第28話 ”原始の捕食者”
男の全身に魔力が集中し、人間の肉体に変化が現れる。以前の戦いでは両足が恐竜のものになったが、変身は足だけに止まらない。
「悪魔はなあ、この世界で元の姿を維持することはできねえ。だがこの繭の中なら俺の悪魔の全てを引き出すことができる! うおらああああ‼」
皮膚が破け、筋肉が膨張し、尻尾が生え、顎が角ばり、牙が伸びる。
そうして体は際限なく膨張を続け、男の容姿は人ではなくなった。紗枝が知っている限り、男の姿はティラノサウルスだと判別できる。
捕食者の竜より等身が三つほど大きい恐竜は、鋭い牙が並んだ口から吐息を漏らし、引き絞られた瞳孔から眼光を放つ。
「《食欲》、貴様と《攻撃欲》の我は遠い親戚のようだ。捕食者を操る貴様の技を、我も持ち合わせているのだからな。【捕食者・原始】――発動‼」
アグレシアの詠唱と同時に、ドミネリアが指を鳴らす。恐竜の頭上に円盤状のゲートが開かれ、その闇の奥から人の形をした――――数えきれないほどの人間が降ってきた。
紗枝の位置からでもそれが視認でき、次の瞬間で何が起こるかが容易に予想できた。
次の瞬間、アグレシアは降ってくる人間に大きな口を開けて、次々に雪崩れ込む人を呑み込んでいく。
「そ、そんな……ひどいっ…………」
ようやく飲み終わったると、おおきなゲップを鳴らす。
見下ろされる紗枝は、本能的な恐怖で後退りしてしまう。原始の捕食者の放つ眼光に、全身を射抜かれるような錯覚を覚えた。
アパスは紗枝の代わりに言う。
「アグレシアと言ったか。貴様はただ嬲ることしかできない暴力の塊だ。今まで支配してきた人間を魔力に変換したようだが、その牙を食欲のために使わぬのなら、ワタシとは一線を画している」
「だが貴様の使徒は、全盛期を発揮できるほどの器ではないだろう。そんな貴様は我にとってただの被食者だ!」
町から糸を引いていたのは、繭に魔力を蓄えるための臍の緒だったと、アパスは気づく。
「この繭……この町の住民から吸い取った魔力で構築した、魔界を模した結界だったとはな。どうりであ奴が悪魔体でいられるわけだ。すべてはワタシを紗枝から分離させ、冠位だけを吐かせるための空間というわけか」
ようやく恐怖に慣れたのか、紗枝は刀を強く握りしめ、まなじり決して青眼に構える。
アグレシアは巨大な体躯で、紗枝に牙を向ける。大地が悲鳴を上げているかのような足踏みで近づき、一切の攻撃を臆さない態度で見下ろした。
***
光寛たちは紗枝の後を追いかけ、ドミネリアの繭に至った。無人の町に違和感を覚え、繭の目の前にまで接近する。
「この気配、間違いなく《支配欲》だ。ようやく私たちと対面できるようだね」
オーディアは繭を見上げ、天井に穴が開いているのに気づいた。
「おそらく紗枝殿は繭のてっぺんから入り込んだようだ。我々も続いて入ろうと思うが、ここは慎重に中の様子を窺おうと思う。光寛殿、それでよろしいか?」
敵の本拠地に乗り込んだ紗枝を一刻でも助けたいと、光寛は思っていた。しかし昨夜のことをきっかけに、紗枝の強さを信じると誓ったため、オーディアの提案を受け入れた。
「光寛、貴方どこか変わった?」
千歌が訝し気に尋ねてきた。紗枝のことで散々振り回された思いのある彼女には、紗枝の救出よりも現状の確認を優先したことが驚きだったようだ。
「客観的に考えてそれが無難なだけだ。でも、紗枝が危険な状態だったらすぐに助けに入る。俺は紗枝の兄貴だからな」
光寛は右手にダガーを用意し、常時戦闘態勢を見せる。
千歌もそれに伴い、騎士の外装を装着し、腰から剣を下ろす。バイザーを上げて顔を出し、光寛と視線でやり取りを交わす。
「私は鎧があるから遅くなる。先に行って待ってて」
