第17話 開戦

「死ね」


 大剣を大きく振りかぶり、紗枝の体めがけて重圧な刃が降ろされる。突風を巻き起こし、コンクリートが破砕する音とともに煙が舞う。


「…………手ごたえがない。それよりもなんだ? 今の動きは」


 大剣の突き刺さる地面に紗枝はいない。攻撃を寸前で躱し、音速を超えるスピードで光寛の前に紗枝は移動していた。


「お兄ちゃん。この戦いが終わるまでの辛抱だから。それまで待っててね」


 光寛の目に映る紗枝から、感じるはずのない魔力が放っていた。左手には漆黒の刀、全身に黒いドレスを纏い、目は使徒と同じく赤く充血している。口元からはみ出る八重歯をちらりと覗かせる。

 その姿から紗枝がアパスの使徒になったのだと察し、光寛は痛みを忘れて驚愕する。


「紗枝、どうして……」


 這いつくばる兄を心配し、謝意と懇願を込めた声であやす。


「今まで黙っててごめん。あとで本当のことを話してあげるから、もう喋らないで」


 紗枝の脅威の身体能力と、光寛と比べ物にならないほど膨大な魔力に男はわざとらしく感嘆する。


「へえ、紗枝も契約していたんだな。こりゃ殺し甲斐があるってもんだ」

「お兄ちゃんを傷つけた罰は死刑。あんたは、私が殺す!」


 刀を青眼に構え、紗枝は大剣を振るう男と対峙した。



                 ***



 千歌と天堂は、ゆっくりと歩むスレプスの後を追い、白い空間を進んでいた。剣を握ろうと千歌は考えたが、魔力が吸収されて上手く扱えないこの状況では不利だと判断し、大人しくしている。


「あの、悪魔さん。わたしたちってここから出られるんですか?」


 恐る恐るスレプスに聞く天堂。何も言わずに空間を進む彼女が悪魔だと知り、多少尻込みをしている様子だ。


「我はスレプスである。そこいらの悪魔と一括りにするでない子娘」

「ご、ごめんなさいスレプス様ぁ~!」

「分ればよい。貴様の愚問に対する答えだが、それは我が決める。三日分の睡眠欲が得られれば手を引こう」

「三日分⁉ それじゃあ大会に間に合わないよ! ねえどうにかしてよスレプス様ぁ~」


 縋りつく天堂を近寄らせまいと、スレプスは魔力で透明な障壁をつくる。鈍い衝突音が響き、天堂は額を抑えて涙目になる。


「我は神ではない。ただ欲望にまみれて自他の境を失った悪魔でもないが。貴様に問おう、天堂なつみ。貴様の言う陸上の大会とやらはそこまでして出たいのか?」

「そりゃあ出たいよ。今年で最後だし、推薦かかってるし」

「しかし最近では鍛錬に時間を割き、睡眠を怠っているではないか」

「練習サボるって意味ならわかるけど、寝るのをサボるって言われるとなあ」


 スレプスは天堂だけでなく千歌を向き、同じようなことを言う。


「木下千歌。貴様は夜な夜な仇を探し、変化のない現状に苛立ち、睡眠がとれていないではないか。少し頭を冷やしたらどうだ」


《支配欲》を探していることを言い当てられ、千歌は訝し気な顔をする。


「我にはすべてが見えている。貴様らの夢はこのスレプスが喰ったのだからな」

「《睡眠欲》だけど、人を眠らせて欲を満たす悪魔ではない。そういうこと」


 スレプスの言動から、彼女は人々を夢という空間に閉じ込め、その間に夢に誘われた人間の夢を見るのだと、千歌は推理した。

 千歌の正体に気付いているであろうスレプスは、感心したように鼻を鳴らす。


「物分かりが早いではないか。しかし貴様らがどうしても夢から出たいというのなら――」

「というのなら?」

「日頃から睡眠をとるように指導する他あるまい」


 息を呑んで言葉を待っていた天堂は眉をひそめる。


「てことはちゃんと寝るように約束すれば許してくれるってこと? 簡単じゃん! むぎゅぅ⁉」


 悪魔との口約束を交わそうとする天堂を千歌は手で止める。優しい言葉に騙される人間を見るかのように呆れていた。


「彼女は人ではない。気軽に約束事を口にすると契約になる」

「そ、そうなの?」

「そうであるな。言い忘れておったが、夢から出ることは我と契約することを意味する。夜九時に就寝、朝九時までは目が覚めぬ契約陣を貴様らに刻み込む」


 スレプスが契約について語り終わると同時に、千歌は左手に鞘に納まった剣を実体化させた。柄を握り、おもむろに刃を引き抜く。


「えっ、千歌ちゃんその剣どこから出したの⁉」


 天堂を無視して無言で抜刀する。それを見るスレプスは眠たげな顔で構えもしない。


 無風の夢空間で風を切る音。

 千歌たちに向かってくる気配に、剣を振りぬいた。

 ガキンと重い金属の衝突音が鳴り響く。千歌の剣と背後から近づいていた黒ローブの男の曲刀と交わった。


「ちっ!」


 不意打ちに失敗した男は舌打ちと共に瞬発で引き下がる。男の繰り出した攻撃の方向から、狙いは幼女姿のスレプスだった。


「貴様らか、我の冠位を狙う無粋な悪魔は」


 黒いローブをなびかせた男の他に、千歌たちを囲うように二人の男が姿を現す。背景に擬態していたのだろう。千歌が彼らの気配に気づいたのも数秒前だった。


「ななななんなのこの人たち⁉ いつからいたの⁉」


 男たちの持つ武器を見て腰を抜かす天堂。床を這って千歌の後ろへとしがみつく。恐怖で震えて声も出せなくなったようだ。

 仕方なく千歌は剣を構え、スレプスと背を合わせる。


「木下千歌よ。我は奴らをこの空間から排出するための準備をする。空間を現実と繋げる間、我は五分ほど一切動けん。それまで時間を稼いではくれないか? 見返りとして二人を契約なしで現実に帰してやろう」

「それも込みでの契約?」

「いや、単なる口約束にすぎん。これは貴様にとって悪い条件ではないだろう」


 スレプスの方を一瞥し、嘘を吐いている様子でもないのを確認する。

 千歌にとってスレプスの冠位に興味はない。肩を並べて戦うつもりもないが、後ろで震えている天堂を考え、状況的に戦闘は避けられないという考えに至ったのだ。

 スレプスの要求に首を縦に振ると、男たちの敵意が一斉に千歌に向けられた。曲刀を持った男をはじめ、槍や弓を武器にしている。


 そんな中、曲刀の男が言う。


「野良の悪魔と契約する女。お前が我々と対峙することはドミネリア様と敵対する存在だと認識する。理解したのなら迅速に剣を鞘に納めろ」


 三人が千歌との間合いを詰めて圧力をかける。しかし千歌は危機的な状況にもかかわらず、ようやく会えた僥倖に笑みを浮かべた。


「……いや。むしろお前たちと剣を交える理由ができた。ドミネリアについて聞きたいことが山ほどある」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る