第27話 支配欲の繭

 紗枝は家を出た直後、大きな魔力の存在に気付いていた。

 嗅覚を辿らなくとも感じ取れる、禍々しい空気が肌を刺すようだった。


「ねえ、アパスちゃん。あれがなんだかわかる?」

(――波長からして、ドミネリアに近いものを感じる。隣町に巨大な結界を張ったのかもしれない……)


 魔力源の正体を知り、紗枝の表情は一気に烈火のごとく険しくなった。拳を握りしめ、八重歯をむき出すのを見て、アパスは紗枝を止めなかった。


「お兄ちゃんが気づく前に私が全部倒す」

(しかし一人では流石の紗枝でも体力的に厳しいかもしれん。千歌を呼ぶのが塩梅だと思うぞ)

「あの女……まあいいや。一応電話だけしておくよ」


 紗枝はスマホで千歌に発信をかける。不明な電話番号には出ないようで、留守電に切り替わってしまう。

 簡易的にドミネリアのことを仄めかす伝言を残し、紗枝は魔力の方向に目を眇めた。


「お兄ちゃんを狙うやつは私が殺す。だからアパスちゃん。力を貸して」

(言われるまでもない。兄を守るための力が欲しい。その欲望に、ワタシは無限の可能性があると信じている)


 

 紗枝が結界付近に着くと、見えてきたのはドーム状の紫紺の繭だった。球場を三つ重ねた大きさで、町全体から糸を引いているようだ。紗枝がここに来るまでも、住宅街には誰の姿も見えなかった。日中の空は、陽を完全に閉ざす黒々とした雲で覆われていた。


(この町はすでにドミネリアの支配下となったのか……。そうなると次は、隣であるワタシたちの方へと勢力を広げるであろうな)

「そんなことは絶対にさせない! あの気持ち悪い巣を壊すよ。【捕食者・竜】‼」 


 左手に生み出した魔法陣から、竜の影が召喚される。立ち並ぶ住宅を潰せるほどの体躯をもつ竜に飛び乗り、繭を指さして命令を出す。


「とりあえずあの巣に向かって火炎玉をぶっ放して!」

「ガウルルル‼」


 竜の口から赫灼たる炎をちらつかせ、土砂崩れのような咆哮とともに、紫の炎の弾が放たれた。弾は放物線を描き、ドームの天井にぶつかり爆ぜる。二発三発と繭を攻撃し、四発目で、轟音とともに繭の天井に穴が開いた。


「あの中に突っ込んで!」


 竜は紗枝を乗せたまま、繭の空洞へと飛翔する。大きな翼をはばたかせ、町に張り巡らされた糸をすべて払い除ける。そして闇へと繋がる穴へ、翼を閉じて急降下した。

 途中で侵入者を妨害する魔力障壁が出現するが、竜の頭突きと位置エネルギーによって次々に粉砕する。


 そして繭の中に侵入し、闇の底へと不時着した。暗闇に包まれた空間を照らすように、竜は微弱な炎を吐く。

 すると紗枝の目の前に、いるであろうと予想していた仇の姿が映し出された。上半身半裸で、ワイドの黒いパンツだけを身に着けている。


「随分派手な登場じゃねえか」


 完全な復活を遂げていた父親、アグレシアは悠々とした態度で紗枝を見上げる。


「……やっぱりいた。今度こそ息の根を止めてやる」

「ていうか光寛はいねえのか? あの腰抜け息子……お前が来ねえでどうすんだよ」


 頭を掻いてむしゃくしゃし、右手に生み出した身長と同じ長さの大剣を地面に突き立てる。


「まあいい。紗枝、こないだのは俺の負けだ。だがな、前の戦いからちーっとばかし強くなったんだぜ」


 紗枝はアグレシアに聞く耳を持たず、全身に黒のドレス、漆黒の刀を装備した。紗枝の意思に反応したのか、竜は男に向かって、空気が揺らぐほどの怒号に似た咆哮を放つ。


「だがなあ、二対一はフェアじゃねえ。こっちもお仲間を用意させてもらおうか。なあ、ドミネリア様ぁ」


 アグレシアが後ろを振り向くと、カツコツと足音が近づいてきた。

 かつての母親の姿をした悪魔、ドミネリアだ。


 繭の支配者は指を鳴らすと、繭全体を照らすように壁から白色光が灯る。今まで闇に隠れていた繭の中が明らかになり、細い糸が何重にも何層にも隙間なく絡まり巻き合っているのが見える。

