第29話 決死の兄妹

 アグレシアが恐竜に変身して直後、繭全体が揺れるほどの咆哮とともに、繭の底から大地の槍が突き出てきた。アグレシアの足元から波紋を起こしたように伝播し、次々に土の凶器が紗枝に迫る。飛び越そうにも、生え伸びる高さに当たってしまう予感がよぎり、タイミングと飛び出る場所を魔力の動きだけで捉える。


 手前でぐんと伸びてくる地面を、紗枝は刀で受け流そうとするも、左の付け根あたりに斬り込んでしまう。


「いったああ⁉」


 骨までは届いていないが、筋繊維をかなり損傷してしまった。力を入れてもロクに持ち上がらない左肩を抑え、紗枝は一旦後退する。


「アグレシア。力の加減を間違えるな。次にしくじったら器を交換するぞ」


 アグレシアの背後から、ドミネリアの静かな怒声が響いてくる。見ると、地面の槍は繭の壁際まで届いており、待機していたドミネリアは魔力障壁で身を守っていた。


「……すんません。十二分に気を付けます」


 さすがにやってしまったと、恐竜は反省の色を見せる。その様子に、アパスは妙な違和感を持った。


(……気のせいか? いや、それよりも紗枝、大丈夫であるか?)

「ちょっと左腕を切っちゃっただけ……まだ繋がってるし、残りの魔力で修復でき

る」


 紗枝は左腕の治癒を施すが、その隙を逃さないとばかりに、アグレシアは巨大な体躯で地面を鳴らしながら走り迫る。太い牙をむき出し、口を限界まで開きながら紗枝を喰らおうとする。

 紗枝は、治療を一旦やめて横に飛び避けようとした。


「え、ちょっと⁉」


 しかしアグレシアの【白亜紀】により、紗枝の足場となっていた地面が盛り上がり、さらに紗枝を覆い隠すように左右と背後に土の壁が何層も重なる。アグレシアの走る直線状に沿って壁が作られたのだ。

 咄嗟に紗枝は蹴りを繰り出すが、背後の壁は壊れない。左右の壁も容易に壊れないことは容易に想像できたが、決定的に追い詰められてしまったのだと瞬時に悟った。


 前方からは恐竜が、飛ぼうにも越えられない。避けようにも壁が邪魔して動けない。圧倒的な体格差があっては、腕を負傷していない紗枝の全力でも返り討ちにできない。


「やばい、逃げられない……!」


 逡巡する間もなく、アグレシアの牙が紗枝を捉える――


 刹那、紗枝の頭上から何者かが降ってきた。

 その人物は紗枝の体を抱え、肉薄する恐竜に向かって疾風の如く速さで疾走する。 

 そして牙に引っかかるすれすれでスライディングを繰り出し、アグレシアの足元を潜り抜けたのだ。


 勢いのままアグレシアは自身の作った土の壁に頭から突っ込み、壁を壊すだけに留まらず、繭の内壁まで突き破った。雷が落ちたような轟音が響き、アグレシアはしばらく動かなかった。


「た、助かった……?」


 紗枝でさえ、その一瞬で何が起きたのかが判別できなかったが、体を支えている人物の顔を見て安堵の息を漏らす。


「紗枝、大丈夫か⁉ 今魔力を分けてあげるからな!」

「お兄ちゃん……どうしてここに?」

「話はあとだ。それにしても深い傷だな」


 光寛は紗枝の左手を見るや否や、すぐに治癒を始めた。

 同じ《食欲》の使徒であるため、お互いが接触していれば魔力の供給が可能である。掌を介して光寛のもつ魔力が紗枝に送られる。そしてアパスが魔力をコントロールすることにより、体の治癒が施される。

