第30話 ――――

 突然、アパスが何かを察知したのか、危殆に瀕する声で紗枝に言う。


(まだだ! 防御を取れ!)


 紗枝が落下の一途を辿る一方、煙の中で蠢く影があった。紗枝は目を見開いて、倒したはずの敵の存命に驚愕してしまう。


「うそ……でしょ……」


 傷一つついていないだけでも十分な驚愕だったが、アグレシアに蓄えられている魔力の濃度を嗅いで、思わず咽そうになる。


 アグレシアは大きな口を限界まで開け、喉奥で光体を凝縮させる。それは一本の太い光線となって、落下途中の紗枝に向かって放たれた。


 まるで紗枝の必殺を彷彿とさせる一撃は、空中を移動する術のない紗枝の全身を覆いつくす。

 何の補助もないまま紗枝は刀だけで受け止めようとするが、それでは蒸発してしまうと判断したアパスは、【捕食者】を発動して影を盾状に広げた。


「いや゛あああああ‼」


 あまりの魔力量に、紗枝の【捕食者】であっても吸収しきれない。それどころか盾としての機能も圧倒されそうになる。

 光線に押されるがままに、紗枝の体は繭の壁に打ち付けられる。背中の打撲に嗚咽を漏らすが、光線による攻撃がまだ続いている。盾を支えている腕がへし折れそうなほどの威力と、壁に押し潰されるかもしれないという恐怖を払拭せんと、必死に喘いで抵抗する。


 次第に光線は弱まっていき、削られた盾の影が紙一重というところで、攻撃は完全に止まった。しかし左腕は二の腕まで焼けただれ、吐血も止めどなく流れる。

 壁から剥がれ落ちるように、紗枝は地面に無気力に落下する。


「紗枝‼」


 一方的な攻防を傍観していた光寛が紗枝を両手で受け止め、意識が消えかかる紗枝に声をかける。


「おい! しっかりしろ紗枝! 俺の魔力全部もってけ!」


 手を強く握り、手早く魔力の供給を行おうとする。

 しかし紗枝の体は、光寛一人の魔力では回復できないほど酷く損傷していた。さらに紗枝自身に自己治癒する余力すらない。助からないというのは紗枝自身が察していた。


「畜生っ、なんでなんだよ⁉ おい悪魔! なんとかしろよ! 紗枝が死んじまうだろ!」


 紗枝の中のアパスも、体の回復は見込みのないものだとわかっている。精神体を交代しても、アパス自身の言葉で喋ることもできないほど危篤なのだ。


(紗枝よ……)


 二人は必死に紗枝に問いかける。

それに応えるように、本人は薄っすらと目を開けたまま、掠れた声で言う。


「負け……たかな……。もうむり、そうだし…………」

「そんなっ、何か、何か方法があるはずだ! 千歌! 来てくれ!」

「やめてよ…………お、にぃちゃん……泣かないで、よ」

 掴んでいる手を、微力ながら握り返していることに気付き、光寛の涙は止めどなく流れ始める。


「わたし、おにぃちゃん……守れて……かった」

「もういいっ。もう喋るな!」


 それでも言葉を綴ろうと紗枝の口は動く。その表情は





「……きだよ……にぃちゃ…………契約、破棄」





 すると突然、紗枝の体が金色の光に包まれた。

 斜陽を浴びたような温もりを放ち、紗枝の体は足先から光の粒子となって、天に昇っていく。


「ちょっと、待ってくれ…………」


 腕の中で目を閉じた紗枝の表情さえも、光寛の懇願には応えず、粒子となって形を失った。光の粒を必死に搔き集めようと手を伸ばすが、掌を透過していく。


「おい、おいおい……行かないでくれよ……」


 頭を支えていた左手には、紗枝と再会した日に渡した髪留めが落ちていた。


「そんな、紗枝……」


 突然の出来事に、目は虚ろになり、言葉も出せない状態になる。ただ声帯の隙間から漏れ出る嗚咽が掠れ、やがてそれは悲痛の叫びとなった。


「あ、あ……゛あ゛あああああぁぁぁ‼」

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