 足場も縦横無尽に糸の線が重なっており、それがコンクリートの硬さを優に超えていることは、竜の影の強靭な爪を貫かないのを見れば一目瞭然。見渡す限り、以前の戦場となったグラウンドより広大で、天井は東京駅が軽く収まるくらいに高い。


「わざわざ冠位を献上しに来たのかと思ったぞ、《食欲》の……。今回ばかりは《支配欲》たる此方が貴様の首を取ろう」


 ドミネリアの挑発的な発言に、アパスは紗枝の体で言い返した。


「ふん、貴様なんぞに渡すものなどない。いつか来るこの日のために、日頃から多くの使徒を取り込んできたのだ。再び切り伏せるのみだ」


 紗枝の意識に戻り、刀をドミネリアに向かって突きかざす。


「手加減無用――火でも喰らえ‼」

「ガウルルア‼」


 紗枝の喊声を合図に、開戦の火蓋は落とされた。


 竜は長い首をしならせ、口から炎を一直線に放射する。

 しかしアグレシアとドミネリアに向かう炎は、透明な魔力障壁に阻まれた。火力で押し切ろうとするも、障壁には炎耐性が備えられていてビクともしない。


(やはりドミネリアを直接狙うには火力不足か……。しかしこれだけ防御に偏った魔力消費なら、こちらに対する攻撃は瑣末なはずだ)


 紗枝はアパスの推論に頷き、竜の攻撃を止めさせる。代わりに物理攻撃に転じて、飛行からのダイビングを繰り出そうとした。

 翼を広げて飛び立とうとしたその時、地面の下から何本もの巨人の手が出現した。離陸する直前で竜の足首と翼を掴み、地面へと引きずり落とす。


「グラアアア⁉」


 驚きと悲痛の混ざった叫びをあげ、竜は地面に縫い付けられてしまう。

 一体何が起きたのかと、紗枝は竜の背中まで覆い迫る掌握を、刀で斬り伏せながら困惑する。


「もう竜はだめか……。【捕食者】解除!」


 紗枝は竜の影を解除と共に爆散させ、絡まり伸び続ける腕たちを吹き飛ばした。爆発に巻き込まれた腕は泥となって散り、まるで毛細血管の切断面となった地面に紗枝は着地し、今度は紗枝自身がドミネリアに突っ込んだ。

 全身に魔力が痺れるほど流れ、筋肉に伝い、極限まで高められた強烈な突進が生まれる。魔力障壁に衝突する手前で、青眼から渾身の突きを放った。


 ガキイイイン‼


 虚空とぶつかっているとは思えない耳障りな音を響かせながら、切っ先と障壁は拮抗する。突風が巻き起こり、衝突の火花が吹き荒れる。

 そして炎を弾いた魔力障壁は、紗枝によって突き破られた。派手なガラスの破砕音を掻き消すソニックブームを起こし、その勢いで紗枝はドミネリアへと刀を突き刺す。


 ところが、あと一歩のところで、紗枝の一撃はアグレシアによって防がれてしまう。


「残念だったな紗枝。攻撃担当は俺なんだ、よっ!」


 魔力を大きく消耗した紗枝は、大剣を振るう男の反撃を受け流せず、大振りの切り上げによって二十メートルほど遠くへ飛ばされてしまう。


「だったらアンタを先に倒せばいいだけ。この脳筋野郎!」

「ちなみに俺は最初から本気で行くぞ。この際MPなんて関係ねえ」


 アグレシアは大剣を突き立て、すうっと息を深く吸い、高らかに詠う。


「――【本能・】‼」

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