第34話 【捕食者・九頭竜】
千歌の魔法陣は強力な赤に発光し、刻印が浮き出て回りだす。
そして魔法陣から波紋するように、魔力の波が繭全体に広がる。
「な、んだ、これ……」
取り囲む人形は一斉に倒れこみ、堅牢の前を死守するアグレシアでさえも、夢の中に引き込まれてしまう。ドミネリアとアパスは冠位に守られ、千歌の【睡魔】を受けなかった。
周囲の敵が眠りに落ちたところで、千歌は光寛を引き留める。
「光寛。貴方をここから飛ばす。剣を持ったまま体貸して」
「お、おう……でも飛ばすってどうやってだ?」
千歌は立った状態の光寛に自分の剣を手渡し、その状態で足を両手で掴んでは、ハンマー投げの要領で堅牢へ投げてしまう。千歌のコントロールがよかったのか、光寛は囚われたアパスに向かって一直線に飛んでいく。
咄嗟にドミネリアは魔力障壁を作り、光寛を空中で叩き落そうとする。
顔面で風を受けながら、光寛は障壁にぶつかる直前で剣を振るった。
キイイイン! とつんざく音が発生し、剣と障壁は拮抗する。
「はあぁぁぁぁああああああっ‼」
光寛の雄たけびが力を引き出したのか、障壁が小さく割れた。そして剣の刺した箇所に穴が開き、そこから光寛は堅牢へと飛び込んでいった。
堅牢に当たる直前で格子を掴んで勢いを殺す。掌だけでなく腕まで衝撃が響いたが、格子の奥にいるアパスに、手が届く距離まで近づけた。
「おい悪魔! 俺ともう一度契約しろ!」
体を貫く糸で固定されたアパスに呼びかけると、彼女は今までの苦痛を忘れたかのように暴れ始める。体に刺さる糸など怪力でへし折り、光寛に近づく。
今のアパスには理性がない。食事のない檻に近づく人間がいれば、誰であろうとその肉を喰らおうとする。
次の瞬間、アパスは格子を掴む光寛の手に噛みついた。
「痛っ! おい俺の話を聞け!」
話を一向に聞かず、アパスは光寛の手から溢れ出る血と肉を貪り続ける。
「あいっ! あい! あいぁぁぁ!」
「ちっ……。悪魔なんかに好かれたくないが、そんなに愛が欲しいんならやるよ」
光寛は剣を持っていた手を放し、アパスの首を掴んでは、強引に引き離す。
そして牢棒の間から、血にまみれたアパスの唇を奪った。
「~~~っ⁉」
牙の生えた口を口で塞ぎ、お互いの粘液が混ざり合う。我を忘れて暴れていたアパスは突然の口づけに硬直してしまう。
数秒の口づけを終えて唇を離すと、アパスの目から涙が零れ落ちる。
「ミツ、ヒロ……」
震える声で名前を呼び、本人はそれに頷く。
「アパス。俺と契約しろ。俺の体を、自由に使え!」
光寛は初めてアパスを名前で呼んだ。その衝撃と、契約の言葉に絶句してしまう。
飢餓を抑えながら、アパスは光寛の気を確かめる。
「お前の欲望はなんだ? 何を懸ける?」
「この世界で生き延びて、そして紗枝を生き返らせる。それが俺の欲望だ。お前との契約には俺自身の命を懸ける。それでも足りないなら、全世界の人間を寄せ集めてお前に献上する」
高らかとそう宣言する光寛に呆れるまでもなく、アパスは言った。
「よかろう。ワタシはこの世の全てを喰らう者。再びワタシの使徒となれ!」
アパスの体が紅い粒子となって光寛の胸に溶け込む。心臓へと憑依し、光寛の体に《食欲》の悪魔の血が流れ出した。
突如、人間が絶対に抗うことできない本能的欲求に襲われる。
喉が渇き、胃が萎み、唾液が漏れる。
しかし光寛の世界を生き抜く『生存欲』と、亡き人を生き返らせるという実現不可能な際限のない欲望が、食欲を抑え込んだ。
心臓が高鳴り、視界が鮮明になり、鼻が利く。以前とは違う、明らかな体の変化を感じる。
右手に肉厚のダガーを出現させ、逆手に持って堅牢を一瞬で切り裂く。軽く振るうだけで、アパスを閉じ込めていた牢は細切れになって崩れてしまう。
「まさか……《食欲》を完全に取り込んだだと……⁉」
