第25話 妹の暴走

「……これは一体何の淫夢?」

「うーん。どうやらあの兄妹は複雑な関係みたいだね」


 千歌が見た紗枝の夢について、オーディアは苦笑のような引きつり笑いのようなリアクションを見せる。


「もしかして、この紋章が原因なの?」


 腕をまくり、右腕に刻まれた魔法陣を忌み嫌う目つきで睨んだ。


「スレプス様の置き土産だね。彼女の【夢喰い】が光寛殿と紗枝殿を深い眠りに誘い、その夢が千歌の脳内に送り込まれる仕組みのようだ。もちろん私にも見えていたよ」


 先日スレプスが千歌に残した魔法陣が、他人の見た夢を見させているのだとオーディアは推理する。


 スレプスの能力【夢喰い】は、接触した人間の夢を覗き見ることで、睡眠時に蓄えられる魔力を吸収するというものである。紗枝の見た夢が千歌に共有されるとともに、魔法陣を通じて魔力が供給される仕組みなのだ。


 しかしあまりにも猥らな欲望を見てしまったと、千歌は頭を押さえる。

 他にも天堂なつみの陸上大会で賞を取るという夢や、見ず知らずの男の冒険譚の夢など、昨日のうちにすれ違った人間にも影響は及んでいたようだ。


「あの悪魔が私に魔法陣を残した理由はわからないけど、あまりに不便すぎる。まるで人のプライベートを覗き見ているようなもの。こんなことをしている場合じゃないのに……」

「しかし夢を見て、紗枝殿がどうしてあれほど強大な魔力を扱えていたか、少しは分かったんじゃないか?」


 恨めし気にオーディアを見て、渋々千歌は頷いた。

 自分より強大な力を操る紗枝と自分とでは何が違うのか――それを千歌は一晩考えていた。

 他人の持つ動機など知る由もなく、オーディアの【市民調査】で確かめようともしたが、それでは意味がないと考え、あえて近道をしなかった。


「悔しいけど、彼女には才能とか以前に、誰かを守ろうとする意志が強いことが伝わった。犯したいほどに愛する兄を傷つけられ、それに憤慨して限界突破をした、と考えられる」

「いい線だと思うよ。じゃあ今度は千歌にとって守るべき存在を見つけないとだね」

「……なんだか貴方に流されている気がする」


 自分に足りないものをオーディアに指摘され、不本意ながらも納得していた。


 千歌が《支配欲》を滅ぼそうとする理由に限らず、悪魔と契約した動機が《支配欲》への復讐であった。ドミネリアの配下に千歌の家族が殺され、彼女は十歳の時から独り身になる。

 ドミネリアの支配は、世帯の大人が対象になる。

 家庭において権力を持つのは親であり、《支配欲》の能力で欲望の歯止めが利かなくなれば、魔力の影響を受けにくい子どもであっても支配できる。そのようにして世帯ごとをドミネリアの配下とし、やがて市町村全体がドミネリアの支配地となるのだ。そうして領地を広げていき、やがて日本全土を支配しようとしている。


 光寛たちが両親と住んでいた町も、すでに支配された場所であった。

 親を殺した二人は支配に及んでいない他の地域に移ったため、今では問題なく生活できている。


 一方、千歌は逃げる先も支配範囲であったため、ドミネリアの手先が逃げ惑う子供を血眼で負ってきた。彼らに見つかれば、支配できなかった家庭の子供だと見切りをつけられ処罰される。


 そんな中、惸独けいどくな千歌はオーディアと出会った。

 家族の仇を取る千歌と、《支配欲》の撲滅を存在理由にもつオーディア。お互い、自分の使命に従って生きてきたため、他人を救うというのはあくまで結果論だと考えていたのだ。


「あの兄妹を守ればいいってことでしょう? 私が必要かどうか、あの戦いで歴然としたはずだけど」

「いや、いずれ紗枝殿には限界が来る。《食欲》の七割の魔力に、華奢でありながらも耐えられる器。しかし完全な冠位としての力を発揮できない以上、ドミネリアとの交戦で撃ち負けてしまうのは


 バイザーから覗かせる碧眼を見て、千歌は硬く唾を飲んだ。


「貴方の【千里眼】では、そう見えているの?」

「ああ。一応釘を刺しておくが、未来を教えられるのは契約者である君だけだ。他言は厳禁――いいね?」


 千歌はどこかやるせない気持ちを抑えながら、黙って肯いた。

 すると突然、千歌の電話が悲鳴を上げたように震えた。発信者は『光寛』と表示されている。


「おや、噂をすればなんとやらだ。千歌、わかっているね」

「……もちろん」



                 ***



 飯井崎家は朝食を食べ終えた頃、別の腹が飢えの悲鳴を上げた。

 光寛だけでなく紗枝も悪魔の血に空腹を覚え、兄が動く前に紗枝が音をたてて立ち上がった。


「お兄ちゃん。私ちょっと狩りに行ってくる」

「だったら俺も一緒に」

「いらない。お兄ちゃんは大人しくここで待ってて。また昨日みたいに大怪我されるとこっちが困る」

「だったらお前が行く必要もないだろ。中級以下を嗅ぎ分けて安全マージンとればいいだけの話だし」

「私ならそんなことしなくてもいいもん! 危機管理能力とかお兄ちゃんにないでしょ」


 どうしても同行しようと言い寄る光寛を止まらせようと強い言葉を浴びせる。紗枝としては、自分の力で光寛を守り抜こうと必死なのだ。言葉で傷つけてでも兄を戦場に立たせたくない。その想いが先走り、紗枝は右手に出現させた刀を光寛に突きつける。


「いいから! 弱いお兄ちゃんなんて足引っ張るだけだからここにいて‼」


 光寛は唐突の脅しに腰を抜かしてしまう。奇襲や不意打ちには完全に反応できる彼でも、紗枝の刹那の攻撃には、目では追えても体が追い付けなかったのだ。

 さすがにやりすぎたと頬を掻く紗枝だが、機先を制した意味がないと考え、悲痛を抱えながらも兄を床に置いて出て行った。


「そ、そんなあ……。そうだ! 千歌ならっ」


 狼狽しながら千歌に電話をかけ、紗枝の説得を試みる。数コールで発信先の女性は応答した。


『もしもし。何かあったの?』

「どうか紗枝を止めてくれ! 俺じゃ手に負えないからお前にしか頼れない!」


 電話越しに、聞くに堪えないばかりに深いため息が吐かれる。千歌は承知の意を伝え、電話を切った。

 光寛は待て暫しがないようで、紗枝の後を追った。

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