四、罠その二

<軍人板の書き込みより>

 榊がなんで軍人になったかっていうと、高校のときバレー部の主将やってて、足をくじいた奴も平気で試合に出して、『壊れたら、ほかの奴を使えばいい』とぬかして顧問に怒られたからなんだって。

『なに考えてんだ! 勝つためなら平気で人を使い捨てるのか、お前は!』って言われて。『いま勝てなくても、次があるだろう。これは戦争じゃないんだから』

 そしたらあいつ、こう言って退学したんだって。

『なら、戦争でやりますよ』


 そうそう、また同志が営倉送りになってさ。隊長を人殺し呼ばわりって、本当のこと言っただけなのに酷いよね。そこで、今度は桜庭凛博士と共同で次の作戦を練ってるようだけど。

 ラジオで、ディランの『戦争の親玉』がかかってる中で話してるから笑えるよ。親玉っていうのは、若者を戦争で殺す政治家とかの権力者ことで、そいつらを揶揄(やゆ)したプロテストソングなんだけど。

 まあ私は、桜庭博士が戦争の親玉じゃないかと思うけどね。だって全ての元凶じゃん。

 どうせ裁判で死刑になると思うけど、いま野放しなのは、彼女しかブラ野郎を止められそうなのがいないから。あ、ブラ野郎って、ブラッド一号のことね。ブラしてるのかは分かんないけどさ」





 不具合が酷い。

 壊れたわけではない。自己回復機能により、体の表面や血液吸収用の穴に溜まった血や埃などの汚れは、日に一度は全て洗浄されるので、メンテの必要はない、と凛博士が言っていた。だから故障ではないが、明らかに不具合が起きている。


 まず全身の血流が異常だ。急に速くなったり遅くなったりとスピードが不規則で、速すぎると人工血管が膨らんで、全身の温度が上昇する。何もないのに体がガクガクと震える。

 その場合、頭脳に決まって、ある映像が呼び起こされる。ポニーテールで目つきの鋭い細面の女。

 榊エリだ。私を追いかけている軍部の隊長だ。

 これは、もしかしたら――

 人間でいう「怒りの感情」かもしれない。



 凛博士は言った。

「あなたはね、ただ憎んで、怒っていれば、それでいいの。悲しんだり、怖がっちゃダメ。それは生きるうえで、ただ害になるだけの、全く必要ない感情だから……」

 私に人間のような「感情」が生まれる可能性は、精巧に作られた人工知能の働きにより、充分にありうる、と言われた。いま起きている「不具合」がそれだとしたら、博士の思惑通りだから結構なことかもしれないが、これ以上のレベルになったら、任務に支障をきたす可能性が起きる。


 私が今、榊エリに対して「怒って」いて、彼女を「憎んで」いるとすると、それは彼女の抹殺に対する推進になる程度ならば、有効だろう。人間も時として「怒り」なる感情を自らの行動のためのパワーに使うことがある。

 しかし、今のように体に震えが来るとなると、いざというときにエリを殺し損ねる可能性が高まる。そういう意味では、「怒り」も実は「悲しみ」とか「恐れ」と似たようなものではないかと思う。


 よく人間が、私を前にしてあらわす「恐れ」「悲しみ」なる感情は、確かに彼らの行動を著しく阻害し、動きを止め、それを感じない者――そんな者は見たことがないが――に比べ、より簡単に殺害できる。確かに今、私はエリの顔を思い浮かべて、より血流の煮えたぎるのを感じるし、より早く彼女を引き裂いて血を飲まねば、という体内機関の要求も脳に伝わってくる。

 しかし、同時に体の振動が発生し、手足の動きがスムーズに出来なくなっている感じもある。これは任務に対する障害である。私のように人命を奪う仕事をするものには、感情なるものは不必要だと言わざるをえない。



 今、私は東京郊外のとある町に立つ無人の倉庫にいるが、いきなり壁を不必要に殴りつけて大穴をあけた。血が沸騰するようにどくどく脈打ち、私は中腰で、まるで息をするように肩を揺らしている。

 この壁に穴などあける意味は全くないのだ。それを、あけた。これはまさに「怒り」、それも「激怒」といえる極端な感情ではないか。


 またエリの顔が浮かぶ。血が今度は逆流しだした。「コロシタイ、コロセ、コロセ、コイツヲ、コロセ……」と、体が叫んでいるようだ。これは明らかに「憎しみ」である。

 しかしそうなると、奴を憎む理由が必要になる。今までに私を妨害してきたやからは無数にいた。それらの軍人たちには何も感じず、なぜ榊エリにだけ「憎しみ」が沸き起こったのか。


