第33話 《食欲》の奪還
ドミネリアによる拷問は、今もなおアパスを苦しめ続けていた。
特級能力は冠位の悪魔であっても、何らかの影響を受ける。アパスであれば、自身の持つ《食欲》と《性欲》の冠位を外部に吐き出すまで臓器を締め上げるというものだ。
呼吸の際に少しでも力を抜けば、胃の内容物を吐きかねない。一方的に排出の予兆を繰り返されるため、アパスは極限の飢餓と戦っていた。
ドミネリアはいつまでも吐き出そうとしないアパスに目くじらを立て始めた。
「いつになれば諦めがつくのだ? それか拷問のレベルが低いのか」
堅牢を構成するすべての糸に魔力を送り、流れる魔力をアパスの体に触れるたびに放電を起こす。
「ぐあああああ‼ おえっ、げほっげほ!」
電流が体に流れ、全身が痺れて痛覚を発生させる。しかし絶叫のたびに嘔吐感が強くなり、抑えるのに必死になる。
そして二回目の放電で、ついにアパスの胃は逆流を起こした。
美貌を崩し、汚辱を見せられるアパスの口から、桃色に輝く玉石が吐出した。拳ほどのその玉は転がり、堅牢の外へと落ちてしまう。ドミネリアはそれを掴み、恍惚と見入る。
「おおっ……これが《性欲》か! 素晴らしく桁違いの魔力量だ!」
まるで天からの授けもののように玉石を高く揚げ、歓喜の声を上げる。
冠位は、それを所有する悪魔が消滅すれば玉石となる。さらに所有者以外の悪魔がそれを手にするだけで、冠位に秘められた潜在魔力を引き出すことが可能なのだ。
ドミネリアは桃色に輝く冠位を呑み込もうと口を近づける。
「――⁉」
ばちっと弾かれる音がして、ドミネリアは反射的に口から離した。
ドミネリアはすでに《支配欲》の階位を有しており、それより強力な冠位は取り込めないと悟った。
アパスが取り込めたのは、《性欲》と同等かそれ以上の冠位であったから、もしくは《食欲》がそれを可能にしたのか。推理を働かせるも、試験がなければ考察も無駄になると考え、思考を放棄する。
「まあいい。取り込めなくとも冠位の器を探し、そいつを支配するまでだ。問題は……」
堅牢に視線を戻すと、牢の隙間から女性が頭を出して狂乱している。格子を掴み、美貌に不釣り合いな二本の鋭い牙をむき出しにしている。何を血迷ったか、アパスは牢棒に噛みついては砕こうとする。
今まで《食欲》の野生本能を、《性欲》によって微かな情緒を保っていたが、《性欲》を取り除かれたことにより、アパスは目の前にあるモノを喰らいつこうとする獣と化していた。
「ドミネリア様。あんなに暴れられたらさすがに牢がもたないんじゃねえか?」
「そのようだな。仕方ない。少し食事を与えてやるか。特級能力――【常世全ての生命掌握せり】」
今度は壁の繭から糸が何本も伸びてくる。内円を描く壁を六等分する間隔でその現象は起こり、浮き出てくる糸は絡みつき、人の形へと形成されていく。堅牢と同じ現象だが、人型のそれはまるで命を宿しているかのように動き始める。
人型の繭――それは支配された町の住民のコピーであった。大人を強制的に使徒とし、ドミネリアの指示通りに動く。まるでマリオネットのようである。
何もない、ただの魔力の塊に生命を与える。それがドミネリアに許された禁忌と云わしめる魔術であった。
人形の一体ずつ魔力を有しているため、アパスが口にすれば多少の空腹を紛らわせられる。
「あい、あいっ! あいあいあいあいぃぃぃぁ!」
堅牢の中へ入って行く人形にアパスは躊躇いなく噛みつく。肩関節を外し、腕を引き千切り、筋繊維のような糸を喰らう。味はなく、ただ魔力だけが腹に溜まる。
「醜いな。魔女と呼ばれ畏れられている存在も、自身の欲望に呑み込まれればこうもなってしまうのか」
唾液をまき散らし、蕾のように柔らかな口を野蛮に開閉する。食いつくした人形は骨を捨てるように堅牢から放り投げる。
そして次から次に人形を喰らって際限のない食欲に吠える。
アパスの自我は完全に野生のものになっていた。しかし染まり潰される意識の中で、アパスが手を伸ばしていたものがあった。
「あ、いっ……!」
「悪魔が人を愛せるわけがなかろう。貴様の場合、出会った瞬間頭から足の先まで腹に収めてしまうはずだ。さて……今度は貴様の《食欲》を貰うとするか」
