱い風に揺れている。軍服を着た女の後姿。ベルトの下は左がまっすぐ、右足はコの字に曲がり、どうも何かに足を掛けて立っているようだ。それは大型の二人乗りバイクで、彼女の前の座席にも、誰かが乗っている頭が見える。


 それらの点以外に、バイクにはその前後に著しい特徴があった。前にはドラム缶のような巨大な銃身があり、今見ているポニー髪の女の後ろには、幅一メートルはある鉄のたらいが据付けられ、鋼鉄の匂いはそこからしていると、私のセンサーが告げた。つまり、あれは血をいっぱいにたたえた餌なのだ。

 この状況は一目で分かった。あの女が乗っているのは博士が言っていた軍のレーザー砲つきバイクで、後ろの鍋から発する血の匂いで私をおびき寄せたわけだ。

 つまり、これは罠だ。


 と、女がくるりと振り向き、またさっと戻った。垣間見えた顔は、なじみのものだった。私を破壊するために中東からやって来た女。榊エリだ。

 榊は運転手に叫んだ。

「出せ!」

 バイクは急発進し、砲身がぐるんとこっちを向くと同時に、彼女の体は向こう側へ隠れた。レーザー砲の鋭い先端が見えた直後、バイクは波がさっと引くように、街道へと飛び出した。



 さて、ここまでうだうだと時に小難しいことを喋り続けるほど知性があるんだから、私がこんな見え透いた罠にみすみす掛かるはずがない、とお思いかもしれない。

 しかし、私は機械である。どんな状況であっても、人間の生き血があれば構わず吸収するように出来ている。むろん、こっちがやられそうになれば、逃げたりよけるようプログラムされてはいる。


 蚊を追い回してしかめ面をする凛博士の姿が浮かぶ。

「どうせ死んでも構わない奴らが、なんで逃げるんだよ。大人しく叩かれりゃいいのに」

 蚊には逃げる気などない。そのように自然からプログラムされているだけだ。

 その意味では、私も蚊と同じである。エネルギー源が血である点も酷似しているが、私の場合は人間専門で動物の血は吸わないので、そこは違う。サイズも手で叩けるほど小さくはない。


 今、榊はしかめ面どころではないだろう。私は逃げるバイクを追いまわし、時おりこっちに撃たれるビームを右に左によけながら、少しずつ距離を縮めて、右手を突き出している。花開いたサーベルたちをぐるぐる回転させ、躍起になって撃ってくる榊を切り刻もうと、何度も脇から突っ込む。

「もっとスピードあげて!」

 奴はいきなり叫んだ。もっとドスがきいてるかと思ったら、普通に甲高い女の叫びだ。バイクは脇道に入り、ビルと塀に挟まれたせまい通路を、砂塵を舞いらせて飛ばしに飛ばす。横に逃げられないので、ここは私が不利だ。しかし相手も連発は出来ないようなので、上下する砲台に従って跳ねたり、かがんでよければよい。

 だが、そろそろけりをつけねばならない。体内の血はもう半分に減っている。あのたらいと二人の人間なら、かなりの分量だ。



 ここで、今まで言わなかった秘密兵器のことをバラさねばならない。

 別に秘密ではなく単に言う機会がなかっただけだが、実は私も右目に銃口が搭載されていて、赤いレーザービームを放つ。敵のそれと性能は変わらないはずで、鋼鉄も焼き切るが、やると血を格段に消耗するので、こういうときしか使わない。

 体内血量は三分の一に落ちるが、大丈夫だろう。敵のビームをよけながらの照準あわせは困難だが、次の発射までの空白にやってしまえば不可能ではない。


 敵の砲身が下を向き、ビームが足元をかすった。

 今だ。

 照準は砲身の向こうに覗くエリ隊長の眉間である。これでグッバイだ。

 右目から赤い線が伸びて奴の顔に飛び込む。

 そのはずだった。


「入れ!」

 掛け声がこちらの発射と同時だった。

 バイクがいきなり左に消え、私の赤いビームは路面に飛び散った。飛びつくように私も左に行ったが、奴は脇のビルの地下駐車場へ飛び込んだらしい。




 滑り込むと、暗くだだっ広い場所に出た。何台かぽつぽつ駐車しているようだが、眼下部内蔵の赤外線でぐるっと見た限りでは、ほとんどがら空きである。奴は向かいの出口にいるようなので、そっちへ行こうとした。