 その様子を見たドミネリアが、無機質な声で言った。


「そういえば《食欲》の使徒は二人いたな。これは誤算だったな」


 大して驚いてもいないが、何かしらの画策が瓦解したのだとアパスは悟る。これほど大きな空間を用意しておきながら、襲ってくる敵が一体だけなのには違和感を抱いていた。


「この空間にアグレシア以外の使徒を用意していないのは、我々の【捕食者】による魔力供給を封じるためだろう。ミツヒロが到着しなければ治療もできなかった。感謝するぞ」

「お前に頭を下げられても価値はない。これ以上紗枝に何かあれば、今度こそわかってるな?」


 殺気に似た視線を送り、紗枝の中のアパスを威嚇する。

 未だに嫌悪されているのだと自覚したアパスは精神体に戻り、紗枝が発言する。


「ありがとう、お兄ちゃん。もう治ったから大丈夫」


 傷口に跡が残ってはいるものの、痛みは収まり、動かせる具合に回復した。

 光寛はほっと息を吐き、紗枝の頭を優しく撫でる。


「よく頑張ったな、紗枝。あとはお兄ちゃんに――」

「お兄ちゃんは下がっててよ? 私より速いだけじゃ、アイツは止められないから」

「そ、そうだな……。だけど俺にできることがあったら何でもするぞ」


 一瞬、紗枝の視線が宙を泳いだ。思考が停止したかのように長い沈黙が生まれる。

紗枝が何かを言いかけたその時、繭の外壁に首をつっかえていたアグレシアが、光寛たちを向いた。

 目を丸くするほどの驚愕を示し、光寛の存在に歓喜する。


「おお、ようやく来たか光寛! 相変わらず兄妹揃って仲良しだな! でもお前らは

異父兄弟なんだから、間違ってもセックスすんじゃねえぞ」

「親父か……。笑ってられるのも今のうちだぞ」


 茶化してくる父親を睨み返し、光寛は紗枝に手を差し伸べ、体を起こす。

 刀を持った少女も恐竜をひと睨みし、柄を強く握りしめて中段に構えた。体中の魔力を刀身に集め、紫の輝きと放電をちらつかせる。


 アグレシアも本気を出すのか、空気が震えるほどの魔力が全身に宿り、赤黒いオーラが揺蕩って見える。姿勢を低くして構え、小刻みに聞こえる恐竜の吐息が静かになり、繭の空間に緊張が走る。


 両者はお互いの動きを見ているだけだったが、機を窺うのに飽きたのか、先に動いたのはアグレシアだった。強く地面を踏み鳴らすと同時に、紗枝を狙わんと無数の土の触手がしなやかに伸びてくる。

 紗枝は土が当たる寸前まで引きつけ、直前で地面を強く蹴って跳躍した。

 すると紗枝のいた地面に集中して突き刺さり、まるで大樹の根っこのように歪曲を描いたまま動かなくなる。


 飛び上がった紗枝を狙って、さらに別の触手が刺突しにかかる。しかしそれらすべてを、紗枝は空中を舞いながらの刀捌きで切り落としてしまう。


 攻撃を凌ぎ、着地先に残り続ける土の上に乗って、その上を走り始める。触手の根元であるアグレシアを目指して走り出すが、触手による追撃は止まない。全方位から紗枝を突き刺さんと迫る。


「邪魔なんだよぉぉ‼ 【捕食者・雷】‼」


 左手から生み出した【捕食者】の影で稲妻を再現し、触手に向かって放つ。自然現象ではありえないほど太く黒い雷は、触手を粉々に砕いた。


 そしてついに紗枝とアグレシアは、数秒で接触するほどの距離にまで縮まった。

 紗枝は今までに蓄えた魔力の一撃を、アグレシアに叩き込めば勝てると考えていた。間合い関係なしに攻撃できる土の触手で妨害されても、その一撃さえ放てば問題ない。


 紗枝は目標の距離に到達すると、アグレシアの目線と同じ高さまで跳躍する。刀に迸る魔力の激流を一直線に定め、紗枝は全魔力の乗った必殺の突きを放った。


「はぁぁぁあああああああ‼‼」


 稲妻と熱を帯びた光の一突きはアグレシアの全身を包み込み、原型を滅ぼさんと光線の放射は続いた。

 やがて繭の厚い壁すらも大きな爆発音とともに貫通し、そこでようやく紗枝の魔力が尽きた。


「どうだバカヤロー‼」


 蒸発の煙が広がる先に罵声を浴びせ、空中で技を放った紗枝は落下を始める。体中の魔力や筋肉を大きく消耗した疲労感と達成感で満たされ、その顔はうっすらと笑みを浮かべていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る