二、呑気おばさんと冷酷ぶりっこ

 街を歩けば、必要もないのに人々が血相抱えて逃げ出す。必要もないというのは、今は血が満タンなので誰も殺さないから安全だという意味である。駅前の電光掲示板のニュースでは、キャスターが緊迫した顔で私のことを盛んに伝えていた。

「血に飢えた殺人マシンが街をうろついています。東京○○市の皆さんは、急いで避難してください。

 なお、その容姿ですが、ごらんのように、とてもそうは見えない形をしています。ですが、気を許してはいけません。この女子高生の姿を見かけたら、全力で逃げてください!」

 全身が血でべったりの癖毛の少女が、虚ろな垂れ目で歩いている写真が映ったが、この血まみれ状態では被害者と区別がつかないのではなかろうか。

 そう、今のように。



「まあ、かわいそうに。待ってなさい、今、救急車を呼びますからね」

 上品な服装をした、太った裕福そうな身なりの婦人が、私を見て顔をしかめて言った。この表情を作る感情を憐憫の情というらしい。哀れ、気の毒、かわいそう、痛み入る。どれももちろん、私には理解不能である。

 この婦人は私が殺人マシンと知らず、被害にあった少女だと勘違いしているらしい。私の口は血を飲む以外に用途がなく、言葉はおろかなんの音も発しないので、会話はしない。声の出ない人のための身振り手振りというのがあるらしいが、知らない。


 黙って突っ立っていると、彼女の後ろで、無骨な顔をした痩せ型で労働者風の中年男が怒鳴った。そっちは私の姿を知っているようである。

「なにやってんだ、早く逃げろ! そいつは殺人マシンだぞ! ニュース見てねえのか!」

 だが、婦人はのん気に振り返り、言った。

「あらまあ、バカなことを言って。こんな女の子が、殺人マシンなわけないでしょう。この子は、武器もなにも持ってないんですよ」

「その手から刃が出て、それで切り刻むんだよ! あーちくしょう!」

 彼が強引に婦人の手を引っ張り、口論になった。男が怒鳴り、女が金切り声。


 私には、それらはもうどうでもよかった。体内で警報が鳴っている。ピコーン、ピコーン、と小さく、しかし決定的な熱を帯びて、コンピューターが全身の各部に命ずる。

「チガタリナイ……ホキュウセヨ……チヲホキュウセヨ……」

 時はきた。


 たちまち右手が引っ込み、そこから突き出た長いサーベルを振り上げ、いまだ口論中の婦人を頭からすぱっと一刀両断した。真っ二つになった肉の真ん中から血と臓物がべろんと躍り出て路面にぞんざいにぶちまけられると、私は縦半分になった婦人の頭をもぎ、頭蓋骨までぎゅっと潰して血を絞った。頭の残骸を掲げ、吹き出す血流をごくごく飲む。これをラッパ飲みというらしい。ラッパという楽器があり、それに息を吹き込む姿勢に似ているからだが、この場合は吸い込んでいるので、やっていることが真逆である。


 見れば、男が腰を抜かして後ずさりしている。お馴染みの、「怯え」なる表情を顔中にたたえ、手足を使って必死にじりじり下がっている。あと十人は殺さないと血が足りないので、左手からサーベルを伸ばして腹を串刺しにした。彼は「げほおお」と血を吐いてのけぞり、そのまま刃を上に進めて首を切ると、つかんで持ちあげ、同じように血を絞った。

 二つの頭を掲げ、吹き出してくる血をがぼがぼ飲んだが、足元から相当な量が流れ出していて、あまり意味がない。前に言ったように、飲んだ血の大部分は外に排出されるので、満タンになるまで、また次の人間を探さねばならない。


 金髪のヤンキーグループがいたので、皆殺しにした。

 これで五人。

 そのあと、街角で三つの家族を潰し、やっと一杯になった。

 また血が減るまで、口から血を垂らしてそのへんをうろうろし、警報が鳴ったら、また誰か人を殺す。その繰り返しである。

 人間が金を貰って生活するためにする「仕事」なるものも、基本は同じことの繰り返しだというから、私のしていることほど仕事らしい仕事もなかろう。



 市民を守るための警察や軍隊も、私には血の供給源でしかない。警官の撃つ銃は、私のボディが弾丸をはじき返すから効かないし、軍のロケット砲や爆弾を受けても私には傷ひとつ付かないので、軍隊をよこす自体が無意味である。