 人間には「近親憎悪」なる感覚がある。自分と似た部分を持つ者に感じる憎しみの感情だが、しかし、それを持つには、自分がその部分を嫌っていなくてはならない。

 エリと私の共通した部分といえば、無感情、冷酷無比ぐらいだが、私は自分のそういう「非人間的」な部分を嫌うどころか、そもそも「好き」「嫌い」という感情自体がない。己の好きでも嫌いでもない部分を他人に見出し、それを憎悪する、というのは至難の業ではないかと思われる。

 しかし逆に、そのような感情が私に「生まれつつある」のならば、「近親憎悪」なる妙な感覚が先行して出現するのも、ありうることだと思われる。


 そうなると、この不具合はかなり深刻だと言わざるをえない。人類の抹殺という与えられた任務を遂行するのに、あらゆる場面で「これは好きだから(好ましい殺し方だから)殺す」とか「嫌いだから(殺す気が起きないから)殺さない」などと、各判断にバラつきが生じることになるからだ。

 この問題を回避するには、感情が生じる前に殺人行為のみに意識を集中するしかあるまい。そして、その方法は実に簡単だった。

 ただ待てばいいのである、己の血が減ってくることを。


 そうだ、まるで一人の人間のように、さっきから血が逆流だの体温上昇だのしているが、この体に流れている温かい血は全て他人から奪ったものであり、私の血ではない。

 私は機械だ。思考する鉄くずだ。人間の血液を入れたビンが動いているようなものだ。ビンは、用が済んで壊されても何も感じない。誰かの所有物だからだ。

 私の体も体液も、私の所有するものは一つもない。

 私はいないのだ。




「チガタリナイ……ホキュウセヨ……チヲホキュウセヨ……」

 ピコーン、ピコーン、ピコーン……。


 体内の警報が鳴り、コンピューターが各器官に命じる。

 時は来た。

 血は熱くなっているが、温度は一定しており、通常の反応である。倉庫の外に出ると、さっきの不具合はすっかり消えていた。


 私は元の殺人機械に戻り、人間を求めて無人の街をさ迷った。向こうから鉄の匂い。風に乗り、こちらに揺らめいてくるそれに引き寄せられ、ビルと塀に挟まれた狭い脇道から出れば――

 空き地に、ぽつんと戦車があった。



<軍人板の書き込みより>

「『最新式、二〇式戦車マーク6! 装甲も三倍、どんな徹甲弾も貫通しない無敵の猛者、今作戦にて、ついにお披露目!』だと、アホアホアホか。

 ブラちゃまに戦車なんぞ通用しないことなんか、とうに分かりきってることだろうが。あっという間に蓋あけられて、中に何個か置いてある、考えて喋って操縦して飯をくう生きた血液タンクをぶっ壊されて、飲まれるだけだっつーの。


 要するに、本部は新作をゴリ押ししたかったのだ。数々の愚劣な作戦に続き、またも奴らは我々を裏切ったのだ。またも仲間が意味もなく無駄死にするんだ。畜生、今度こそやめてやる。やってられるか。もう嫌だ。

 と、そのときは思ったんだけど」




 戦車というのは、人間の缶詰のことである。缶詰といっても、缶が不必要に分厚くて大きいわりに、中身が極端にしょぼく少ない粗悪品であるが、今は燃料が三分の二ほども減っているので、ほんのわずかでも足しにしなくてはならない。


 なんの妨害もなく車体に這い上がる。上にいくほど血の匂いが強まる。あきっぱなしの蓋の中から、それは爆発のように周囲に撒き散らされている。なんせ百メートル先の脇道まで匂うほどだ。血臭の海に顔を突っ込んで中を覗くと、人の頭も影も形もない。

 考えれば、人間がここまで匂いを発するのはおかしいわけで、ここには誰も乗っておらず、別の何かが臭気を発していると判断するのが妥当だ。

 要するに、また、馴染みのアレだ。

 罠だ。


 体内センサーが赤い光線の足元をかすめるのを感知した直後、私は頭から車内に落ちた。ざぶんと鈍い音を立てて落ちたそこは、ぬるっとした液体の海。またも、たらいに満たされた人間の血液だった。


 血が供給されたのはいいが、これは再び榊によるレーザー攻撃が始まるということだ。案の定、ジュッ、という音がして光線が目の前の壁を貫いて現れ、私の左脇をかすめて向かいの壁に消えた。あと数センチ右なら貫通していたろう。


 私はビームの来た方角に、こっちも撃とうと顔を向けて、止まった。

 これは、以前の地下駐車場のパターンだ。しかし、陸軍師団長ともあろうものが、まるで同じやり方を芸もなく繰り返すだろうか。

 周りを手で触ると、やはり壁一面に十数センチ四方の鏡がびっしり貼り付けてあるのが分かった。榊は鏡に思い入れでもあるのだろうか。あるいは資金などの事情で、これしか調達できなかったのかもしれない。