 その瞬間、通常ではない現象が起こった。奴がこっちめがけてビームを発したのは、なんらおかしなことではないが、そのあとだった。

 赤い光はまるでゴムボールが当たるように壁で跳ね返り、そのまま向かいの壁、床、天井と次々にジグザグを描いてバウンドしまくり、場内を縦横無尽に切り刻んで消えたのである。私には頭上をかすめただけで当たらなかったが、真っ二つになったワゴン車の陰に隠れた。

 おかしい。

 光線が壁や床にこれほどまでに反射するだろうか。


 見れば、周囲の壁がわずかに光沢しているのに気づいた。さっき見たとき赤外線を通さなかったので単にガラスかと思っていたが、そうではなかった。

 鏡だ。


 ビームを打ち返す反射鏡が、この駐車場内の壁、床、天井と、いたるところにびっしりと張り巡らされているのだ。入り口から中に向かってビームを撃てば、それは場内を滅茶苦茶に飛び回り、中に潜むものを切り刻むのである。

 ここにも罠があった。



 そういえば、デパートを出てここへ来るまで、あの二人の軍人を除いては、ただ一人の人間にも会わなかった。どうやら榊エリは、いつの間にかこの街から人間を全て退去させ、このビルに罠を仕掛けてから、私をここへおびき寄せたようだ。私を停止させ廃棄する任務のために、そうとう緻密な計画を立てたようである。


 前述のように、私は破壊されることについては何も思わないが、体はそのような危険を避けるようプログラムされているので、スクラップになった車体の陰から、もっとビームが当たりにくそうな場内隅の、斜めに突き出た太い支柱の下に身を隠した。ここなら光線が柱に当たる可能性があり、助かる確立がぐっと上がる。


 しかし敵はすぐ次を撃ってこない。ためしに隣の柱まで這って移動したが、それでも来ない。レーダーで見ていないのだろうか。

 そこで、このままさっき入った入り口まで行き、そこから逃げることにした。じりじりと柱に隠れつつ近づき、一気に走れば、あの赤いジグザグが始まる前に外へ出られるかもしれない。


 ところが、ぽっかりあいた黒い入り口から、何かが突き出ているのに気づいた。さっき間近で散々見た奴と同じである。ためしに柱から手を出して床をバンと叩くと、果たしてそこから赤いビームが出て、同じように場内をジグザグに跳ね回った。手をさっと引っ込めて身を隠したので当たらなかったが、これで分かった。

 レーザー砲つきバイクは二台あり、それぞれ入り口と出口に待機していて、私を挟み撃ちにするべく、双方のドアから駐車場内に銃口を向けているのである。凛博士の話だと、あのバイクは軍に一台しかないはずだったが、早くも量産されたのかもしれない。

 こうなると任務の遂行がぐっと困難になる。どうすべきかを考えたが、頭のコンピューターはなかなか回答を出さない。

 だがそのうち、妙なことに気づいた。

 床の湯気が、足りない。


 ビームはこの場所で、今までに二度放たれ、床や壁、天井に並ぶ反射鏡に当たって激しく跳ねたはず。一度目の攻撃で跳ね返った床のミラーから、ほんのり湯気が立っている様子は、赤外線ではっきりとらえている。そして今、二度目の攻撃が終わったところだ。それならば、再び同じように床からかすかな湯気が立っていなければならない。

