第37話 恋と契約と食欲と”嘘”
光寛が角を曲がり、完全に姿が見えなくなると、千歌は相棒に呼び掛けた。
「……彼とはもう会わないの?」
光寛に気づかれないように隠れていたオーディアは、千歌の隣で言う。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。未来は不確定の連続だからね」
「でも貴方は、多くの犠牲が出る未来を選んだ。紗枝が死んだことも、その不確定だと言いたいの?」
少し眉根を上げて騎士に詰問するが、とくに動揺も見せない余裕さを見せた。
「それを聞いてどうするんだい? もしもそうだとしても、千歌は私との契約を守らなければならない。そこらで留まっておいた方が、君のためになると思うよ」
千歌は無言のまま彼の真意を図ろうとするが、それは無駄だと思い知る。
「だけど千歌は、恐れることを克服した。光寛殿は冠位の力を完全に手に入れ、《支配欲》の一人を倒した。私にもまだ見えていない未来だってある。気を揉んでも栓のないことだよ」
「…………そう」
嘘がつけない彼には、それ以上の質問は無意味だと思ったのか、ため息とともに帰路を歩み始めた。
***
「さて、これからどうしたものか……」
家主のいない1LDKで、アパスは腕を組んで唸っていた。
光寛の今後について相談を受けていたが、人を生き返らせるという件については、アパスであっても思い当たるものがなかったのだ。
しかし本当に懸念すべき問題が紗枝の蘇生のほかにあった。
アパスは宙を見上げるようにして、彼女に語り掛けた。
「この世を去った人間の蘇生方法より、お前の残留思念がワタシに宿っていることが最大の問題なのだ――紗枝よ」
それに答えるように、アパスの脳内に少女の声が反響する。
(アハハ、だよね。だって死んだはずの魂が悪魔の精神に住み着いてるんだもん。立場逆転だね!)
「そう明るく振舞われては、ワタシとしても反応に困るぞ」
アパスが光寛から分離し、悪魔体として活動したのが一週間前。紗枝の残留思念がアパスの精神に依拠していると気づいたのは、彼女からの声がきっかけだった。
すぐに光寛に伝えようとしたが、紗枝がそれを引き留めた。
(お兄ちゃんに言ったら絶対何かしでかすもん。そこは絶対に内緒だよ?)
「しかし紗枝よ。ミツヒロはとうとうお前のことを異性として認識したのだぞ。いずれ会わねばすれ違ってしまう。どうするつもり――」
そこまで思考を回してアパスは紗枝の『本当の目的』に気づいた。
「――もしやお主……ワタシを挑発しているのか?」
(そう捉えてもいいけど、今のお兄ちゃんをアパスちゃんが篭絡できると思う?)
「ふっ……紗枝、お前というやつはどこまでもブラコンであるな。いや、それ以上か。ワタシと初めて契約する時から企んでいたとは、末恐ろしい人間だ……」
脱力して快哉と笑うアパス。自分を妹ではなく異性と意識させる紗枝の嘘は、悪魔をも騙した。その事実だけで昼の食欲が薄れていくようだった。
すると玄関から扉の開閉音がした。光寛が帰ってきたのだ。
「今戻ったぞアパス。今昼食作るから座って待ってろ」
アパスは即座に姿勢を正し、平静を装う。
「なんだ、今日はやけに静かだな。腹減ってないのか?」
「そんなわけなかろう。飢え死にしそうで貴様の寝床を食ってしまうところだったぞ」
「わかったから大人しくしてろ」
相変わらず食欲旺盛な悪魔に世話が焼けると、呟く。
(でもアパスちゃん、お兄ちゃんから名前を呼ばれるようになったね。さすがワタシのライバルっ)
急に何を言い出すのだとアパスは呆れながらも苦笑する。同時に、頭の中の五月蝿い小娘を後悔させてやろうと思い始めた。
ふとアパスは光寛に聞こえないように紗枝と会話を再開するが、意味深に不敵な笑みを浮かべている。
「そういえば、かつて紗枝はこう言っていたな」
『アパスちゃんの本当の姿でお兄ちゃんと接触するのが一番だと思うんだけど』
思い出したように紗枝は頷くが、アパスの表情の理由にまだピンと来ていないようだ。
「ワタシの体は、自分で言うのもなんだが、かなり”ある”のだぞ」
光寛から借りているシャツを、はち切れんばかりに盛り上げている豊満な双丘に、自らの手を当てる。
(あ、アパス、ちゃん……? それってまさか……)
未成熟な体の紗枝にはなかったものだ。加えて身長も光寛に匹敵するほど高く、ショートパンツからすらりと伸びている脚線美は、まさに大人の魅力そのもの。
そして極めつけはその美貌――日本人離れした艶やかな白髪と鬼灯の瞳、雪のように白く繊細な肌と薄い唇。通りすがる者の視線を一点に集めるほどの魅了にかけられているようだ。
「ミツヒロも男だ。《性欲》の冠位は消失してしまったが、もはやそれを使うまでもないだろうな」
(そ、そそそそそんな破廉恥な‼ え、えっちなことでお兄ちゃんを釣ろうだなんて……この卑怯者! 悪魔!)
「ワタシを騙した仕返しだ、このブラコン過激妄想娘」
必死な紗枝と対象に、アパスは余裕の笑みだ。概念として存在する紗枝は以前と異なり、体の主導体になることができない。アパスの視界と聴覚から、ただ指を咥えて見ることしかできないのだ。
「――さぁて。あの男を堕とすためにも、ワタシも少し一肌脱がねばなぁ」
そう啖呵を切ったその後、食事中に色仕掛けをしたものの、光寛には「食ってる最中にそんなもん見せんな」と突き放され、大敗北を決したまでである。
これは恋と契約と食欲と、目には見えない”嘘”の物語である。
一人の少女の嘘は悪魔を騙し、愛を欲する悪魔はそれに対抗しようとする。
水面下で行われている恋敵の小競り合いは始まったばかりである。
第一章【完】
アパタイトクライシス ~恋と契約と食欲と ~ 飛浄藍 @hironary
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