 いや、人間は相手を「舐める」という行いをする。あるいは「サディズム」という妙な性向がある。


 ここは前の駐車場ほど広くないどころか窮屈でさえあり、逃げ場は極端に限られる。レーザーで攻撃すれば、中の鏡に滅茶苦茶に反射して、中の者はズタズタに切り刻まれるだろう。さっきの第一砲は、偶然鏡と壁の隙間から外へ逃げていっただけで、本当なら私はとうに無数の穴があいたガラクタになって、このたらいに沈んでいるはずなのだ。

 副隊長の書き込み等から判断するに、榊隊長はかなりのサディストである。きっと楽しみのために私を狭い戦車内に閉じ込めたのだろう。私が撃たずとも、第二砲が来たら、今度こそ、私はズタズタにされて終わりである。



 と、不意に操縦席のスピーカーから声がした。女の低めの少年っぽい声。

 凛博士だ。

「ブラちゃん、あんたは今度こそ助からないね」

 落ち着いてはいるが、なにか牧師のような神妙な声だった。

「今、エリがレーザーを撃って、中にいるあんたを粉にまですると言ってるよ。ここで終わるのは残念だけど、あんたは良くやったよ。私の自慢だ」


 さて、どうするか。


 実は、この「戦車の中に閉じ込めて、車内を切り刻む」というやり方に、敵の盲点があった。切り刻めるのは「車内に限られる」からである。

 私は直ちに床板を引き剥がしてそれを背負い、床にあいた穴にもぐって、じっとした。たちまち、第二波が来た。真っ赤なレーザーは壁で跳ね返り、その向かいに、そのまた向かいに、と狭い車内を十回以上往復し、床にも飛んできた。光は私の背負う板に貼られた鏡に反射して天へはね上がり、あいたハッチから外へ飛び出した。


 これらを見たわけではないが、上で発する音と漏れてくる光から、これらの状況を推測できた。ジュッ、ジュッ、と壁は幾度となく切り刻まれ、戦車は周囲からズタズタにされているようだった。車内は赤い光が夜のネオンのようにまばゆく飛び散り、床にも何十回も当たったが、全て反射鏡で跳ね返り、私に届くことはなかった。



「『もう、これくらいでいいでしょ』なんて、エリったらニヤニヤしてるよ。私は悲しいのにね。

 ああ、怪しんでるんで、これで切るわ。

 ほんと今だから言うけど、あんたほどいい子は、この世にいなかったよ」

 通信が切れると、ネオンは消え、辺りはひっそりした。


 これでやり過ごしたので、あとは脱出の方法を考えねばならない。奴らは戦車の中に入って確認するはずだ。

 壁の向こうで声がする。

「――いい、私がやるから。そこで待ってて」


 上がってきた榊エリは、ハッチから覗こうとしたらしい。が、覗けなかった。飛び出した私に抱きつかれ、二人で戦車の装甲を転げ落ちたからだ。

 地面に伸びた榊を引き上げると、奴は飛び出るような目で私を見た。ズタズタになっているはずの奴が、ぴんぴんしているからだろう。後ろから左腕を回して上体を押さえ込み、喉元に右手の刃をあてる。

 駐車場で取った人質が、今度は隊長になったわけである。


 向かいに白衣の凛博士、その隣に童顔の副隊長がレーザー砲を構えて立っている。博士はどこか満足げな笑みを浮かべているようだった。

「早く撃って。なにしてんの、高見! 撃て、早く! 撃て!」

 エリが叫んでも部下は動かず、しまいには噛み付くように怒鳴りだしていた。




<軍人板の書き込みより>

「そら、奴には恨みがあったよ。ブラ野郎と一緒に刻んじまえば、全ては終わりだったんだ。

 でも、出来なかった。どうしても、ここでやったら、なんだか負けだと思ったんだ。変だよね、あれだけ嫌いで、憎んでた奴を殺せるまたとないチャンスなのにさ。


 私がやらないもんだから、あいつしまいには『ほら、○○みたいに、私も殺しちまえよ! 私がそうしたようにな!』って、例のことを持ち出してまで煽りだしたんだけど、そうすると、かえってますます殺す気なくなっちゃった。


 なんでか、本当にわかんないんだけど。

 とにかく、悪の塊のブラと、恨みの総元の榊をここでこうやって殺すことが、なんかもう、すごく気持ち悪かった。慈悲とか正義感とかじゃない。

 たぶん嫌になったんだよ。

 もうこういうことが、ぜんぶ」




 副隊長――高見という名前らしい――そいつは銃口を向けたまましばらく動かず、ついには砲台から降りてしまった。

 榊も叫ぶのをやめた。


 これであとは、人質を突き飛ばして雲隠れすればいいはずだった。

 だが、できなかった。

 不意に、すべてが闇になった。

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