 ところが、今見える一面にミラーを張りつけてある床の様子は、なにも変わっていない。今の攻撃には、なんらの熱もこもっていなかったわけだ。

 つまり、入り口に待っているレーザー砲の先端らしきものは、フェイクである。そこから放たれた赤い光はただのライトで、レーザーではなかったのだ。

 軍には、やはり一台しかバイクがないのだ。

 私は、挟み撃ちになどなっていなかったのだ。




<後にネットで発見した、軍人板の書き込みより>

「榊隊長の提案で、ロボットを騙そうってことになったんだけど。どうやったかは言えないけど、うまくいくとは思えなかった。相手が猿並みの知恵しかなけりゃ、あんなことにも引っかかるだろうけど、もし人間の子供くらいの判断力があったらさ。すぐバレるじゃん、って程度の仕掛けだった。

 そんで、ほんとにすぐバレた。


 そうそう、桜庭凛博士が呼びもしないのに現場に来ててさ。榊隊長と友達らしいんだけど、隊長はけっこう嫌ってそうだった。

 博士は製作者のくせに、ブラッド一号にどれだけの知能があるのか知らないんだって。隊長は「なんだそりゃ!」ってキレてたけど、博士によると、高性能の人工知能は経験の積み重ねで新たに知恵を身につけていく可能性があって、感情すら生まれるかもしれないんだと。

 榊隊長は、それで自分のしたことを悔やんで自殺してくれたら最高ね、って嫌味ったらしく笑ってた。

 そんとき、陽気だった博士が、急に黙りこくって隊長をじっと見てたんだよね。なんだったんだろう、あれは」





 私は一気に柱から飛んで入り口に向かった。また赤い光が突き出た銃口から出たが、やはりそれは私の胸や顔にいくら当たっても、だらしなく照らすだけの代物だった。慌てたように出口から本物のビームが出たようだが、一足遅い。

 私はさっき自分が入ってきた黒い入り口に飛び込み、前半分しかない模型のレーザー砲の下にさっと滑り込んで、後ろで腰を抜かす女軍人二名と対峙した。二人はヘルメットについたマイクにけたたましく叫びながら、這うように逃げ出していた。

「隊長! バレました! 奴が今、こっちに来ます! ここにいます! 奴がここにいます!」


 私は、ここで殺すとまずいと判断した。すぐに本物のバイクがこっちへきて撃ってくるはずなので、悠長に血を飲んでいる暇がない。


 そこで、最近覚えた新しい技を使うことにした。

 私は恐怖に泣き叫ぶ一人を脇に抱え、ビルを飛び出した。





 以前、血が本当に尽きかけたことがある。

 そのとき私は薄暗い地下道の一角に座り込んでいた。その腕には、目に涙を溜めて震える五歳くらいの少年を抱え、躊躇していた。

 この程度では足りない。ここを出たところで機能が停止してしまうだろう。この倍くらいあれば、外に出て、あと百メートル四方はうろうろ出来るので、そこで会った人間をまた殺して次につなげればよい。

 しかし、こんな子供の分量では殺しても無駄だ。


 考えていると、その現象が起きた。あごひげを生やし、でっぷりした大人の男が来て、いきなり私の前にひざまづき、潤んだ目で懇願しだしたのだ。

「その子の代わりに俺を殺してくれ。その子は助けてくれ、頼む……」

 私は彼を観察し、あの分量なら前述の作戦を遂行するに充分だと判断した。また男を殺したあとでこの子も殺せば、あと一・五倍の量の血が手に入る。男のあとで追いかけていって殺せばよかろう。


 私は腕を広げて子供を放し、男の腹にサーベルを突っ込んで中身をえぐった。おびただしい血が私の顔めがけて吹き出し、さっそくエネルギー補給にいそしんだ。

 男は口から血の泡を吹きながら、背後に叫んだ。

「康夫、逃げろ! はやく! 生きるんだ! 生きろ! 生きろ!」

 その先には、あの子供が小柄な体を折り曲げて駆け出していた。一度こっちを見た。丸顔のぎょろりとでかい目で、鼻が小さく、顔にそばかすがあった。

 男から搾り取って外に出ると、その「康夫」はもういなかったが、ほかの誰かが歩いてきたので、問題はなかった。




 そのときに学習したことがある。人間は自分の仲間を異常に尊重し、それが脅かされた場合、時にはわが身を犠牲にしてでも守ろうとする、という習性である。

 これは彼ら本人にも原理が分からないらしいが、とにかく自分の知り合い、同国民、同姓など、自分とある同種の性質や血筋、国籍などの輪でくくられる存在に対して愛着がわき、それをないがしろに出来ず、保護欲をかき立てられる。