ドミネリアはこれまでに見せることなかった驚愕を表出する。核兵器並みの魔力量と、それをすぐに使いこなす光寛の存在が、不確定要素として浮上したからだ。
それを抑える術も思いつかず、ましてや覚醒した冠位の器たる光寛に傷を負わせられるかと考えてしまう。
狼狽するドミネリアを見て、アパスが喋る。
「ドミネリアよ。貴様は人間を舐めすぎだ。たしかに貴様の特級能力は人の命すらモノのように扱うことができる。しかし支配という概念に『依存』が含意する時点で、ワタシとは位相も次元も、同じ土俵で争うことが馬鹿げている。《
「あ……アグレシア! やれ!」
睡魔から目覚めかけているアグレシアに命令を下し、ドミネリアは空気を裂いて次元の歪みをつくる。縦に開かれた闇のワープゲートへ逃げ込もうとしているのだ。
光寛は左手で生み出した【捕食者】の影で、ゲートそのものを喰らってしまう。空間を繋ぐ魔力のゲートは、鏡が割れたようにヒビが入るとともに崩壊する。
「そ、そんな……馬鹿なっ」
ワープゲートを作るための能力【次元破壊】は、一回の使用から数時間のクールタイムを要する。逃げ場を失った支配者はさらに焦りを見せ、千歌たちを取り囲んでいた人形と、新たに生成した人形を光寛に向けて一斉に走らせる。
全方位から覆いつくすように迫りくる人形たち。
繭の中央で光寛は左手から影を生み出し、天井に向けて放つ。
「すべてを喰らえ――【捕食者・
頭上に浮かび上がった大円の魔法陣から、九つの頭を持った龍が出現し、長い首を伸ばして、襲い来る人形の波を呑み込んでいく。
たった一口でプランクトンのように集る人形を一掃していき、光寛に一切近寄らせない。糸一本も残すことなく喰らい尽くす九頭の龍を見て、逆に興奮を覚えたアグレシアは叫ぶ。
「おもしれえ‼ 力試しとしようじゃねえか、光寛ぉぉ‼」
恐竜の彼は地面を踏みつけ、大地から鋭い角が突き出てくる。アグレシアの頭に達するほど大きな岩石だが、光寛は軽々と跳躍して飛び越える。
宙に浮いた光寛を追撃するように、先の鋭い土の触手が突き刺しに迫る。鞭のような首をしならせ、風を切って光寛の胴体に肉薄する。
(――――紗枝。お前の力、借りるぞ)
瞬間、光寛は左手に漆黒の刀が紫の光とともに出現した。ダガーと同様に逆手で握ると、光寛の両脇を捉えようとする触手を、体を回転させながら斬り落とす。
さらに下からすくいあげるように迫りくる一撃は、刀で受け流しながら、火花を散らして落下する。地面から垂直に生える触手の壁を空中で蹴り、アグレシアに向かって一直線に飛んでいく。
弾丸の如く空気を割いては、アグレシアの眉間にぶつかる直前で、ダガーと刀を恐竜の双眸に突き刺した。
「があああああっ‼」
悲痛の叫びが、地割れの音のように響いて繭全体を揺らす。
「そういや、巨大な敵の弱点は目だったな。小さい頃、お前がオレに教えてくれたお礼だ」
光寛は両刃を引き抜くと、苦しみ悶える恐竜の頭の上で、刀の切っ先を天に向ける。
すると龍の影は人形を喰うのと止め、目を潰されて悶えるアグレシアに目を光らせた。
「――やれ」
刀を振り下ろすのを合図に、九頭の龍は一体の恐竜目がけて飛びつく。原始の捕食者に勝る強靭な顎で、アグレシアの肉を噛み千切り、まずは四体が四肢を捥いだ。そして仰向けに転がる胴体を残りの五体が無作為に噛み散らかす。
やがて恐竜の口からは悲鳴も聞こえず、微動だにしない骸を九頭竜は貪り続けた。
アグレシアの頭から飛び降り、それをただ静かに傍観していた九頭竜の飼い主は、首だけを動かして背後を向く。
「次はお前だ。どう食ってやろうか? 龍の餌か。八つ裂きか。選ばせてやるよ」
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