第35話 此の世すべてを喰らう者

 逃げ道と攻撃役を失ったドミネリアは、睨まれた蛙のように固まってしまう。わなわなと口を動かし、後退りをする。


 その様子に満足したのか、アパスが挑発気味にドミネリアを煽る。


「どうやら貴様の《支配欲》の弱点は〝恐怖〟のようだな。全てを総べる支配者が万物を恐れるはずがないからな」

「違う! 此方に恐れなど一切ない! そうだ……この器が怯懦なだけなのだ! 本来の私にそのような感情はあるはずがない! あってはならないのだ!」


 明らかな動揺を見せながらも、ドミネリアは【次元破壊】の時間を稼ごうと、繭全体に魔力を稼働させる。手に持った《性欲》の玉石が強く輝き、ドミネリアの術の補助をする。


 ドーム状の繭は天井一点に集約され、巨人の鉄槌へと形を変えた。鋼糸に優る強靭な糸の塊が集まったことにより、その鉄槌が地面に落下すれば、町全体に陥没地帯ができることを容易に想像させる。


(ミツヒロよ。さすがにあれは避けきれん。どうするのだ?)

「もちろん迎撃して壊す。もしくは喰うまでだ」


 当然のように言う光寛に苦笑してしまう。


(わかった。好きにするがいい。冠位の力、存分に引き出してみせよ)


 今にも落下しそうな挙動をみせる鉄槌を見上げ、光寛は臆することなく二刀を逆手に、重心を沈める。

 人形とアグレシアから得た魔力をすべて刀身に注ぎ込むと、飽和した魔力が溢れ、黒い稲妻を纏った。


「【生存本能】――発動」


 魔力許容量を超えるため、無理やり超過分の魔力も引き出そうと、【生存本能】で上限を突破させる。一方のドミネリアは、自陣を囲うような球体上の障壁を作り、守りを固めた。


 お互いの態勢が整い、二人は一斉に動き出した。


「塵に帰せ‼」


 ドミネリアは嚇怒に満ちた声とともに、天に滞空していた鉄槌を振り下ろす。

 巨大隕石の如く大気を押しのけ、光寛めがけて落下してくる。荒れ狂う風が地上に押し流され、高い建物は潰され始める。


 徐々に迫る鉄槌の表面を目前に、食欲の化身を冠する技を、光寛は高らかに詠った。


「冠位能力――【此の世全てを喰らう者】」


 交差する刃を打ち鳴らし、紫に爆ぜるスパークを生みながら、両手に持ったダガーと刀を強く振り上げた。輝く刀身から生み出された一直線の光線は、町を呑み込む鉄槌を一瞬で穿ち、大きな爆発を起こしながら鉄槌を破壊していく。

 轟音ともに崩壊する鉄槌の塊を、地上で待機していた九頭竜が飛びつくように首を伸ばして呑み込む。形を失った鉄槌は、龍によって容易く噛み砕かれてしまう。


「そんな……バカな…………」


 鉄槌を貫いた光の一筋は、密雲に覆われていた蒼穹を覗かせた。差し込む日差しにドミネリアの青ざめた表情が照らされる。


 やがて冠位に秘められた魔力を使い果たし、玉石は灰となって消えてしまった。魔力の維持ができなくなったため、ドミネリアの障壁は剥がれ落ちるように崩壊する。

 根城と兵器を失った支配者は、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。


「此方は……まだ、死ぬわけには……。がふっ――⁉」


 ドミネリアの胸を漆黒の刀が貫いた。

 傷と口から血が溢れだし、遅れて彼女自身が刺されたことに気が付く。血に染まった自分の手を見て眼を動乱させ、目の前でそれを突き刺す光寛の横顔に目を動かす。


「貴様っ……此方をも呑み込む気か」

「そうだな。生存競争ってやつだ」

「これの器が貴様の肉親だと言うのに、生みの親を喰うのに一切の躊躇いがないな……」


 光寛の肩に顎を乗せ、体重を預けるように倒れ込む。思い出したように血を吐き、掠れた弱弱しい、しかし憎悪のこもった声を耳元で囁く。


「こいつらを親と思ったことは、あの日以来ただの一度もない。俺の悪魔の腹の中で、父親と一緒に溶けてなくなるんだな」


 細身の体を貫く刀身から、どろどろとした影がドミネリアの体の表面を這うように包み込む。胸から影が広がり、足と頭へ完全に飲み込まれる前に、彼女は捨て台詞を放つ。


「《支配欲》は此方だけではない……他の〝頭脳〟が、貴様らの首を刈り取ろうと動き出すだろう――」


 顔まで影に覆いつくされ、フェードアウトしていく声を最後に、ドミネリアの体は一瞬で灰のように消えてしまった。

 すっと軽くなった刀を下ろし、光寛は雲に空いた穴から覗く青空を見上げる。


「終わったよ、紗枝」


 緑のない荒廃とした街の中で一人、抑えきれない虚しさを噛みしめながら涙を流した。



                  ***



 アパスの胃の中に取り込まれたドミネリアは、虚無の世界を漂っていた。


《食欲》に取り込まれた者は、その空間で悪魔と人間を分離される。そして悪魔から階位と魔力を取り除かれ、骸となる悪魔は瞬時に消化されてしまう。


 しかし分離された使徒であった人間の身体の方は消化に時間がかかる。魔力とは無縁の人間は、その影響を受けにくいからだ。


 ドミネリアの使徒となっていた光寛の母――美奈子は、《支配欲》から完全に解放された。

 かつて飯井崎美奈子として光寛と紗枝を育てていた時、彼女のなかで子供たちの成長に対する支配欲が発芽した。他の男との子供を産み、夫との諍いもありながらも、母親は光寛らを思い通りに育てようと考えていた。


 そこでドミネリアの《支配欲》により、父と母は、心の底にある欲望を引き出されてしまう。


 夫は《攻撃欲》、そして母は《支配欲》。


 使徒となる手前で、彼らはお互いの欲を自分の子供にぶつけた。

 虐待に耐えかねた光寛は両親を殺し、紗枝を連れて町を出る。残された二人の死体にドミネリアは器としての真価を見出し、彼らの体に憑りついた。その時点で母親の精神はすでになくなっていた。夫は半ば意識を乗っ取られそうになったが、自身の欲望のため、夫としての理性があった。


「‼」


 異空間を漂う妻の死体に、父は呼びかける。脈もないのは想定済みだったが、夫は寧ろ安堵の息をついた。


 夫の欲望、《攻撃欲》の奥に潜んでいた根幹となる想い。それが妻への愛だった。

 ドミネリアに完全に乗っ取られた妻の体を解放するため、夫はドミネリアを超える力を欲していた。


 ――美奈子の体を悪魔なんかに弄ばれてたまるか。


 表面上ではドミネリアに従い、水面下では彼らに対する謀反を企てていたのだ。いつか自分の手でドミネリアを倒し、妻の死体をこの手で抱きしめようと、何年も耐えていた。


 それも今では憎たらしい息子によって叶えられてしまったのだが。紗枝を殺した後、オーディアに言われた言葉を思い出し、心の中で彼らに感謝をする。


「美奈子……ようやく会えたな。最後くらい、お前と一緒がよかった」


 最愛の死体を抱きしめ、夫は虚無の世界で瞼を閉じ、永遠の眠りについた。

 彼らを過酷な運命に導いた階位の欠片が、密着した二人の周りから消えていった。

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