ドミネリアがアパスに人形を食べさせたのには理由がある。暴れるアパスを落ち着かせることともう一つ。彼女を体の内部から壊すためである。
「がはっ――⁉」
アパスが取り込んだ糸たちが、一斉に針状に伸び始めたのだ。胃の中を漂い絡まる無数の糸が、彼女の体を内側から貫通する。毛より細いため、貫通しても血は滲むほどしか出ない。
ただし、糸は伸びれば硬くなり、貫通した状態のまま体を串刺しにされて動けなくなってしまう。
胃から全方位を貫き、腕や手の先、眼球すらも固定される。
「ハハハハ‼ 毒とも知らずに食うからだぞ! 誠に滑稽である! おかげで貴様の冠位の奪取は容易なようだ。すぐに終わらせてやる」
握りしめる動作が連動して、アパスの胃をさらに締め上げる。傷口が密集した臓器から血が圧縮されて噴き出る。鋭く焼けるような痛みと、さらに全身を襲う電撃が、アパスの限界に追い込む。
「うっぷ……」
今まで死守してきた境界が決壊しそうになった、その時――
ドミネリアの背中に横薙ぎの斬撃が飛んできた。
瞬時に反応したアグレシアが、大剣で払いのけ、ドミネリアは手を止めて振り返る。
「……よう。まだ生きてたのか。死に損ないのバカ息子」
期待に目を輝かせるアグレシアに、息子は凛とした声で答える。
「お前とはもう二度と会わないだろうと思ったが、気が変わった。やっぱりお前を殺す」
繭の外から丸腰の光寛と、すでに抜刀済みの千歌がいた。そして霊体のオーディアも繭の内側で実体化し、戦力としては二人分となった。
「残念だが《食欲》もいずれ此方のものとなる。それまではそこで指を咥えて待っていろ」
ドミネリアはアグレシアに仕草で指示すると、待ってましたとばかりに首を鳴らして大剣の柄を握る。
同時に、繭の壁から数えきれないほどの人形が生み出され、光寛たちを包囲した。
「なんの力もねえお前に何ができるってんだ? 今更復讐しに来たって、結局紗枝と同じようになるだけだぞ」
ぞろぞろと光寛たちに詰め寄る人形に臆することなく、彼は千歌の合図とともに走り出した。
オーディアによる遠距離斬撃で、囚われのアパスに向かって走る光寛の邪魔をする人形を薙ぎ払う。
それと同時に千歌は光寛と並走して、倒しきれなった人形を処理する。
「数が多いな。これで本当に大丈夫なのか?」
光寛は、剣を振るいながら横を走る千歌に問いかける。作戦を伝えられただけで仔細を知らない彼にとって、成功率や臨機応変というものの不正確さに欠ける。
「私たちを信じるって言ったでしょ? 貴方は、必ずあそこまで連れて行くから。
はあっ!」
成人男性の全力疾走を遠目に眺めるアグレシアは、あまりに無謀な突進に呆れてしまう。しかし下手な真似をして侵入を許してしまうわけにはいかないと考え、大剣を地面に突き刺して、化け物の唄を詠う。
「その勇気だけは褒めてやるぜ――――【本能・全開放】‼」
再びアグレシアは凶悪な恐竜の姿に変身し、人形の塞ぐ道を着々と進める光寛たちを捉える。
その巨体に睨みつけられたことにより、千歌の振るう剣筋が乱れを見せた。明らかに自分よりも強い存在が目の前にいると意識すると、千歌の逃走本能が発露してしまうのだ。
紗枝が戦っているときはいつもそうだったと、千歌はふと回顧する。
しかし今は隣に守らなければならない存在がいる。そう考えると自然に体が軽くなった。不思議と恐竜に対する恐れも薄れていく。
踏み込みは地を強く鳴らし、足の先から剣先まで力が無限に湧き出てきた。
(――そうか。他人のために力を振るうというのは、こういうことだったんだ)
かつて【睡眠欲】の悪魔スレプスに指摘されたことに合点がいき、点々が繋がるように、千歌にとっての自分の力が何なのかに気付いた。
千歌にとって、光寛は同じ境遇の人物であり、自分の写し鏡のような存在だった。無力な彼の力になることで、彼という人間の支えになる。そこに恐れるものなど何もないのだ。
千歌は右腕の鎧を外し、スレプスに刻み込まれた魔法陣を露出させる。
「力を借ります。能力――【睡魔】‼」
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