頷き合い、光寛と千歌は繭の外壁を上り始める。【捕食者】の影でかぎ爪を作り、上に影を伸ばして壁を掴み、伸縮を繰り返す。千歌は繭の糸束に足を引っかけて、慎重に上を目指す。光寛が先行していくため、千歌との距離は引き離されていく。
オーディアは浮遊して千歌と並行しているが、突然登るのを止めた。
「……どうやら我々は、雑魚兵の処理をしなければならないようだね」
壁に掴まる千歌を包囲するように、翼を生やした使徒たちがこちらに敵意を向けてきた。ガーゴイルのように羽ばたかせて宙に浮かぶそれらを睨みつけ、千歌は抜刀する。
「空中戦ができる使徒。ならその能力、模倣させてもらう。能力――【同格の加護】」
能力を唱えると、ガーゴイルに似た形の、しかし神聖さを誇る純白の翼が、千歌の背中から生えた。
手足を壁から離しても空中浮遊を維持できる。これにより千歌は、取り囲む使徒たちと同格の力を得たのだ。地上でしか剣を振るえない千歌でも、空中を移動する術を得たことで、今までと変わらない戦闘スタイルを遺憾なく発揮できる。
使徒たちは編隊を成して千歌へと突っ込んでくる。初撃の爪を剣で弾き、一体目の胸元を斬り上げる。赤黒い血が宙を舞い、心臓を損傷した使徒はそのまま地面へと打ち付けられた。
「本当に雑魚兵。この羽をコピーできただけでも利用価値があった。感謝しておく」
一体目の撃沈に動揺している使徒に、千歌は剣を腰だめに水平に振りぬいた。魔力の斬撃が飛び、一直線に並ぶ使徒全員に命中する。翼を失った彼らは落下していき、千歌を阻む敵が全滅した。
増援がないのを確認すると、千歌は翼の効力が消える前に、壁に沿って飛翔した。
「以前よりも剣の振りが鋭くなっているね。強くなったんじゃないか?」
「茶化さないで。そんなことより、貴方の見た最悪の未来はこれなの?」
何時ぞやに教えられたオーディアの【千里眼】の内容に、千歌は心当たりがあった。その真偽を問おうとしたが、オーディアは「それ以上は契約範囲外だ」と言って黙秘を貫いた。
「そう……でもヤツが出てきたなら、ここで決着をつけないと」
風を切って上昇する千歌の目に、繭の天井が映った。大きな穴がポカリと空き、淵は燃やされたように黒く焦げている。
千歌は羽の効力が切れたのを確認し、穴のそばに着地する。翼は光とともに消滅し、それと同じくして光寛も合流する。
「お前、空も飛べるのか」
「もう飛べない。それよりも中の様子が優先」
「ああ、わかってる」
光寛は穴から顔を覗かせ、繭の中を視認しようと覗く。
――刹那、繭全体を震わすほどの激震が起こった。何か大きな怪物が暴れているかのような振動だ。
光寛の目に入ったのは、ドーム状の戦場で吠え叫ぶ一体の恐竜の姿だった。床からは繭の底を破って突出した土の角が、足場を失くすように乱雑に伸びている。
そして恐竜と対面している黒ドレスを着た少女が目に入る。目を凝らすと、刀を構える少女は右腕を負傷しているようだった。
「紗枝‼」
傷ついた妹のもとへ、光寛は無鉄砲に飛び込んだ。
「ちょっと待って光寛!」
千歌が後を追いかけるが、翼もない状態で飛び降りるわけにはいかないと、踏みとどまる――――否、翼があったとしても飛び込めていなかった。
千歌は本能的に、あの恐竜が恐ろしいまでに強力であることに委縮してしまったのだ。
いつもは感じるはずのない鎧の重さが、体をそこに縫い付けるように感じる。頭で動けて命令しても、恐怖が勝り、アグレシアを直視することもできない。
「千歌……まだ怖いのかい?」
「……違うっ」
「こんなことではドミネリアとも戦えないじゃないか。立つんだ、千歌」
オーディアの鼓舞も虚しく、千歌の立ち上がる原動力にはならなかった。千歌は膝をついて、ただ体の震えが収まるのを待っていた。
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