 街に戦車部隊が来たことがあったが、上の蓋をあければ中に血の袋が数体あって、手足で運転だの弾の装填だのをしているので、腕を突っ込んで掻き回し、それを数台続けて、終わりだった。ものの数分だった。

 私を傷つけようと思ったら、レーザー光線で焼き切るしかないが、まだ銃の形態で使用できるものが開発されておらず、軍には人が乗って操作する、大砲のようにでかい「レーザー砲」なるものしか存在しない。しかし小回りがきかないからほとんど意味がないし、それも日本には今のところ一機しかないとのことなので、私の排除はほとんど絶望的だろう。


 この「絶望」なる感情がどういうものかは計り知れないが、私の任務遂行の追い風になることだけは確かである。人間が絶望すると心身が弱まり、逃げる速度が遅くなるので、それだけ殺しやすくなるからだ。





 電光掲示板のみならず、デパートと呼ばれる生活用品を売るビル内の売り場にもテレビという箱があり、表面に貼り付けられたガラスの画面でニュース番組を流している。周りが大量の客の死体で血の海になっている中で、それを突っ立って見ていたところ、次第に私を作った凛博士の本当の思惑が分かってきた。


 彼女の真の目的は、どうも全ての人間を殺し、自分も死ぬことらしい。幼児期や人生で受けたトラウマ、親からの虐待など、なんらかの原因で生きる希望を失った人間にはありがちな行動だという。

 しかし、いくら無敵といっても、私一人で人類をどうこうできるわけもないから、おそらく同種のロボットを大量生産する計画を練っているはずである。今は試験期間かもしれない。

 博士が私を満員電車に押し込み、大量殺人をさせたあと、私の足はそのまま都心の方へ向かっている。あっちが西よりも人口が多く、そのぶん血が大量に存在する。また霞ヶ関など政府の中枢もあるし、国家を脅すにはもってこいであろう。

 そう思っていると――

 テレビの画面に、彼女の顔が出た。


「はい、うちの監視の目をくぐり、逃亡しました。お詫びのしようもありません」

「あなたの責任問題はどうなるんですか。すでに死者は百名を越えているんですよ」

「申し訳ありません、う、う、う……」

 関係者が泣きじゃくる博士を引っ込め、インタビューは終わった。

 私は逃亡などしていないし、博士自身が私を列車に押し込んで世に放ったので、今のは完全に泣きまねだろう。私が勝手に逃げたことにして、保身をしたわけである。


 しかし逮捕はされなくても、監視はされるはずだから、これから私を量産して人類殲滅を開始するには、きわめてずさんな手順といえる。もう、そのつもりはないのかもしれない。

 大量殺人犯やテロリストの類いは、基本的には破滅願望で動いているから、最初はどんなに緻密な計画を立てても、すぐやる気が失せて、いい加減になりがちだという。彼女もそうかもしれない。



  xxxxxx



 ニュースによると、日本軍の中東支部から、凄腕の将校が送られてきたそうである。もちろん、目的は私である。

 榊エリというこの将校は、大学の軍事科学科で優秀な成績を収めながら陸軍に入ったという変り種で、大学では桜庭凛博士と同期だった。

 テレビの映像を見ると、いっけん細面の色白で、頭をポニーテールにしたごく普通の美人のようだが、その目は飢えたキツネのように細く鋭く、口元は無愛想にきゅっと引き締まっている。


 報道では、今の軍に最も必要な決断力に富み、多くの戦場を潜り抜け、部隊を存続させてきたやり手とのことだが、この「決断力に富む」というのは、たんにその冷酷非情さの度合いがどれだけ著しいか、という意味である。たとえば己の指揮する部隊が窮地に陥った場合、いかに末端にいる部下を切り捨てて見殺しにし、その結果、部隊全体を生き残らせるか、という手腕が問われるのである。戦場においては、部隊の被害を最小限に抑え、出来る限り元のまま存続させられるのが、優れた将校である。


 榊エリは陸軍で師団長をしているが、別名、鬼の師団長とも言われ、無数の部下の切り捨てによって一個師団のおさにまでのし上がった「名将」である。そのやり方には批判もあり、不満を持つ部下もいるようである。