 この感覚は同国民よりは友人、友人よりは家族と、血縁になればなるほど強くなり、最も強いのは親子で、そのうち母親の子供に対する愛着は尋常ではない強さである、とされる。

 ほとんどの親は、その子供が危険にさらされるとわが身を顧みず守ろうとし、その姿は美しく尊いものとされ、のちに観た映画や小説などの創作やエンタメでは、客の涙腺を緩ませるための場面として、たびたび活用されていた。


 強盗などの犯罪者は、この人間の習性を利用し、拘束した市民の命を脅かして、その親、あるいは親がわりの市町村、ひいては国家などの共同体すらも脅迫し、市民の命と引き換えに金銭を要求する。

 この拘束された市民を「人質」といい、引き換えに渡される金銭を「身代金」という。


 このように、人間の特性を利用すれば、こちらのかなりの無理難題といえるほどの要求でも、相手に呑ませることが可能である。特に子供を盾に親を脅した場合、相手の命という、究極の、二度と修復不可能である貴重な財産すらも、手渡してくれるのである。



 以上のことは研究所にいた頃には知らなかった知識で、のちに自身の体験とインターネットから学んだことである。あの地下道で私に懇願してきたあごひげの男は、明らかに康夫と呼ばれた子供の父親だった。あるいは血縁ではなかった可能性もあるが、父と子に近い関係だったのは間違いない。

 無関係の子供を助けるために、わが身を犠牲にするのは考えにくい。命には優先順位がある。事故や事件などの緊急事態には、誰を生かして誰を殺すかの選択が発生し、人間は悩むことになる。

 悩まないのは戦場くらいだろう。榊エリ隊長などは、まったく悩むことなく部下を殺し続けてきたかもしれない。

 ただそうなると、この場合はまずいことになる。




 ビルを出たところで振り返ると、敵のバイクが飛び出してきた。そこで私は「実験」を開始した。

 向かいのビルを背景に、連れ出した女兵士の首に後ろから腕を回して押さえつけ、喉に刃を当てる。怯える彼女の心臓の鼓動が、こっちの鋼のボディにドドドドと響いてくる中、数メートル先にバイクが停まり、レーザーの巨砲が向いた。ここで、前に座っている運転手が、以前に写真で見た、あのおかっぱで子供っぽい顔の副隊長だと分かった。榊隊長は砲身の後ろでこっちに照準を合わせ、下でグリップを握り、引き金に指をかけている。


 いま私は「人質」を取っているわけである。普通であれば、相手は自分の仲間の命を尊重して、撃つのをやめるだろう。それが人間である。

 しかし、この軍人というものは人間からかなりかけ離れた存在で、私にそうとう近いところがある。いま見ているおかっぱ副隊長のネットの書き込みからすると、榊は自分の部下の命などまるで意に介さないはずだから、私もろとも、この女を平気で撃つだろう。だが、そうならない可能性もなくはないので、今は一応、セオリーどおりにやってみているだけだ。


 だから奴が平気で撃ってきた場合に備え、この人質を投げつけて逃げるルートを確保している。後ろのビルの脇に隙間があり、そこに入り込めばビームは届かないし、追ってもこれない。一瞬で決まる。

 あのレーザー砲は、引き金を引いてからビームが出るまで〇・一秒ほどの遅れがある。それだけあれば充分だ。


 奴の指が動きかけた。

 その瞬間だった。


「人殺しいいい――!」


 人質の絶叫で榊が止まった。

 一瞬あと、私はもう背後のビルの隙間に飛び込み、闇を抜けていた。

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