第36話 新たな決意

 ドミネリアを倒して一か月が過ぎた。


 支配されていた町の住民や、そこへ偶然訪れていた人間を合わせ、約二千人が忽然と姿を消したこの一件は、大規模な悪魔災害として世に知れ渡った。日本政府は悪魔に対するより一層の対応の強化と、悪魔との契約における注意喚起を行った。


「結局、人が悪魔と対峙するには、悪魔と契約して使徒になるしかないんだろ?」


 報道番組を見ていた光寛は、食パンを齧りながらぼそっと呟く。


「いや、その見解は事実ではあるが、国民のなかには悪魔との契約に走る者もいるだろう。それでは国全体に混乱を招きかねない。直接的に言わないだけ賢明である」


 対面に座る白い長髪の女性は光寛を説得した。納得しつつも、光寛は眉間に皺を寄せる。


「その注意喚起は以前からあった。それでも紗枝のように契約をする人間がいるってことを俺は言いたいんだ」

「そうであったか。それは野暮なことを言ってしまったな」


 アパスは五十センチ弱のフランスパンをまるごと齧る。美女の華奢な顎とは思えない咀嚼を繰り出すも、光寛は対して驚こうとしない。

 光寛とアパスの再契約がされてから、ドミネリアたちから吸収した魔力によって、冠位としての本来の力を取り戻した。そのため、人間界であっても悪魔体を維持できるようになったのだ。


 そこでアパスと常時念話の状態になるのを忌避した光寛は、アパスに悪魔体でいろと命令したのだった。


 報道では災害に巻き込まれた人間の追悼式が行われることが発表された。


 光寛は食指を止めてアパスに語りかける。


「今日で一か月だな」

「ミツヒロは行くのであろう?」

「もちろんだ。お前は……紗枝と仲が良かったようだし、同席してもい。ただし墓石まで俺の中に入っていろ」


 アパスは逡巡することもなく、首を横に振った。


「ワタシは行かないでおこう。悪魔が人を弔うような真似をしては、紗枝に向ける顔がない。ここで大人しく待っている」

「そうか」


 光寛は頷くと、残りの朝食をアパスに押し付け、身支度を始めた。

 喪服を着た光寛は、玄関を開ける。


「行ってくる」

「ああ、行ってくるがいい」



                 ***



 かつて光寛が剣を振るい、紗枝の仇を討った町。


 追悼に参加する人々は、政府が用意した大型バスに乗って現地に向かう。

 ドミネリアの繭が作られていた瓦礫まみれの場所は整備され、そこに円墳のような慰霊碑が設けられている。


 バスから降り、光寛を含む一行は石碑の前に立ち並び、親子、老夫婦などが涙ぐみながら列を待つ。災害の黙祷が捧げられ、先頭の人間から供花を慰霊碑の前に置いていく。数分間手を合わせて目を瞑り、列から外れる。繰り返すその動作が続き、いつしか光寛の番が回ってきた。


 光寛の手が届かないほど高い慰霊碑。繭を象った石を取り囲むように、九頭の龍が頭を天に向ける姿勢で彫刻されている。鱗や表情の細部まで象られていて、まるでこの町の守り神のように祀られている。


九頭竜くずりゅうを模したのか。もしかして外部の人間に見られていたのか?)


 首を振って邪推を払い、慰霊碑の前で膝をつく。

 内ポケットからレジンのついた髪留めを取り出し、右手に乗せて見つめる。


「紗枝。お前が言いたかったことはよく伝わったよ。俺はずっとお前のためだけに生きてきた。四六時中、頭の中で考えていたのは紗枝の笑顔なんだ。いつか俺に向かって笑ってくれたら、って思ってたんだけど……最後だけ、笑ってくれたよな。もし紗枝が俺のことで気に病んでいたなら忘れてくれ。たしかに、俺は紗枝に過保護すぎたよな。だから妹のために生きるのをやめて、飯井崎光寛として別の生き方を探す。……でも俺は、やっぱりお前がいないと寂しいよ。いつかお前と会えるまで、絶対に生き延びてみせる」


 光寛はわずかに微笑み、髪留めを石の上に置く。

 供花に囲まれる髪留めを振り返らずに、光寛はその場を去った。


。それが俺の貫く生き方だ)


 新たな決意とともに、光寛は拳を握りしめて空を見上げた。



                ***



 追悼式が終わり、バスから降車するとそこには黒服姿の千歌が立っていた。

 少し驚いた表情をして、光寛は千歌に歩み寄る。


「よう。あの日以来だな」

「久しぶり。本当は現地まで行きたかったけど、親族じゃないと参加できなかったから。あとオーディアは、人を弔うのはどうとかって言って来なかった」


 どこかの悪魔と同じことを言っていると思い、苦笑してしまう。わざとらしく咳払いした後、光寛は色を正した。


「それで、千歌はこれからどうするんだ?」

「貴方から聞いた限りだと、まだ他の《支配欲》がいるんでしょう? オーディアとの契約もあるし……私自身、それを野放しにはしておけないもの。学校は通いながらではあるけど、一般人を装いながらまた《支配欲》の情報を集めるつもり」


 心の中で千歌らしいと思い、彼女を鼓舞してやろうと肩を叩く。


「貴方はまた手伝ってくれる?」

「俺は……他にやることができた。もし何かあれば連絡してくれ。力を貸す」

「じゃあ遠慮なくそうさせてもらう。それで、貴方のやることっていうのは何?」

「俺は、紗枝を生き返らせるための力を探す」


 千歌は驚くことなく、見当がついていたかのような反応だ。しかしそれには疑問が付きまとう。


「具体的にはどうするの? 《支配欲》の能力は試したの?」

「ドミネリアが使ってた【生死反転】の能力なんだが、対象の体がないから使えなかった。だからまず、紗枝の魂そのものを蘇らせるしかない。ただその方法も手探りなんだけどな」


 飲み込んだ悪魔の階位能力が扱えるようになったものの、行き詰っていると語る。

 かつて千歌が光寛を圧倒していたが、今となっては光寛が冠位を自在に操れるようになったため、立場が逆転している。

 それでも、二人は協定がなくなっても友のように振舞っている。


「お前、少しだけ柔らかくなったな。初めて会った時と大違いだ」

「そう、かもしれない。でもそれは貴方のおかげでもある。貴方の頬を叩いたあの日から、一歩踏み出せた」


 その日のことを昨日のように振り返る千歌を見て、光寛は思い出したように言った。


「そういや聞きそびれたんだが、あの時どうして紗枝の髪留めの裏に遺言が挟まっているのに気づいたんだ?」


 千歌は一瞬だけ視線を泳がせ、それとなく答える。


「女の勘だと言ったら?」


 じっと千歌の瞳を凝視する。猜疑の視線を向けるが、一切動じない千歌には無駄だと判断したのか、笑って誤魔化した。


「――まあ、そういうことにしておいてやるよ」


 ふと腕時計を見ると、すでに十二時を過ぎていた。思い出したように光寛は千歌と別れを告げる。


「すまん。アパスが面倒になる時間だし、そろそろ帰ろうと思う」

「それは残念。じゃあここで別れましょう」


 光寛は千歌とは反対方向に向かって歩き始める。交差点を渡って振り向くが、まだそこには千歌の軽く微笑んで見つめる姿が映った。


「……本当に、お前は変わったよ」


 本当の別れとして大きく手を振り、振り返らずにまた歩みを始めたのだった。

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