苺パンナコッタ
浅里絋太
第1話
俺は姉さんと叔父さんと、ファミレスにきていた。
土曜日の午後2時だった。折りいった話をするために。
というか、俺の大学の学費を支援してくれる話だった。ありがたいことに。
叔父さんは土建屋の社長で、亡くなった父さんの弟だ。
姉さんは高校を出てすぐに居酒屋で働きはじめた。
母さんは体を壊しがちになったが、板金の工場でパートをしていた。
叔父さんは注文用のタブレットを指しながら、
「オレは、この、苺パンナコッタと、コーヒーにするで。ほら、遠慮しんでいいに」
と、タブレットを差し出してきた。
俺は頭をさげてティラミスを選んだ。
姉さんはチョコレートパフェを選んだ。昔からそういうのが大好きだから。
となりのテーブルには父母と娘の家族連れがいた。その娘――小学校3年くらいの女の子と目があった。
黒いビー玉みたいに、きらきらした目だったんだ。
そのとき、すこし離れた席で中年の男が立ち上がって、レジに向かった。
見覚えがある。そいつは中学のときの社会の教師だった。いや、似ているだけかも知れないが。
くせのあるやつで、たしかこんなことをいっていた。
「世の中ァ、金持ちが貧乏人を、ぐちゃぐちゃの、喰いモンにしてなりたってるだでなァ。金持ちにならんと、人生じゃないに」
そんなやつだ。たしか、教師仲間と金銭トラブルを起こして辞めちまった。
叔父さんのパンナコッタがきた。
俺のティラミスと姉さんのパフェもきた。
俺がフォークを掴むと、姉さんはいった。
「今回は、ほんとうにありがとうございます。あんな大変なお金を、負担していただけるなんて」
叔父さんはいった。
「いいに。困ったときはお互い様だで。天国で、あいつも見てるでなァ。あさって振り込むで」
俺は叔父さんをじっと見ていた。なにか、違和感があったんだ。
浮気が原因で離婚して独り身の叔父さんは、なにかにつけ姉さんを家に呼ぼうとしていた。
パンジーが咲いたとか、新しいソファを買ったとか。くだらねえ。でも、姉さんはいちども応じたことはない。
叔父さんは姉さんにいった。
「あした、テーブルクロスを張り替えるんだけんが。手伝ってくれんか? あと、大学選びのこととかも、教えてやるでな」
それを、なぜか姉さんにいうのだ。
姉さんはすこし固まったが、すぐに思い出したようにうなずいた。
「は、はい。……わかりました」
姉さんはしばらく黙っていたが、やがて立ちあがった。トイレに行ったのだろう。
叔父さんはそんな姉さんの後ろ姿を、舐めるように見ていた。
「なんで姉さんにいうの?」
「オマエは勉強しりゃいいに。よけいなことは気にするな」
そういって、叔父さんはパンナコッタを見下ろし、スプーンを持ち上げた。
「どうするつもりなの? 姉さんを」
「なんでもねえよ。大人になれや」
俺はこめかみに血の塊が押し寄せるのを感じた。
心臓の鼓動がどんどん早くなってきた。
叔父さんの眼下には、ガラスの小鉢に入った苺パンナコッタが置かれている。
まっしろな、やわらかそうなパンナコッタの上に赤い苺ジャムが層をなしている。
叔父さんはそこにスプーンを差し込む。
赤い苺ジャムは、スプーンに貫かれてまっしろな海の中に沈み、血のように広がる。
苺ジャムのまじった白濁をスプーンが掻き混ぜる。
赤と白が渦をなし、なおもスプーンは動く。
それから叔父さんはスプーンを引き上げ、それをさぞ美味そうに、赤黒い舌で舐めとる。
俺は右手にフォークを掴んだまま立ち上がった。
叔父さんはぎょっとしたように目をひんむいた。裏通りに落ちてる犬のクソみたいに濁った黒い瞳。
「馬鹿にすんじゃねえ。スケベのブタ野郎が。てめえの汚え金なんて、要らねえんだッ」
俺は右手のフォークを振り上げた。
そのとき、となりの席から視線を感じた。
さっきの女の子だ。
おおきな、ほんとうに透きとおった瞳で。
苺パンナコッタ 浅里絋太 @kou_sh
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