第22話 支配欲&攻撃欲
戦場となった学校は酷い在り様になっている。
校舎のガラスはすべて割れ、グラウンドは地面が液状化を起こしたかのように凹凸が激しい。さらには焼き焦げた跡や、体育の備品は使い物にならないほど壊れていた。
この惨状の加害者でもある紗枝は、警察が来る前に撤収を試みていた。
「ダメ……もう立てない。早く逃げないと、誰か来ちゃう」
「ほら、俺が家までおんぶしてやるから。無理するなよ」
光寛は紗枝を背中に乗せて、父親の死体を横目にその場を去ろうとする。
「――待って。何か来る」
ふと、紗枝が何かを感じ取ったように後ろを振り返る。光寛も同じく嫌な悪寒を背中に感じ、父親の方に注目する。
すると倒れている男の横からブラックホールのような黒い靄が出現した。黒の螺旋が闇の中を渦巻き、その奥から人の影が浮かび上がってくる。
「この匂い……親父以上だぞ」
「また敵⁉ さすがにキツイって!」
咄嗟にその場を引き下がり、謎の黒いゲートから出てくる存在に二人は身構えた。
カツコツと地面のない空気の上を歩いて、その人物は姿を現した。黒いワープゲートを閉じ、女性は倒れている男を見下ろした。
「あら、死んでしまったの――」
その声を聞いた瞬間、光寛と紗枝は再び驚愕と怒りの感情を同時に抱き、先刻と同様の反応をした。
「か、母さん……あんたまで使徒になっていたなんてな」
ハーフアップの黒髪が静かに揺れ、身に着けている黒のロングドレスは肩から腕にかけてシースルーで透けている。そして空気の上を歩いてきた足には薔薇色のハイヒールを履いている。女性にしては長身で、程よい肉付きで全身のバランスが整っている。
中年とは思えない優美な彼女の顔は骸のように青ざめていて、目の前に倒れている夫に対して悲しむ様子は一切ない。名残惜しさを微塵も感じていない母親に、光寛は違和感を覚えた。
「もぉうんざり……。アンタもその男みたいに殺せばいいだけ!」
紗枝は殺気を込めて魔力の波長を放つ。しかしほとんどの魔力が枯渇している状態では威嚇にもならなかった。
すると、母親は夫の前で腕を水平に伸ばして小声で何かを唱え始める。伸ばした手から、下にいる男の心臓へと魔力が伝う。抉られた傷口が紫の粒子で溢れ、次第に溝を埋めていく。
「――起きて、アグレシア」
その言葉で、男の体はどくんと跳ね上がった。まるで電気ショックでも行ったかのような挙動に、光寛たちは嫌な予感を覚えた。
「させるか‼」
光寛は瞬時にダガーを持って蘇生術を施す女に向かって風を切る。母親の首元を刃で捉えたと思ったその時、光寛の体はあと一歩のところで完全に静止した。助走と勢いが謎の力によって打ち消され、近づこうとすると、磁気で反発するかのように進めない。
一旦引き下がり、ダガーだけを投擲するも、同じ現象が起きて目標に届かずに地面に突き刺さる。
(結界だな。しかもこの波長、あまり善くない類の術だ。加えて蘇生術と並行しての発動。こんな芸当ができる悪魔など、一人しかおらん)
数回の心肺蘇生により、完全に絶命したと思われた父親は目を覚ました。現状を数秒で把握し、よっこいせと起き上がる。首を鳴らし、傷も塞がっているのを確認する。
「助かったぜ。み、ドミネリア様」
膝をついて女性に首を垂れる男。それはまさに臣下と君主だ。
(やはりな。あやつこそ、千歌たちが血眼で探していた《支配欲》、ドミネリアだ)
「おい、なんだよそんな偶然。じゃあ親父たちは、いつから悪魔に操られてたんだ……」
今まで両親は操られていたのかと息を呑む光寛に、父親は期待を潰すように平然と答える。
「操られてなんかねえぜ。俺らはただ欲望の器になって、衝動のままに動いていただけだ。俺は《攻撃欲》、美奈子は《支配欲》。まあお前に殺される前はただの人間だったけどな。ドミネリア様が欲望の器に見込んで、死んだ俺らを生き返らせて使徒にしたんだ」
「アグレシア、口を慎め。負けた分際でそれ以上の発言は許さない」
ドミネリアは饒舌に語るアグレシアの口を、魔力を介した掌握で塞いだ。そして凛とした響く声で高らかに言う。
「此方は《支配欲》のドミネリアである。《食欲》のアパス、貴様の冠位もいずれ、その腹の奥に眠る《性欲》ごと奪ってやろう。それまではせいぜい首を洗っておくのだな」
アパスは紗枝の体を使い、高らかな笑いと共に挑発をする。
「スレプスを狙っていたことで気づいたが、お前の目的は冠位の奪取ようだな。悪いがお前如きに渡すはずがなかろう。差し当たっては、ワタシの使徒が貴様を滅ぼす」
ドミネリアは明らかな嫌悪を顔に出すも、無言のままワープゲートを開く。息を吹き返したばかりのアグレシアを強引に引き連れ、二人は闇の彼方へと姿を消した。
ゲートが完全に閉じ、再び静まった空間に光寛と紗枝は堰を切ったように息を吐く。今までにないほどの緊張感に疲れてしまったのだ。それも、殺したはずの両親が《支配欲》の悪魔の使徒として生きている事実を知り、何とも思わずにいられない。少しばかり悲惨な運命に遭った両親を期待してしまう自分が、光寛の中に存在していたことに信じられないでいた。
「とにかく今日は帰ろう。紗枝とは話すことがいっぱいあるし。一応千歌の安否を確認しとくか」
「……ねえお兄ちゃん。もしかして怒ってる?」
背中に乗せられたままの紗枝は光寛の首に腕を回し、耳元で小さく尋ねる。
「怒ってないよ。むしろ嬉しかった。紗枝が無事なら俺はそれだけで幸せなんだ。もう二度と会えないと思ったけど、どうやら杞憂だったみたいだな」
光寛は小さく笑ってみせる。
妹至上主義の光寛にとって紗枝の存在そのものが生きる糧である。そのことは紗枝自身が一番知っているが、それを謳って微笑む兄の姿を見るたび、どこか胸の内が痛んだ。
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