 後にスマートフォンなる携帯用の電話機を手に入れたときに、インターネットにつないでみると、巨大掲示板が出た。軍の不満を匿名でぶちまけるという板があり、そこにこのような書き込みを発見した。


「……榊隊長の今回の仕打ちには、もう我慢ができない。思わずぶん殴って営倉入りになったよ。言っておくが本当だから。そりゃそうでしょ、だってあいつ、またやってくれたんだよ。最前線の部隊に応援も送らないでほったらかしでさ。


 そりゃ軍の作戦も悪かったよ。でも、ちょっとでも人の心があったらさ、体にあったかい血が流れてるんだったらさ、なにかしら手を打つでしょ、ふつう。毎度のことだから慣れちゃいるけどさ、今回はキレたよ。

 だって前線にいたのは、私の幼馴染だよ。あ、そんなことでキレるのは軍人失格だってのは、百も承知だから。それでも言うよ。


 救助を進言した私に、あいつ、こう言ったんだ。

『あの部隊に、○○いたわよねえ。あんたの親友だったっけ?』

 それで私が思わず『関係ありません!』って言うと、あいつ、こう言った。

『大丈夫、応援を送るって言っといたから』

『ほ、本当ですか?!』


 一瞬、耳を疑って思わずそう叫ぶと、あいつ、なんて言ったと思う?

『まあ、そう言っとけば、あの子も本望でしょ』

 そして、にやって笑ったんだよ!


 次の瞬間、殴りかかってたよ。口から血を垂らして『あんた外すから』だって。ざまみろだ。

 もう二度とあいつの下でやるのはゴメンだし、ちょうどいいよ。なんなら首になったって構わん。明日には、この独房も出られそうだがな!」


 一見して、この書き込みは榊の部下によるものと分かるが、本人を特定される要素がてんこ盛りで、非常にまずいと思われる。実際、それを指摘するレスがいくつも付いていたが、結局、返事はないまま忘れられたようである。

 ネット上で言いたいことを言って憂さを晴らすツールとしては、ほかにツイッターというのがあるが、巨大掲示板と違って瞬時にレスが付き、はるかに膨大な人数に閲覧されてしまう。この部下はそれを考慮して、わざと寂れた野暮ったい場所を使っているのかもしれない。


 実はこの榊エリの顔は、前にも見たことがあった。研究所で凛博士がある資料を見せてくれ、そこに当時の第七師団のメンバーの顔写真が並んでいた。

 隊長の榊エリ。今から数年前らしいが、変わらぬ冷淡そうな顔つきで、髪型も同じポニーだった。博士は、学生時代に友達だったと言い、懐かしそうに目を潤ませて写真に見入っていた。

 そのエリの隣に、おかっぱで、やや子供っぽい顔つきの女の写真があった。副隊長のようだったが、ずっとそばにいたとすると、ネットで見た書き込みは、あんがい彼女だったかもしれない。




 冷酷さ、非情さなどの意味は、やはり私には分からないが、この榊という女は、私に似たところがあるので、周りから非難されているのだろう。

 そしてニュースでは今回、私の排除のためだけに、彼女が中東からわざわざ東京へやってきた、と報じられていた。無感情には無感情、ということだろうが、あっちはあくまでも人間である。

 人間には心がある。だから無理に無感情でいると、いつかは折れる。どんなに冷酷ぶっていても、だ。人はしょせん、優しい生き物。真に残酷になど、なれるわけがない。冷酷ぶりっこ、とでも言おうか。

 私と戦うのは結構だが、レーザーが携帯用の銃にでもならない限り、私に勝つことは不可能だろう。次の瞬間、スクラップになっても平気な者に、命の惜しい人間が勝つことはありえない。こっちは負けても構わないからである。


 確かに私は凛博士から任務を与えられ、それを遂行してはいる。しかし、それに失敗して破壊されたとしても、悲しくもなんともない。機械が上手く動かずに壊れた、それだけである。人間は負けると傷つき、泣くが、機械は何も感じないので敗北はない。


 奴は私と戦うだろう。そして泣くだろう。

 人間は泣く。戦うためだけに作られてはいないから。

 それが、彼らの最大の欠点といっていい。

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